雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

挵り作事

2014-03-21 21:19:18 | 将棋・スポーツ

録画しておいた将棋のTV番組を3つみた。

第七回朝日オープン(?)とかなんとかの決勝、羽生三冠対渡辺二冠、谷川日本将棋連盟会長による将棋の未来展望、今から10年以上前の羽生5段対村山聖五段戦。

第一感、時の経過による進歩を感じた。

一番古い羽生と村山の一局は、彼らが5段とはいえ、とても僕が太刀打ちできるレベルではないのだが、まだ手が届きそうな将棋だった。

しかし羽生と渡辺戦はどうだ。

この二人に限ったことではないが、最近の棋士の戦いぶりは、戦うポイントが、「・・・・」(形容できない)。

「空中戦」(羽生・村山戦の描写に中井女流名人が使っていた)ではなく、空と水中と地底で同時に戦っているような感じで、とても感覚が追いつかない。

なんというか「挵ら作事」にみえるのだ。

「せせらさくじ」とは、広辞苑によると、本当にやるのではなく、やっている風をみせるためにあっちこち手を出す工事のやり方をいうのだが、ここまで差を見せつけられると、存命中に竜王挑戦などとてもできない感じがした。

その点羽生、村山戦の郷田八段による解説はわかりやすかった。

「これはプロじゃないとわかりにくい」という発言も説明されればわかる範囲だった。

しかし渡辺の攻め方はどうだ。「麻柱(あなない)」を立てるかのごとく攻撃の足場をつくっていく。

奇想ということだ。

意外な手に対して、意外な対応をしていく応酬ということだ。

そんな彼らが、電王戦で敗れたわけだから(羽生や渡辺は出ていないが、三浦は出ていた。最強メンバーが出たわけではないとはいえ、プロ将棋の負けは負けだ)、コンピューターの進歩も著しい。

谷川新会長もいろいろ言っていたが、将棋界に限ったことではないが、起こらないと思っていたことが起こる可能性が満ち満ちているというのが、現代ではないだろうか。

さて「せせらさくじ」という言葉から思い出すもうひとつのベクトルが指すのが昨今の政治。

先日スーパーに行ったら、「蟻付」をみた。

消費税が上がるからと、トイレットペーパーを買うのだそうな。

消費税の増税の是非についての議論はしないのか。

以前も書いたが、今税金が足りないのは、政策の失敗だ。

その失敗の責任の所在を明らかにしないまま、消費税を上げるのには絶対反対である。

大体日本の消費税は例外なく物品にかかり、これは単なる徴収である(金を払うということは対価が得られなければならないはずだ)。

イギリスは20数パーセントだが、実質生活に直結するものにはかからないから、日本の消費税の在り方はそうした国々と比較すると、25%にもあたるという試算は僕は外れていないと思う。

なのにそれに対して僕らが得る対価はなんだ。

それからベースアップ。

各企業、広告料の一部くらいにしか受け止めていないだろう。

将棋同様、巨川の済渉には素人だから、現在の政策が「せせらさくじ」にみえているだけであることを祈るしかない。


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