雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

早寝

2009-11-20 22:53:53 | 将棋・スポーツ
最近時間をつくっては、将棋ソフトと指し始めた。

僕には昔から将棋で羽生名人に挑戦したいという願望があってマジメに実現させたいと思っている。もちろん今の実力では所詮無理だから、本腰をいれて、準備しなければならず、おそらく真剣にやりはじめて最低5年はかかるだろうとみていた。

しかしなかなか本腰をいれてやる時間はとれない。

あまり先延ばしにすると、僕も羽生も耄碌して、対戦さえできそうにないから急ぎたいのだが、いかんせん本業が軌道に乗らないと、真剣にかかりきりになれないわけだ。

だからせめて真剣にやらないまでも今の棋力を落とさないようにしたいというわけで、突発的に将棋にいそしむのだが、困ったことに少し将棋から離れると格段に棋力が落ちた気がしてならない。

特にきちんと受けられずに負けると、娘が寝てからの時間しかないので早差しではあっても、その感がはなはだしい。なぜその攻撃の筋を予測できなかったのか、と自分の愚かさを罵倒したくなるほどだ。

おそらく信長も本能寺で1度くらいそう思ったろう。

まさか桶狭間の義元を「奇襲」で討っておきながら、似たようなやり方で光秀にやられるわけだから。

誰だったかによると、本能寺宿泊はそれほど悪い選択ではなかった。

当時の本能寺は、寺でありながら、要塞だった。

なにせその十数年前に京都は宗教戦争があって、京都の市民たちが信仰する法華宗は比叡山に力ずくで追い出された経緯があり、当然そうした武力衝突を念頭において再建築された法華宗随一の防護力を持つ本能寺だったからである。

問題は将棋だった。

討たれる前日の夜、信長は茶会を開いてドンチャン騒ぎをしたあと将棋や囲碁をやって遊んで深夜に床に入った。

その寝入りばなを起こしたらさぞ信長は怒るだろうと怖れた家臣が光秀が京都に向ったらしき事実を知りながら伝えなかった。起きてからにしようと。

物見ではなく、料理番か何かが鮎を獲りに行ったかして、不審な光秀たちをみたのだったが、その事実が信長に伝わっていれば、本能寺の周辺に分宿している家臣たちに紛れ込むぐらいのことはしたろう。

もちろん僕としてはこれを単なる油断ととらえて小説にしたいわけではないのだが(もっと信長のやり方の本質的な部分に関係していると思う)、今は擱こう。

とにかく将棋に興じるとつい時間の経つのを忘れて勝つまでやりたくなったりするところに運命が一枚かんだのだ。

というわけで今日も勝てなかったが、ここで寝よう。


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