雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

過剰

2007-12-23 22:18:52 | アメリカ
NY Times によると、11月14日に Texas で起こった事件が話題になっているらしい。

ふたりのコロンビア人が、あるお宅に侵入し、金と宝石を盗み、隣の家の敷地に入ったら、その隣の家の住人男性(61)に撃たれた。その住人は撃つ前に警察に通報し、「家の中にいるように」いわれたが、「奴らを殺す、ためらっているひまはない」といって発砲した。

話題になっているのは、その犯罪行為が死に値したかということであるが、同記事の底流には「殺すことはないのでは・・・」というニュアンスがある。

そのふたりのうちのひとりの恋人のコメント、もし彼らが白人だったら、彼らには止まれ、といわれる機会が与えられただろう、というのが載っているからだ(住人は通報したとき彼らを「黒人」と描写したらしいが、実際は浅黒いコロンビア人であった)。

しかもそのふたりはアメリカには不法滞在でもあって、あまり事件の詳細が明らかになっておらず、そのほかの事件と比較してもこの事件の詳細が故意に隠されている印象を与える(事件があったのもTexasだし)。

恋人がいう、彼が2日前(11月12日)にプロポーズしてくれたんです、彼は死ではなく監獄に値していた、と。

僕は、こうした問題のすり替え、過剰防衛かどうかを人種問題に摩り替えるのはどうかと思う。

公民権運動の歴史的な意義をはきちがえている。

公民権法は、黒人とか白人という分別の仕方が間違っている、みなアメリカ市民であることを宣したものであり、暴力については異なる見解を持っていたMalcolm X もKing 牧師もその点では一致している。

白人がすべて差別するのではなく、黒人がすべてかわいそうな被害者ではない(ちなみに僕はアメリカで何度か肌の黒いひとに差別的言動を受けた)。

犯罪を犯すことはどういうことか、過剰な反応(防衛)をどのように処するべきか、といった線の引けない問題に真摯な意見の提出がない。

キング牧師もマルコムも、さぞ悲しんでいることだろう。

関連:「健全な差別」、「自動車泥棒」、「退行」、「にっちもさっちも2」、「文明としての暴力