雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

ダメおやじ

2008-08-03 00:33:47 | 文学
バカボン・おそ松くん…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去(読売新聞) - goo ニュース

1度会ったことがあるひと。

交通事故で入院してたとき、その病院長が親しいということで、静養をかねて、赤塚さんがその病院の特別室に入院していた。

僕は会う必要はなかったが、当時その病院で最も重篤な患者ということで、看護婦さんたちが話をしたらしく、サインを頂いた。

僕としては別に関心があったわけでもなかったので、対面したときはとりたてて話すことなどなく、というより例の如く、僕とは話がしにくそうな感じですぐ赤塚さんは出て行ってしまった。

が、今だったら訊いてみたいことがある。

赤塚不二夫の漫画といえば、いろいろあるらしいが(改めてここをみてみると『天才バカボン』と『ひみつのアッコちゃん』という僕の中では全く別の種類の作品が書かれたところにその天才性を感じる)、なんといっても『ダメおやじ』である。

もちろんこの原作者は古谷三敏となってるが、今の今までこれは赤塚の作品だと思ってた(さっきWikipedia をみて、赤塚が連載開始から半年間は古谷の名で書いていたことを告白したとあってさもあろうと思った。それから『ひみつのアッコちゃん』も彼が書いていたことを知って驚いた)。

繰り返しになるが好きな漫画家と意識したことはなかったし、世代的にも赤塚作品を読む世代ではなかったから赤塚に会えても「昔の漫画家」か「タモリの恩人」くらいにしかみてなかったが、『天才バカボン』と『ダメおやじ』がなぜか Impressive で仕方なかった。

その原因は、なんといっても規範をぶち壊していたところだと思う。

そもそも『天才バカボン』はタイトルにバカボンとついているのに主人公がバカボンのパパなんだろうと思ったがそれは置いておいて、なぜバカボン・パパがいうことは支離滅裂なはずなのにどこかで筋が通り妙な説得力を持っていて、しかも素直な息子バカボンと天才の弟がいてすごく出来た美しい奥さんもいることが不自然にみえず、「バカと天才は紙一重」ということをこれほど教えてくれた作品はない。

ただし印象度では『天才バカボン』は『ダメおやじ』の比ではない。『ダメおやじ』には、何か得たいの知れぬ魅力(あまり知りたくない気もするが)を感じていた(昔から悲観主義的でネクラだったからだろうか)。

とにかくダメおやじの虐待のされぶりは、先日『プロフェッショナル』で特集されていたブラッシーどころじゃない(子供には衝撃的だった)。ダメおやじが会社から帰って家に入る前に「神さま、お願いです。この戸のむこうに平和がありますように!!」と冷や汗を流しつつソーっと家に入ると、いつもイライラしているオニババ(奥さん)がでてきて、ダメおやじはぬいぐるみのようにそこら中に叩きつけられた挙句、頭に包丁や釘が刺さって血を流したまま、依然としてまだオニババの機嫌におびえつづけているのだ。

そしてそろいもそろってその家族はひどいやつの集まりで、現代のいじめや虐待以上に人間不信や人間嫌いにさせるのに十分なほど陰鬱なもののはずなのに、人間嫌いどころか、この作品には妙なカタルシスがあったことを認めざるをえない。

なぜだ?

実際に会うチャンスがあったのにこれを赤塚さんに直接訊くことができず今となってはなんとやらだが、赤塚さんは本当に個性のある天才漫画家だったと思う(上記三作品しか読んでないが)。

明日時間があったら古本屋に寄ってみよう。


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