降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「北関東新聞社」を読む(1)

2015年04月27日 | 新聞

横山秀夫さん(58)の渾身作『クライマーズ・ハイ』(文春文庫=写真)の舞台となった「北関東新聞社」の記述(←特に、整理部ね!)に注目してみた。

◆『クライマーズ・ハイ』(2003年1月、別冊文藝春秋に掲載後、8月単行本刊行。文庫は2006年6月刊)
1985(昭和60)年8月12日夜、日航ジャンボ機123便(乗客509人・乗員15人)が群馬県上野村山中の御巣鷹山に墜落した。
以降の嵐の数日間を、地元紙「北関東新聞」統括デスクとして闘った悠木和雅(当時40歳)を軸に描いた小説。
著者・横山さんは当時28歳、群馬の上毛新聞記者だった。
太字部分は、文庫本文から引用しました)


朝から茹(うだ)るような暑さだった。
午前中、悠木は高崎市郊外の元兵士宅を訪ねた。『戦後四十年・群馬の語りべ』と題した十回シリーズの企画モノの取材だった。

(中略)
中曾根首相が靖国神社を公式参拝する。その形式が今日十二日にも決まる見通しだとかで、ゆうべ電話を寄越した青木(僕注=北関東新聞社政治部記者)は、先輩記者に補足取材を頼んだ恐縮よりも、在京の全国紙記者と競ってネタを追っている興奮のほうが勝っていた。
(中略)
悠木は車で前橋に向かった。部下だった望月亮太の月命日の墓参りを済ませて本社に上がると、もう昼を回っていた。
(中略)
三階の編集局に顔を出した。北関東新聞は朝刊のみの宅配だから、この時間、局の大部屋に人影は疎らだ。
(中略)
「はい、北関(キタカン)」
威勢のいい声とともに奥の机で整理部の吉井が受話器を取り上げた。

(後略)=文庫13ページから。


【 勝手によけいな解説 】
*十回シリーズの企画モノ
当時は1ページ全15段編成だったから、フロント1面左カタに2~3段カット&カラー写真付き、8段組みでタタんだと思う。
だいたい10回連載で、8月15日付ぴたり終了。連載最終回ケツに「取材=◯◯◯◯、◯◯◯◯、◯◯◯◯」と担当した記者名がポイントを落とした活字で入った(はず)。

*在京の全国紙記者と競ってネタを追っている
「政治部の青木」記者は、東京支社に出張中と読み取れる。

*北関東新聞は朝刊のみの宅配
いわゆる「朝刊紙」。
横山さんがいた上毛新聞は1961年に朝夕刊を一本化しているから、経費削減の見切りはだいぶ早かったようだ。

*整理部の吉井
お昼過ぎだから、整理部の「吉井」くんの出社はかなり早い気がする。
夏場は、僕も
「ひぃ~。暑い~暑い~暑い~!エアコンがきいている社に早く行こうっと」
だったから、クーラーと扇風機フル稼働の編集局で高校野球中継を見ようとしたのかもしれない(笑)吉井くんは。

ちなみに、新聞社編集局から〝扇風機〟が消えたのは90年代ごろ。
エアコンのききが良くなったのと、
ゲラや原稿用紙、出稿伝票、新聞、書類、灰皿(←当時は局内全面喫煙可)が風で飛ばされるから、総務に撤去された記憶があるけど………。