毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

101歳 たとえ目が見えぬとも

2022年09月24日 | 人権

ブラボーわが人生 信仰体験〉第102回 101歳 たとえ目が見えぬとも2022年9月17日

  • 「多少のことは笑い飛ばしましょう」
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん

  
 【青森県八戸市】両目が見えない。左目は物心のつく頃に、右目は8年前に視力を失った。けれども、江刺家キミさん(101)=地区副女性部長=は、笑顔になれる一日を「ありがたいもんだなあ」と感謝している。
  

撮影前に髪を整える
撮影前に髪を整える
  
●本文

  
 あらー、よくいらっしゃいましたなー。このばあさんが(取材を)承知した後に、困ったことしたなーって、ちょっと後悔しましたった。だけどまあ、当たって砕けろで、冒険もいいことだと。人間やっぱり、何かに挑戦する気持ちが、いいと思いますよー。
 はい、ちっちゃい時、病気したらしいですね。それで左目が見えなくなりました。大変でしたな。家のことを、ぜーんぶしないとなんねえの。
 宿命的な家系でのお、知ってるだけでも上3代、主婦が40代で亡くなるのです。私の母もそうでした。
 私は一番下の妹をおぶって、高等小学校に行ってたんだけど、先生に「うちのことが山盛りにあるから、学校やめます」って。そしたら「お母さんの代わりにしっかり働いてちょうだい」と激励されました。友達は楽しそうだから、だんだん会うのがつらくなって、外に出ないようにした記憶があります。
  

部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい

  
 戦争中に結婚しました。4人の子を産んだけど、兄の嫁さんも早くに死んだわけ。私も死んじゃうのかなあ。子どもがつらい思いをするなあ。おびえておったんですね。
 昭和38年(1963年)の暮れでした。東京の学校に行ってるせがれが帰省してな。
 「母さん、これ読んどいておくれ」
 黒革の分厚い御書を渡すわけです。私は読書が好きだから、一生懸命に読みました。
 意味は分からないのに、日蓮大聖人の言わんとすることが分かるんですねー。この信心は、宿命を転換する力があるんだなと。それで、せがれに「母さんはやるよー!」って電話したの。
 初めて折伏できた時の喜びは、味わったことのない気持ちでしたな。勢いついちゃって、40代を越えて、気付けば50歳。池田先生と初めてお会いできました。
 昭和46年の6月14日でしたな。池田先生が八戸会館(当時)においでになったと聞きつけての、夢中で会館まで走りましたな。会場がぎっしりで、一番後ろで膝立ちしました。
  

ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」
ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」

  
 池田先生は、ユーモアを交えるのですねー。みなさんニコニコ聞いて、気持ちがほぐれる感じです。
 「みなさんの功徳を倍にしてください」って話されましたな。さてさて、どういうふうに倍にしたらいいのかな。はたと考えました時、「俺は信心しない」と宣言した主人が浮かんだわけです。
 よし!と。主人のそばに聖教新聞を毎日置いたんです。こっそり読んだんだべなあ。10年して、「俺もやってみるかなあ」。したり!と思いました。
  
 だけどやっぱり、人にはうれしいことより、困ったことの方が、次から次へとありますな。1日のうちに右目が見えなくなっての。ある時の衝撃からです。
 8年前でした。ほれ、小学校に通う時におんぶした一番下の妹が、病気で亡くなったんですね。東京で元気にしてると思ったのに。私が主人に先立たれて寂しそうにしてたら、「姉さん、一緒に暮らそう」って優しかったのに……。
 妹の骨を玄関で頂いて、後のことは分かりません。どのくらい泣いたもんだか。泣いて泣いて泣いて泣いて。気が付いたら、目が見えなくなってたの。
 こうなった時に、死にたいと思う人の気持ちが、分かったようだったな。
  

「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」
「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」

