雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

To Be or Not To Be 4

2007-01-23 18:53:00 | 文学
日銀、大混乱―フィナンシャル・タイムズ社説(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

上記記事には、日銀のコミュニケーション能力が問題視されている。きちんとした目標値を定めていないからみなわかりにくい(コミュニケーションがとれない)ということらしい。確かにお金の標準を定める公的機関なら、伝えるべきことは伝えてもらわなければ困るだろうが、金融のことは知らないので、コミュニケーションの問題にすすみたい。

コミュニケーションをとらなければならない相手が日銀のように意志を明示しない場合こちらは何をすればいいのだろう。

この相手にはいろいろなものが入る。恋人や息子、上司、部下、そして神、超越者、自分の運命そのものまでが相手になるときがある。

同じ人間であればコミュニケーションをとろうとしないのなら「僕が嫌いなのか」、「僕とコミュニケーションをとる理由がないと考えているか」、「恥ずかしがっているのか」、「その術を知らないのか」といった原因候補が思いうかぶ。が、わからない。にもかかわらず、その相手とコミュニケーションしなければならないのならどうすればいい?

その場合にハムレットは、狂った風を装った。

ハムレットは自分の親父が変死して、なんとなくおかしいと思っているところに、親父が幽霊になって出てきて、「伯父に陥れられた」ことを告げられる。

しかし幽霊なんて錯覚かもしれないし(さっき毛玉をゴキブリだと思って驚いた)、心の底で思ってることが夢に出てきただけの可能性もある。

しかも伯父が犯人だとして、ひとりでは親父を殺すことは出来ないから、伯父と再婚した母親も疑うことになる。

疑問を伯父と母に直接ぶつけたところで、もしやっていたら「やった」というはずがない。

コミュニケーションをとらなければならない相手が何も語ってくれない状況がつくられることになる。

そこでハムレットは狂人を装う。

この選択は、幽霊を信じるとか信じないではなく、自分自身を Critical にみることから選択された、ハムレットの事実に対する真摯な反応だと思ってもらわなければ困る(?)。

正義や物事の善悪などというが、それを判断するだけの情報が人間にみえているのか?目の前にいる人間のことさえよくわかっていないではないか。

最終的に、幽霊の親父が教えてくれた、伯父たちの策略を劇団に演じさせて、その動揺ぶりからハムレットは、伯父たちの罪を確信する。

が、結果愛するオフィーリアを悩ませて殺し、兄貴には恨まれた挙句決闘して殺す。

迷惑なまでの探究心だが、人間がそれをせざるをえないのは自分が生きているからだ。

To be or Not to be...。

日銀もそんな選択をせまられてるんだろうか。

追伸:これまでのTo Be or Not To Be 123


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