雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

異学の禁

2008-01-13 17:19:16 | 宗教
ここ10日あまり身内が入院していた。

久しぶりに医者にかかった(10年ぶり)が、相変わらず安保さんなんかがいう通り、西洋医学は枝をみて木をみない、症状をみて人をみない。

12月30日、検査が終わったあと、入院の必要ありといわれ、医師にいきなり内服薬(西洋医学と漢方の2種類)を処方された。そこで僕は「副作用は?」と訊いたわけだが、それまで物腰の穏やかだった医師が、その質問にいきなり態度を変えた。語気を変えて二度、「なぜそんなことを!」といった(「叫んだ」と描写した方が適切だと思うが)。

少しひるみつつ「副作用があると聞いているからです」と答えると、その医師は、「(医師が)悪いものをわざわざ処方するはずがないじゃないですか!私が傷つけたいとでも」みたいなことをいう。

僕は内心戸惑った。これは「悪気があるない」の問題ではない。とりあえずこちらの真意は伝わっていないようだから、説明しようとした。

病院に来る前に身内の症状から処方される可能性のある薬は予想されたから、辞典でいくつか調べておいた。副作用の項目をみて、明かに僕の身内には処方に際して注意が必要にみえた。にもかかわらずこの医師は処方に際して問診もしない。「症状だけの診断で処方していいのですか?」、それが僕の訊きたいことだった。

しかしここである考えが浮かんだ。まがりなりにも僕の前にいる男は、プロの医師だ。その医師ががとりあえず選択した方針を強硬したいといっているとすると、副作用を心配する余裕などない緊急事態の可能性があり、それを患者本人に知らせないようにという配慮からかもしれない(あとで僕だけ呼ばれて真実を知らされるとか)。

しかしそれは杞憂だった。というのも、僕がいろいろ思考をめぐらしている数瞬後に医師があっけなく治療方針を変えたからだ。彼は「では漢方薬だけにして安静にして様子をみましょう」といった。

なんだか腑に落ちぬまま入院の雑務に追われ(入院は仕方なかった)、その医師と話す機会は翌日(大晦日)やってきた。

彼はいった、「確かに薬には副作用があって避けたくなる気持ちはわかりますが、いくら薬が嫌いだからって、本当に必要なときには使いますよ。今はとりあえず副作用の弱い漢方薬を使ってますが、本質は病を治すことにあるのだから使うときには使いますよ!」



全く素人扱いされたものだと思った(素人だが)。しかも僕がいないところで「自然派」と呼んでいたらしい。しかしもし僕が単なる「自然派」ならはじめからこの病院に身内を連れて来る筈がないじゃないか。使わなければならないときに薬を使える場所だからわざわざ連れて来たのだ。

加えて「副作用の弱い漢方」とプロの医者がいった。いくら僕が素人でもそうした言説は30年前の話であることくらいはわかる。

漢方薬が副作用が弱いといってもてはやされたあと、大学病院での安直な漢方薬処方が問題視された。漢方は症状ではなくひとで処方するものだから、症状だけをみて処方すれば、ことによっては大事になる。火に油を注ぐ結果になるのだ。

しかも本当に「きちんとした良質の」漢方薬ならその結果は重篤になる可能性があるし(しかしこの病院で使われていたのは、添加物だらけの良質にはほど遠いものだったから副作用は弱いだろう、少し安心した、もしかしたら添加物の方が副作用は大きいかもしれない)、西洋医学の薬との混合によってもどんな2次的な副作用が起こるか想像もつかない(昨今話題のC型肝炎対策のインターフェロンとショウサイコトウのカップリングが思い出される)。

益々素人の僕は、この医師の判断に疑いを持ち始めた。

一番怖いと思ったのは、「異学の禁」、自分のいっていることだけが絶対正しい、という偏見だ。

僕は、漢方の医師について勉強したのは一年ほどだが、少なくとも僕が習った東洋医学には、人体の神秘への謙虚さがあった。だから西洋医学も学ぶ。まさか帝王切開は東洋医学ではできないし、切断された腕を縫合することもできない。西洋医学でなければできないこと、東洋医学の限界を知ることは必須だった。

もちろん西洋医学のプロ全員にその謙虚さがないわけではない。僕のかつてのオセロ仲間だったある大学病院の教授兼病院長がいっていた、医学がつきとめたのは、人体の半分もない、と。にもかかわらず、この男は、「本質は病を治すこと」といいきった。「半分しかわかっていない」学問が本質を云々するのはおかしい。