  
 でも、新聞に載ってる池田先生のお話を、娘(長女の佐々木ウタ子さん、76歳、総県女性部主事)がいつも読んでくれます。
 池田先生はすごいなー。世界一の創価学会はすごいなー。信心の世界中の集まりの中に、自分も一人入ってるんだと思うと、うれしいんですね。
 やっぱり、長生きが私の役目でないかな。
 たとえ目が見えなくなったって、心の眼には、八戸会館に来られた時の池田先生が、しっかりと映っていますからね。
 あれは……池田先生が私を応援するために、わざわざ八戸に足を運んでくれたんだと思うようになりました。無学なばあさんの早合点と笑ってください。
 “長生きするんだよ。うんと長生きして、世界のともしびになるんだよ”
 そんなふうに、心の眼の先生は、希望を持たせてくれるんですなあ。真剣勝負で題目あげると、それがしみじみと分かります。涙が出てきます。
  

5年前の写真。ひ孫に囲まれて
5年前の写真。ひ孫に囲まれて

 
 よし、くじけない心を倍にしよう! そういう出発ができた時、池田先生とつながれた感じがしたんですねえ。
 だからもう、多少のことは笑い飛ばしましょう。そしたら次に、喜びの春の陽光がまいります。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)で、春風が吹いてきますよ。あっはっは。
 じいさん、ばあさんの代からの宿命を転換できたと確信しております。子どもたちが「母さん、よくぞ!」と褒めてくれます。
 もう何にも苦がありませーん。目が悪くなっても、耳が聞こえますから、そんなに悲観しないで、平常な気持ちで暮らしております。
 まずまずこの調子だから、何にも取材にならなかったと思いますよ。いやいや、お恥ずかしい。
  

キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
 
●後記

  
 キミさんは窓辺に腰掛け、光が差す方を見上げた。「きょうは青空だなあ」。明るいか暗いかは分かる。101歳の澄んだ黒い眼に、雲ひとつない空が映っていた。笑顔が印象的で、この人の心が大空に溶け込んでいるようだった。
 楽な人生ではなかったはずだ。不信を抱いたことは? 「いやー、絶対に一度もなかったです」と語気を強めた。じょっぱり魂(強情という意味の方言)を感じさせる声だった。
 キミさんはユーモアの人で、「写真撮るなら整形しとけばよかった」とか、「その辺がごちゃごちゃしてても、目が見えないからいいわあ」とか楽しい。
 なるほどと思ったのは、人と接する時の心構えだ。「やっぱり愛情です。まず、相手を好きになることから……」。真剣なお顔がひときわまぶしい。
 で、次の日。インターホンを押すと、長女のウタ子さんが出迎えてくれた。どうぞどうぞの後、くるりと奥を向き、大きな声で「お母さーん、お見合い相手が見えましたよー」。この過激な愛情表現に、クラッときた。タキシードでも着ていけば良かったなあ。(天)
  

3:09
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危機の時代を生きる

2022年09月24日 | 妙法

危機の時代を生きる〉 インタビュー ジャーナリスト 田原総一朗氏2022年9月24日

  • 「宗教のための人間」か 「人間のための宗教」か

 ジャーナリストの田原総一朗氏が、長年の取材をもとに著した『創価学会』(毎日新聞出版)。その文庫版が7月に発刊された。高度成長の時代から創価学会に強い関心を持ち、取材を重ねてきた田原氏は、危機に直面する現代をどう見つめているのか。今、宗教が果たすべき役割についてインタビューした。(聞き手=小野顕一、村上進)

排除の壁

 ――気候変動、コロナ禍、ウクライナ危機と、人類的課題が相次いでいます。
 
 非常に大きいのは地球環境問題でしょう。このままいけば、30~40年後には地球に住めなくなるかもしれない。パリ協定(産業革命以降の平均気温上昇を2度、理想的には1・5度未満に抑えることを目指す国際枠組み)が結ばれ、できるだけ早く石炭や石油といった化石燃料の使用を減らすなど、エネルギー政策を見直していこうという動きがありますが、福島原発事故の影響もあり、原子力発電をどうしていくかという一つをとっても、明確な答えが出にくい難題です。
 
