雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

距離感のあるJazz pianist

2007-12-25 21:46:07 | 音楽
オスカー・ピーターソン氏死去 ジャズピアノの巨匠(共同通信) - goo ニュース

またひとりジャズの巨匠が逝ってしまった。

Peterson といえば、なんといっても超技巧派。Art Tatum や Nat King Kole と比肩される技術の持ち主である。

その卓越ぶりは、超のつく有名ミュージシャンたちの形容が伝えている。

Ray Charles がArt Tatum に次ぐ、といったり、Duke Ellington は、「Keyboardのマハラジャ」といった。

しかも鬼気迫るというようなものではなく、いつも軽やかで、なんというのだろう、誰も拒まず、だからといって彼のなかには入れない、不思議な距離感が Peterson の魅力だったような気がする。

その距離感を生んだのは、なんといってもアメリカ人ではなかったことだろう。もっと劇的にいえば黒人扱いされたことがなかった。

彼が生まれたのは、MontrealのLittle Burgundy で、アメリカの黒人同様貧しかったが、差別がなかった(当時Little Burgundyは黒人の貧民街ではあったが差別がなかったために、「黒人の天国」といわれていた)。父が音楽への愛を伝え、かつ生活の糧とする願いを持ち、早々に天才の称号を手に入れた。

そして世に出るキッカケも出てからも汗臭さ、必死さがない。

Norman Granz がラジオで聴いて彼をスカウトし、そのままVerve で一生喰った。

Granz は、Los Angeles に生まれたウクライナ系ユダヤ人だが、彼が Anti-racist だったことがデカい。

コンサートにしてもGranz の意向か、黒人特有の土臭さがなく、むしろ黒人であることが軽やかな彼の装飾品にみえるほど優雅だった。

Peterson のグループには50年代でさえ白人がいたし、とにかく1925年生まれのアメリカの黒人なら、絶対持たないものを彼は持ちえ、それが彼に特別なオーラと位置を与えた。

もちろん彼に技術がなければこれらのものは意味がなかったろうが。。。

彼が渋谷のBlue Note に来ると知ったとき、チケットは学生の僕には手が出せない金額ではあったが、絶対行こうと心に誓ったのは覚えている(買いに電話したときはすでに売り切れていた)。

参照:Washingtonpost 12