H14年(2002年)、初マラソンが、秋田内陸100㎞大会だった。66歳。
学生時代は、クロスカントリー・スキーの、インカレ3部の選手だ。
社会人になってからは、
秋田に単身赴任、
トレーニングを兼ねて、北東北の山にテント泊で、歩いていた。
および、SKIは、指導員の資格を持っているので、
もっぱらアルペンSKIのレッスンをしていた。
「スキーヤー、登山家は走れないだろう」の一言に、反論した。
「100㎞は軽い」との思い。
H14年たった、2か月130㎞の練習で、秋田内陸100㎞をスタートした。
75㎞で、動けなくなり、完全に打ちのめされた。
収容バスで「揺れる鷹の巣橋」を渡りながら、
大覚野峠を一緒に走ったランナーが窓越しに見えたときは、
練習を甘く見た、自分のなさけなさに、涙が止まらなかった。
心を入れ替え、100㎞ランナーを「尊敬」する気持ちをもって、
翌年から、チャレンジスタートした。
それから、連続7回完走。
2006年、2007年の大会2年間休止期間は、
仲間有志で、鷹の巣から50㎞地点の比立内往復100㎞大会2回かいさい。
この2大会も完走した。計9回完走。
その後、続けて参加したが、長男の急死もあって、
5回参加して、1回しか完走できなかった。
だが、2014年78歳で、「長男と共に」計10回目の
完走をはたした。
これら15年間の「奮闘」はその都度、
秋田県北部の北鹿新聞社に、投稿し続けた。
ラン友達から勧められて、この「奮闘」記を本にまとめることにした。
400字原稿270枚、カラー写真60枚になった。
H28年(2016年)秋田大会終了後、直ちに準備開始。
8か月かかり、今年5月にようやく第1校正が完了。
この準備作業中、12月下旬に加齢によるのか、マラソン原因なのか、
脊柱管狭窄症発症。
この難病が治癒した直後、4/12、自転車操作ミスにより肋骨3本骨折。
懸命にリハビリをした。
家族から「引退勧告」が出ないよう家事も積極的にこなした。
ようやく準備ができた、書籍は、
「秋田100㎞マラソンに賭ける」との表題にした。
66歳の「高齢」になってから秋田内陸100㎞を走る、
高齢ランナーとしての「奮闘」記。
秋田100㎞は今年もエントリー済だ。
目下、団塊の世代ランナーが、シルバーの後に続いている。
彼ら、彼女らに少しでも参考になれば、
との思いを込めて、編集、加筆した。
完成したら公表します。
たくさんのランナーにおくりたい。
写真2005年、秋田100㎞参加して4年目。
秋田100㎞の練習をかねてフルマラソンに初参加の
マスターズマラソン選手権大会北上大会ゴール。69歳。
この2週間前に、秋田100㎞を完走している。
写真:2014年、78歳、秋田内陸100㎞大会、最高齢完走の瞬間、
「リベンジ」と叫んだとおもう。
公式8回完走、有志大会2回完走、計「10回」目の完走だ。
秋田100km、完走10回とはただただ頭が下がります。
個人的には、怪我をされている間、どう過ごされていたか?こちらが気になったりもします。
いずれにしても40代の私はまだまだですが、頑張ってシルバーアスリートさんと同じ年になっても走っていたいですね。
40歳台でもできます。
が、これから人生の、勝負時の40歳台に
のめりこむものではないですよ。
定年後まで、じっくり、「前頭葉」を鍛えて、チャンスを
待つことが大事、とシルバーは思いますが・・・・。
なるほど。
仕事とウルトラと、もっと先をみる必要性を感じました。
明快なアドバイスありがとうございます。
あきたに、50歳台の「弟子」がいます。
去年初参加、98㎞でリタイアーでした。
息子育て、野球、仕事、を大事に。
秋田100㎞は、その次。定年になって、次の仕事をみつけてからでも、いいよ、と言ってます。
年金で参加費を,ねん出はだめだよ、とアドバイスしています。