 そして、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて世界が踏み出そうとした矢先のコロナ禍、今年のウクライナ危機です。常に変化を続ける時代にあって、私たちはどう生きていくべきか。本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
 
 容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
 
 まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
 
 こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。
 
 ――長年、創価学会を見つめてこられました。
 
 僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
 
 でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
 
 まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
 
 二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
 
 三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
 
 「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。

田原氏の著作『創価学会』(毎日新聞出版)。7月に文庫版が発刊された
田原氏の著作『創価学会』(毎日新聞出版)。7月に文庫版が発刊された

 この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
 
 名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
 
 振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。

信仰と理性

 ――73年、初めて池田名誉会長を取材された時、「信仰と理性」の関係について話題になったそうですね。
 
 この時の僕は、信仰とは、理性をかなぐり捨てて、ひたすら祈りを捧げることで成り立つものだと考えていました。ただ「理性には限界があるから、宗教が必要だ」という人も多く知っていた。それで「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
 
 すると“理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る”と、思いがけない答えが返ってきた。
 
 僕が大変に尊敬し、親しくしていた人に、哲学者の梅原猛さんがいます。彼はカント、デカルト、ニーチェをやった後に、釈迦の研究を始めた。「なぜ釈迦を?」と聞くと、「田原さん、人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と言うんです。
 
 理性を大事にする哲学者が宗教の重要性を語り、一方で、信仰を大事にする宗教者が理性の重要性を語っている。
 
 名誉会長は“人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つはなんら矛盾していません”とも言っていました。
 
 理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。
 
 ――今、求められる宗教の価値とは何でしょうか?
 
 人生とは一体何なのか。そこを追求して、「生きる意味」を見いだしていけるのが宗教だと思います。
 
 僕も生きる意味について、必死に探した時期があります。答えを得るために、ある新興宗教の合宿に参加したこともある。そこでは因果応報を説いていました。現世が良くないのは、前世での行いが良くないから――というものです。
 
 多くの宗教で「救い」が説かれていますが、そのほとんどは、あくまで死後や来世での救いを言っている。一方で創価学会は、この世で「宿命転換」や「人間革命」ができるという。
 
 現世で成果が出るというのは、創価学会の新しさであり、強みですね。今、自分の人生に希望が持てる。ここが大きな特徴だと思います。
 
 僕が初めて創価学会を取材したのは、テレビディレクターをしていた64年のことです。「人間革命」という言葉を聞いて、疑問に思っていた。革命っていったら、権力を打ち倒す改革じゃないか。人間を革命するなんて、どうやるのか。そんなことが果たしてできるのかって。

息づく母性原理

 ――取材を女性から始められたそうですね。
 
 日本の社会で弱い立場に立たされてきた女性が、創価学会の中でどのように活動しているのか。20人ほどの女性を取材しましたが、皆、例外なく、池田名誉会長への信頼を語ってくれました。宗教団体のリーダーだからというのではなく、身近な次元でつながっているという実感です。この絆、一体感が創価学会の強さなのだと思います。
 
 ここで付け加えれば、創価学会の平和への思いは、女性の学会員の存在抜きには語れないとも感じています。なぜなら、彼女たちの活動には、真に平和を願い、生命を慈しむ「母性原理」が息づいているから。僕は、競争や強権を旨とするような「男性原理」だけでは、本当の平和は訪れないと思っている。
 
 名誉会長のスピーチや著作からは、その平和の思想の根底に、母性原理が存在することが見てとれます。創価学会の女性が、さまざまな活動の担い手として立ち、公明党の支援にも全力を尽くせるのは、名誉会長のそうした信念と深く重なっていることを実感できているからなんでしょう。

