降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「北海タイムス物語」を読む ㉙

2016年01月09日 | 新聞

( きのう1月8日付の続きです。写真は、本文と関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人デスクがいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第29回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=(北大中退後)北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


( 小説新潮2015年11月号 292ページから )
ときどき整理部や地方部の人たちが立ちあがって廊下へ出ては階段を下りていく❶が、みな長い物差しを手に持ったり、ズボンの後ろポケットに差したり❷していた。
耳に鉛筆やボールペンを挟んでいる人までいて、記者というより畳屋か桶屋か襖屋か何かの職人みたいだ。
ほとんどがサンダル履きで、若手はジーンズにくたびれたダンガリーシャツ、ベテランは古いスラックスにくすんだ色のポロシャツ姿で、誰もネクタイをしていないのが余計にホワイトカラーには見えず、格好悪いことこの上ない。
河邑太郎が内ポケットから煙草を出しながら溜息をついた。
「なんか寂しい光景だな。地方紙ってこんなものなのか。昨日の金玉コースも安上がりの歓迎会だったし」


❶整理部や地方部……階段を下りていく
ジャアーン!
いよいよ、新入社員が見た「整理部」の生態——楽しみだなぁ。

「廊下へ出ては階段を下りていく」は、北海タイムス編集局がある5階から、制作局がある4階に行く、ということ。
実は、この「廊下へ出て」に注目したい。

昔の新聞社は、どこの社も編集局フロアと制作局フロアとを螺旋階段でつないでいたのだ。
廊下を出ての階段ではなく、室内に突然大きな丸い穴を開けて、手摺り付き急勾配グルグル階段を設置していた。
「なんか危ない螺旋階段っすねぇ……」
と新人の僕が整理部先輩にたずねたら、
「あー、あれかぁ。俺たち整理や編集が、大ニュース大組みや緊急事態時に、すぐに制作局に行けるように穴を開けてあるんだよ」
「労災適用だけど、慌てて転げ落ちんなよ、わははははは。どこの新聞社も螺旋階段があったはずだよ」
と言っていた。
「廊下へ出て」とあるので、北海タイムス新聞社ビルは古いタイプの社屋ではなく、建て替えた新しい社屋ではないか(あるいは穴階段を使用不可にしているのかも)。

❷長い物差しを手に持ったり、ズボンの後ろポケットに差したり
「物差し」は、倍尺(ばいじゃく)、サシと呼ばれる、新聞社整理部と制作局で使うもの。整理部員1人に1本支給される。
倍数や行数、各種行間、横組み文字などが一目で分かるようにメモリが刻まれている(→写真は2014年11月9日付みてね)。
新聞社が特注した倍尺か、タマノ製があり、ロングとショートサイズを用意していた社も。
ほとんどが硬質プラスチック製だったけど、整理部の大大大大大先輩にいただいたサシは、なんと竹製だった!
( ちなみに、小説のように後ろポケットにサシを差すと
「折れるぞ!後任が使うんだから大事にしろ!」
「それから、お前の名前を掘るなよ!」
と整理部長から口うるさく言われた、笑)

*各種行間=記事を組む行間には3種類あり、この小説の1990年は
▽基本行間「55」(ゴーゴー)インテル
▽短信用の狭い「33」(サンサン)
▽前文用の広い「88」(ハチハチ)
だったころ。
大型フルページネーションCTSで紙面編集を始めていた新聞社では、コンマ指定の「4.1U」「4.2U」「4.5U」行間もあった(U・ユーはユニットの略。11ミルス=1U )。


———というわけで、続く。