その証拠に数々の検査の結果、最初の見立ては、全部間違っていることが5日後にわかった。医師が我々に絶対起こらないといいきっていたことが起こって、最後には僕らに「どうしたいですか?」などと聞いてきた。本当は徹底的にギャフンと(これも古めかしい表現だが)といわせてもよかった(医師は処方した漢方薬が効いていると入院して数日して身内の症状が落ち着いてきたときにいっていたが、僕の判断で漢方薬はほとんど飲ませなかった)が、もう話をするつもりもなかった。

もちろんプロとしてアマチュアに対するとき、こうした態度をとるのはわからないでもない。が、少なくともプロならアマチュア(患者)の不安を取り除く方法をアマチュアのレベルに応じて変化させるゆとりはほしい。しかもひとをみずして症状ばかり追っているという西洋医学への批判はいつからされていると思っているのか。

僕も専門家といわれる職業をしていて思うのは、専門家だからといって本当にその専門の対象に肉薄している方は多くないし、もともとギリギリのところで専門家でも正反対の見解が出るところからみてもいかに不可知で現実の事象に肉薄することが難しいかということを日頃感じる。

しかし多くの専門家は、そうした限界の境界線に立たず(その線に立つことを実存主義というのだろう)、社会のなかでの役割に徹し、単にその業界で正しいとされていることを知っているか、先輩や師やその業界の重鎮がいう正しいマニュアルを知っていることだけで満足していないだろうか。

そしてまさしくこの医師はその種の専門家だった。自分が習ったことを疑いもせずに(この疑いがないのだから「西洋医学」という名もつけるべきではないと思うが)覚えこんで、自分の情報にない事例にはお手上げだったというわけだ。こうした風潮のなかにいてその風潮に気づいてさえいない医師をせめても仕方ない。ここにも書いたように、知識人のほとんどは既存のシステムの保全にしか役立っていないのだ。

教育制度の改正を口にするなら、医学を高校のカリキュラムにいれるくらいのことは候補にあがっていいのではないか。少なくともひとの命に関係する医学と、社会秩序の中枢である「法律」を一部の人間しか学ばないというのはおかしい(僕にはたんに専門家の権益を守っているようにしかみえない)。

ただし今回有益なこともあった。身内が女性で、女性固有の病だったので、この正月はそればかり調べて、ある意味、女をこれまで以上に知ったような気になった。

いい副作用だった。 

追伸:【風】増大する患者の権利意識(産経新聞) - goo ニュース


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2 Comments

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教育に問題 (pfaelzerwein)
2008-01-14 00:36:10
ご無沙汰しております。年末年始は大変だったようですね。まあ、大事に至らなくて良かったと思います。

しかし、上の医師の対応はまさに「BLOG炎上もの」ですね。今でもこうした専門医がいるとは驚きです。日本の救急医療も大問題のようですが。

副作用は、なにも東洋医学の考え方ではないですが、そこまで患者側の態度にレッテルを貼るようなことをしますかね。かなり危ない医師という感じで、その腕以前の問題でしょうが、受けた医師教育に問題がありそうです。私の知る限り、これは大変悪い実例です。
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Fiction ではありません (stone)
2008-01-14 10:08:38
お久しぶりです。

年末にそちらにうかがって久闊を叙すコメントを書いていたら上記のようなことになりました。

上記は、僕にとっては2番目に悪い事例でした。

僕は、無くなっていたかもしれない足を西洋医学に救ってもらったりとかなり西洋医学に恩義があるのですが、とにかく妻が入院していた同じ病室の方々の症例と経過をみていてもクビを傾げたくなるものが多かったです(ほとんどの方が病院にやってきたときと違う症状で悩んでいました)。

それだけでどうこういいきることはできないし、ましてこちらは素人ですから、何もいいませんでしたが、自分の妻の体質は僕なりに掴んでいたつもりでしたので、妻と相談して、僕の判断を断行しました。身体全体の疲労と解釈して、薬はほとんど飲ませず、とっておきの30年ものの中国茶と毎食の食事をほぼつくって毎日出前しました(漢方を飲むと予想通り食欲がなくなってきたので)。

もちろんこれは素人である僕の勘に過ぎないので何が功を奏したかはわかりませんし、大事なかったことは幸運だったと思っています。

しかしその病室の患者の方々は、専門家のいうことだから以前より悪くなっていると感じているのに専門家の言で封じ込まれている印象を持ちました。

今もどうなっているか気になっています。とてもキレイな方々でしたし(笑)。

僕もその医師が悪いというより、教育というか医学の学問としての限界みたいなものを感じました。
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