社会科学上の不満

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パラオ、親日国に来年天皇陛下訪問決定

2014-12-28 00:00:58 | 外交と防衛

 先人に感謝しなければならいことを最近良く感じる。我々は戦前日本は酷いことを世界に特にアジア諸国に行ってきたと教育されてきた。しかしネットが普及し日教組をはじめとした左翼の言っている嘘が暴かれてくるに、日本人であることの誇りと先人の生き様に深い感銘を受ける。

 今回は戦後70年にして天皇陛下の訪問が決まったパラオについて感激したエピソードである。

 基本世界は特亜三国以外、親日国である。パラオに関しては台湾と同様お年寄りが親日であり戦後米国の信託統治で日本統治下の記憶を消そうとするも失敗している。

 特亜三国やその支援マスコミには非常に頭の痛い存在が台湾とパラオである。現在も日本人の名前がつけられた子供たちが多い。人口2万人強の国である。フィリッピンの南東にあり北半球にある国である。

 戦後70年の節目の2015年4月天皇陛下の訪問が決まった。パラオ守備隊の玉砕は本当に全滅である。軍事用語の「全滅」は40%の戦闘不能な死傷者を越えれば「全滅」と表現する。しかしパラオの日本軍約1万は生存者数十人、捕虜2百人と言う本当に全滅である。「玉砕」と「全滅」とはこれほど明確な違いがある。

 日本軍の基地があったペリリュー島で島民約900人が「一緒に戦いたい」と懇願するパラオ国民代表を日頃温和な中川大佐(中将)は「帝国軍人が貴様ら土人と共に戦えるか」と激高した。日本も自分たちを見下げていたのかと悔しく涙が流れたそうだ。そして避難船が出航すると海岸に全日本兵が出てきて「達者にくらせよ」とか一緒に歌った歌を大声で歌ってくれたそうだ。中川大佐も大きく手を笑顔で振っていたそうだ。「土人」自分たちを見下げた言葉ではなく自分たちを巻き込まないため、中川大佐が言った言葉と理解できた住民は涙が止まらなかったそうだ。

 戦力比約5倍、3日で終わると豪語していた、米海兵隊第一師団は全滅、75日もの戦闘となった。次第に日本は追い詰められ玉砕する。しかしパラオの国民には1人もの犠牲者がなかった。戦闘後米軍は「日本兵1人に1500発以上の弾丸が必要だった」と記録している。戦闘が終了したペリュー島に戻った島民が見たものは打ち捨てられた日本兵の遺体であった、米軍が片付けたのは米兵の遺体だけ。その余禄もなかったと見るのが正しいようだ。米軍も死傷者約9800人、精神に異常をきたした兵多数、本当に余裕がなかった。泣きながら島民は日本兵の遺体を埋葬したそうだ。しかし未だ多数の遺体が野晒しのままである。

 戦後ニミッツ提督が立てた碑である。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
"Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz

 14世紀からスペイン統治、ドイツ統治、第一次世界大戦後の国際連盟により依頼されての日本の統治、第二次世界大戦後の米国統治、そして2006年の完全独立。

 パラオの方は日本の統治時代が一番良かったと言ってくれる。本当に有り難い事だ。先人の功績を我々が受けている。

 パラオの国旗は日本の影響を強く受けている。議員全員一致で決まったそうだ。

 天皇陛下は長年このペリリュー島訪問をご希望されていたそうだ。やっと適う。残念ながら日教組教育のせいでこのようなスバラシイ祖先が居たことをソ連や中韓北が言う自虐史観を植え込まれてきた。米国も日本の復権が恐ろしくて東京裁判史観を強要してきた。

「大東亜戦争」の呼称を禁じ「太平洋戦争」の呼称を強要した。英国の浮沈艦と呼ばれる戦艦を撃沈したベンガル湾はインド洋である。中華民国と戦ったのは中国大陸である。因みに中国共産党は日本と殆ど戦っていない、中国共産党の人民開放軍(八郎軍)は逃げてばかりであった。

 別に侵略戦争をしろとは言っていない。侵略されたら戦う「自然権」はある。GHQの日本国憲法草案起草者も自衛権は自然権であるとNHKスペシャルで応えていた。

 先人たちの功績が、「日本を今も信頼に値する特別な国」として世界中で評価されている。子孫の我々は、少々恥ずかしい。少々どころではなく恥ずかしい。

 【パラオ国民が作った、ペリリュー島守備隊を讃える歌】


一 激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
  オレンジ浜を血で染めた
  つわものたちはみな散って
  ペ島はすべて墓(はか)となる

二 小さな異国のこの島を
  死んでも守ると誓いつつ
  山なす敵を迎え撃ち
  弾射ち尽くし食糧もない

三 ヘいしは桜を叫ぴつつ
  これが最期の伝えごと
  父母よ祖国よ妻や子よ
  別れの”桜"に意味深し

四 日本の”桜"は春いちど
  見事に咲いて明日は散る
  ペ島の”桜"は散り散りに
  玉砕れども勲功はとこしえに

五 今もののふの姿なく
  残りし洞窟の夢の跡
  古いペ島の習慣で
  我等勇士の霊魂守る 

六 平和と自由の尊さを
  身をこなにしてこの島に
  教えて散りし"桜花"
  今では平和が甦る

七 どうぞ再びペリリューヘ
  時なしさくらの花びらは
  椰子の木陰で待ちわびし
  あつい涙がこみあげる 

https://www.youtube.com/watch?v=M_lZt4FKJDo

https://www.youtube.com/watch?v=vQaZ6SHqOxA

 

 *写真は中川大佐(中将)

コメント (1)
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