雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

父と祖父

2013-05-06 22:13:17 | 文学
村上春樹さん「新しい試みだった」 新作など公開インタビュー(産経新聞) - goo ニュース

是非講演内容は聞いてみたいが、ここでも触れた『1Q84』が、リアルな世界と内側の世界の境界の消失で、新作がその消失がないとすると確かに、退行と考えられるかもしれない。

という第一感だったが、春樹の作品て、昔からその消失が基本的な題材だったような。。。

むしろ消失とか分離といったことを問題にするより、間主観性で繋がれる個人間の関係にこそ真のコミュニケーションがあるといっているような。。。

ただし以前だったらうまく書けなかったものが、書けるようになったというコメントには読んでみたい気はした。

といって僕は春樹をよく知っているわけではない。

僕の世代は、春樹がすごく好きなひとと、父親を批判するように嫌いなひととに分かれていたように思うが、僕は、そうした両サイドのコメントに促されて学生時代に読んだだけで、ただ読めば純粋に面白いと感じただけだったから、春樹を連続で2作ということはなかった。

だからStorytellerという区分でしかなく、『1Q84』で、彼の作品群に流れる共通部分を見出した気になり、喜んでいたわけだ。

ただファンになるにはもっと深いところで共有できないと、という感はある。

もっともっと主観的になってほしい、と。所詮間主観性にすぎない、と。

尖閣諸島をめぐる日中、イスラエルとアラブ諸国間の摩擦に言及したときもそうだった。

もっと主観的でいいんじゃないか、と。

河合さんにも同じ感想がある。

というより僕の中で祖父にあたる、大江健三郎と山口昌男ペアが、父である村上・河合より惹かれたのも同じ理由かもしれない。

大江と山口は現実世界にいるひとにこそ批判されたが、その主観性こそが好きで、だからこそ主観が勝利する『1Q84』も気に入っていたわけだ。

そういえばBS歴史館でみた奇兵隊をみたときにも同じ感慨があった。

よくいわれるように革命は結局暴力を必要とするというリアリスト的考え方があるが、奇兵隊も高杉晋作と山県有朋というリアリストに率いられた(高杉と山県をくくることに抵抗はあるが)。

しかしその両者の間に赤根武人がいた。

武人の合議制、四民平等、個・理論重視で、悪く言えば机上の空論家だが、人間は机上の空論にこそ惹かれるものだ。

もちろんこの結論自体はまだ中途であるだけに、危険ではある。

もっともっと先に進まなければならないとは思う。


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