 ――平和への思いを、お聞かせください。
 
 僕は戦争を知る最後の世代。それは、ある意味で幸せなことだと思っています。
 
 玉音放送を聞いたのは、小学5年の夏休みでした。
 
 終戦前、ラジオや新聞が、こぞって国民の英雄だと褒めたたえていた人が非難された。アジアの国々を独立させ、植民地を解放する「正義の戦争」だと信じていたのに、「戦争は悪」だと180度変わったんです。
 
 ところが高校に入学すると朝鮮戦争が始まり、そこで「戦争反対」と言ったら「お前はいつから共産党になったんだ」と叱られた。
 
 偉い人やマスコミは信用できない――これがジャーナリストになったきっかけです。伝聞や推定じゃなく、1次情報を自分でちゃんと確かめなきゃいけない。
 
 今、僕の生きる目的は三つあります。
 
 一つ目に、言論の自由を絶対に守る。
 
 二つ目に、日本に戦争をさせない。戦争を肯定するような人間には、断固、反対して、糾弾する。
 
 三つ目に、政治を活性化させたい。その3点ですね。

一期一会の絆

 ――創価学会の海外における発展を、どうご覧になりますか。
 
 いくら国内で大きくなったとはいっても、正直なところ、世界の壁は非常に厚いだろうと思っていました。鎌倉時代の歴史的背景がある純日本宗教だし、経典も題目も漢字で書かれています。日本の植民地支配によって、反日感情が根強く残っている国だってある。でも、創価学会は世界でも発展を続けている。それは数を見ても顕著です。
 
 仏教や日蓮のことを知らない、もともと別の宗教を信仰していた人たちが、なぜ創価学会を選ぶのか。海外の幹部にもインタビューしました。魅力や入会動機は千差万別でしたけれど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
 
 僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自身の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。

逆境に臆せず立ち向かう そこに創価学会の真価が

 ――世界宗教への道程と挑戦にあって、何が重要でしょうか。
 
 日本の宗教として前人未到の領域に踏み込むことであり、当然、困難は避けられないでしょう。ただ僕は、その答えはすでに示されていると思う。
 
 池田名誉会長が作家の松本清張と対談するため、京都を訪れた折のことです。車が赤信号で止まった時、オートバイに乗っていた2人の少年が、車内の名誉会長に手を振った。名誉会長も窓から手を出して振り返した。しかし、すぐに信号が青に変わり、車とオートバイはそれぞれ走り出してしまう。そこで名誉会長は「あの2人の少年を何とか捜し出せないか」と。
 
 その夜、何と2人の名前と住所が判明します。名誉会長は手元にあった著書に署名して贈り、その後も会って激励を重ねています。
 
 一回、会った人を非常に大事にする。そのままにはしない。この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結び付きがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長と会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。
 
 これからも、苦難や逆境にひるむことなく、励まし合って立ち向かっていく。そこに創価学会の真価が発揮されていくのではないでしょうか。
 
 この時代の危機をどのように転換していけるのか、注目しています。

 たはら・そういちろう 1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所を経て、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社。77年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を開く。98年、城戸又一賞を受賞。『日本の戦争』(小学館)、『日本人のための新「幸福論」』(三笠書房)など著書多数。
 
 
 ご感想をお寄せください。
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の革命作家・魯迅の言論闘争に学ぶ「民衆を救う言葉の力」 

2022年09月24日 | 妙法

中国の革命作家・魯迅の言論闘争に学ぶ「民衆を救う言葉の力」 連載〈勇気の源泉――創立者が語った指針〉2022年9月24日

“勉学に励み、体を鍛え、21世紀の大舞台で、正義のために、平和のために、全てに勝利していきましょう!”――新入生に万感のエールを送る池田先生(2000年4月)
“勉学に励み、体を鍛え、21世紀の大舞台で、正義のために、平和のために、全てに勝利していきましょう!”――新入生に万感のエールを送る池田先生(2000年4月)
●創価大学・女子短大の入学式(2000年4月)

