あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年というか昨年は本当の闘いが始まったような気がしています。
具体的に。
で、いろいろなニュースをみるにつけ、僕の闘いと近いのはどんなものだろうと、思っていました。
例えば中国。
この国は戦う準備がやっとできて、50年前に決着した勝敗を覆そうとしています。
日本風にいえば、大学受験で失敗したからといって~なんぞに甘んじてたまるかという戦いです。
僕もこういう戦いはしているけれど、昨年始まった戦いはこれではない。
一方安倍首相は「父親」としての闘い。
父親は子供たちには知らせずに戦う。
しかし国民としては指導者だけが国の全目的を知っているという戦いでいいのだろうかとは思う。
秘密情報保護法案にしても原発容認にしても戦争の準備に言及しないまま議論をすり抜けていくのは正しいのだろうか、と。
更に昨日みたBoxing。
井岡や三浦もよかったけど、印象的だったのは内山の8度目の防衛戦。
【BOX】三浦、満点V2!内山と統一戦「受けて立つ」(スポーツ報知) - goo ニュース
何がよかったって、ふたりの勝利への固執。
テクニックで上回る34歳の老練内山に対し、25歳の金子(だったっけ?)は、内山から目を離さず、自分が勝利できる僅かな可能性、一発、に賭けて試合を続けた。
一方内山もタフガイ金子相手に決めるべき一発を冷静に打ち込み続けた。ずっと冷静に。
たかがBoxing、たかが一試合、勝ったとしても束の間の栄光であるにも関わらず、ふたりの集中力はバカバカしいほどに素晴らしかった。
人生はいろいろなことが走馬灯のように通り過ぎ、そのなかで自分にとって何が大切で何に力を入れるかが人生に満足したかを決めるのだと思うが、ふたりの一瞬へのこだわりぶりは、このひとたちはきっと人生に悔いはないだろう、と思わせた。
それから一昨日にNHKでみた加島祥造と姜尚中の対話も面白かった。
加島さんは齢80にして出会ったドイツ人女性、姜さんは自殺した息子という大切な人間との死別から、LonelyとAloneの間で揺れ動いていた。やっとみつけた大切なものと別れることによるLonely、いなくなっても大丈夫という気持ちのAlone。
彼らの感慨はとっても個人的で、ふたりが社会的に残した業績といえる著作群と比較して、社会に浸透していくものではない。
こうした戦い、Conflictsは、僕の闘いとは必ずしも一致しない。僕はLonelyとAloneには決着をつけたつもりだったし。
しかし微妙に相通じている。安倍さんにはいぶかしいところはあるものの、小泉元首相がいうような国民の欲するところに身を任せるのも「父親」としては「無責任」だと思う気持ちはわかる。
結局「父親」として「固執」すべきところにぶつかったから僕の闘いは始まったからだろう。
僕の闘いは僕が大事にしてきた価値観やものの見方が肉付けされた現実の生き方が、世の中の規範とことごとく衝突することだ。
しかも僕の選択は、放射線感知など既存の選択肢にないことで、勝負する以前の段階でくすぶらざるを得ない。
だから世間の価値観に盲従する社会のBranchesで権限を握る人間とことごとくぶつかるわけだが、その際にいちいち真正面からぶつかるのは得策ではない。
他方タイトルマッチのような学者との戦いで負けるわけにもいかない。
先日も僕の近隣では有名なアレルギー専門家と一戦交え、年明けに再戦の予定がある。
医者だからといって頭ごなしではなく、飽くまで開かれた専門家だから勝負ができるのは愉しいが、素人が学者に相対するのだから念入りな準備と証拠が必要だ。
昨年一年を通じて勝負の土台を築き上げてきた放射線学者との戦いは今年本格的に展開する。
科学者と話すには科学の言葉が必要だ。
そうした意味で昨年始めた量子論との出会いは気功の科学的な説明に貢献するだけでなく僕自身の探求にも一助となりそうでワクワクしている。
何しろ数式で、大気中に遍在する∞の力の存在を表しているのだから。
今年も頑張りましょう。
本年もよろしくお願いします。
今年というか昨年は本当の闘いが始まったような気がしています。
具体的に。
で、いろいろなニュースをみるにつけ、僕の闘いと近いのはどんなものだろうと、思っていました。
例えば中国。
この国は戦う準備がやっとできて、50年前に決着した勝敗を覆そうとしています。
日本風にいえば、大学受験で失敗したからといって~なんぞに甘んじてたまるかという戦いです。
僕もこういう戦いはしているけれど、昨年始まった戦いはこれではない。
一方安倍首相は「父親」としての闘い。
父親は子供たちには知らせずに戦う。
しかし国民としては指導者だけが国の全目的を知っているという戦いでいいのだろうかとは思う。
秘密情報保護法案にしても原発容認にしても戦争の準備に言及しないまま議論をすり抜けていくのは正しいのだろうか、と。
更に昨日みたBoxing。
井岡や三浦もよかったけど、印象的だったのは内山の8度目の防衛戦。
【BOX】三浦、満点V2!内山と統一戦「受けて立つ」(スポーツ報知) - goo ニュース
何がよかったって、ふたりの勝利への固執。
テクニックで上回る34歳の老練内山に対し、25歳の金子(だったっけ?)は、内山から目を離さず、自分が勝利できる僅かな可能性、一発、に賭けて試合を続けた。
一方内山もタフガイ金子相手に決めるべき一発を冷静に打ち込み続けた。ずっと冷静に。
たかがBoxing、たかが一試合、勝ったとしても束の間の栄光であるにも関わらず、ふたりの集中力はバカバカしいほどに素晴らしかった。
人生はいろいろなことが走馬灯のように通り過ぎ、そのなかで自分にとって何が大切で何に力を入れるかが人生に満足したかを決めるのだと思うが、ふたりの一瞬へのこだわりぶりは、このひとたちはきっと人生に悔いはないだろう、と思わせた。
それから一昨日にNHKでみた加島祥造と姜尚中の対話も面白かった。
加島さんは齢80にして出会ったドイツ人女性、姜さんは自殺した息子という大切な人間との死別から、LonelyとAloneの間で揺れ動いていた。やっとみつけた大切なものと別れることによるLonely、いなくなっても大丈夫という気持ちのAlone。
彼らの感慨はとっても個人的で、ふたりが社会的に残した業績といえる著作群と比較して、社会に浸透していくものではない。
こうした戦い、Conflictsは、僕の闘いとは必ずしも一致しない。僕はLonelyとAloneには決着をつけたつもりだったし。
しかし微妙に相通じている。安倍さんにはいぶかしいところはあるものの、小泉元首相がいうような国民の欲するところに身を任せるのも「父親」としては「無責任」だと思う気持ちはわかる。
結局「父親」として「固執」すべきところにぶつかったから僕の闘いは始まったからだろう。
僕の闘いは僕が大事にしてきた価値観やものの見方が肉付けされた現実の生き方が、世の中の規範とことごとく衝突することだ。
しかも僕の選択は、放射線感知など既存の選択肢にないことで、勝負する以前の段階でくすぶらざるを得ない。
だから世間の価値観に盲従する社会のBranchesで権限を握る人間とことごとくぶつかるわけだが、その際にいちいち真正面からぶつかるのは得策ではない。
他方タイトルマッチのような学者との戦いで負けるわけにもいかない。
先日も僕の近隣では有名なアレルギー専門家と一戦交え、年明けに再戦の予定がある。
医者だからといって頭ごなしではなく、飽くまで開かれた専門家だから勝負ができるのは愉しいが、素人が学者に相対するのだから念入りな準備と証拠が必要だ。
昨年一年を通じて勝負の土台を築き上げてきた放射線学者との戦いは今年本格的に展開する。
科学者と話すには科学の言葉が必要だ。
そうした意味で昨年始めた量子論との出会いは気功の科学的な説明に貢献するだけでなく僕自身の探求にも一助となりそうでワクワクしている。
何しろ数式で、大気中に遍在する∞の力の存在を表しているのだから。
今年も頑張りましょう。