 〈2000年4月に行われた創価大学(第30回)・創価女子短期大学(第16回)の入学式。席上、創立者・池田先生に、中国の北京魯迅博物館から「名誉顧問」の称号が贈られた。式典で先生は、21世紀を担い立つ英知の若人たちに向け、革命作家・魯迅の箴言や生き方を紹介した。
 先が見えない閉塞感が漂う社会の中で、今、多くの人が不安を抱えて生きている。そうした人々の苦悩に寄り添い、希望と活力を送る「言葉の力」について、改めて先生のスピーチに学びたい〉
  
 「第一に重要なことは、いったい何か? それは人間の教育にある。人間が確立していけば、どんな事業でも成し遂げていくことができるからだ」(以下、「文化偏至論」〈伊東昭雄訳、『魯迅全集』1所収、学習研究社〉を参照)
 これこそ、わが尊敬する魯迅先生の根幹の思想の一つであります。
 「勇猛にして恐れなき人間をつくれ!」「剛毅にして不屈の人物を育てよ!」「人類の尊厳のために、万難を排して、断固として前進する青年よ、登場せよ!」
 魯迅先生は、こう主張してやみませんでした。
 わが創価大学は、「民衆のため」「平和のため」「世界のため」という明確なる目的を掲げた大学であります。
 私は、この創価大学こそ、人類史が待望する揺るぎなき信念の人材群を育成しゆく「希望の教育の城」であっていただきたいと念願する一人であります。民衆を忘れ、未来を忘れて、「就職のため」「立身出世のため」だけになってしまえば、もはや大学は必要ないのであります。

創価大学の第30回、創価女子短期大学の第16回入学式。席上、池田先生の北京魯迅博物館「名誉顧問」就任を記念して、魯迅の子息の周海嬰氏(右端)が見守る中、魯迅の故郷・紹興を描いた絵画が贈られた(2000年4月、創大池田記念講堂で)
創価大学の第30回、創価女子短期大学の第16回入学式。席上、池田先生の北京魯迅博物館「名誉顧問」就任を記念して、魯迅の子息の周海嬰氏(右端)が見守る中、魯迅の故郷・紹興を描いた絵画が贈られた(2000年4月、創大池田記念講堂で)
「論争」の時代

 〈“魯迅がつづり残した不滅の哲学は、世紀を超えて青年に多くのメッセージを伝えている”と訴える池田先生は、魯迅に学ぶべき人生の視座を学生たちに語りかける〉
  
 その一つとして、「忍耐強く、徹して学びぬけ!」ということが挙げられるのであります。(以下、顧明遠『魯迅―その教育思想と実践』〈横山宏訳、同時代社〉を参照)
 魯迅先生は、口先の理想や格好いい言葉やスローガンを叫ぶだけの青年には、まことに厳しかった。そういう人間を軽侮した。それでは、現実に「民衆を救う力」は持てないからであります。
 民衆と「直結」でいくのです。自分中心ではなく。
 私自身、創価学会の会長となって以来、40年間、ただ会員の皆さまのために、寸暇の休みもなく戦ってきました。人々に社会に貢献する心で、私自身の一切を、創価学会に、そして創価大学、学園等に捧げてきました。それが私の人生であります。
 皆さんは、決して恵まれた環境ではないかもしれない。しかし、苦労して、働きながら、また民衆とつながりながら、学んでいく。それが本当の「勉強」であると私は思う。
 魯迅先生もまた、「苦しさに耐えて学問を求めよ!」と、謙虚にして地道な粘り強い研鑽を訴えたのであります。
  
 さらに私は、魯迅先生の青年教育を通して、皆さま方に申し上げたい。「正義を叫びぬく、戦う知性たれ!」と。
 ある時、魯迅先生のもとにやってきた一人の青年が、現実社会の行き詰まりを嘆いて、弱々しく愚痴をこぼした。(以下、石一歌『魯迅の生涯』〈金子二郎・大原信一訳、東方書店〉から引用・参照)
 「いまわれわれには自由に大声で笑い、叫び、罵れる場所があまりないのです……」
 すると、すかさず魯迅先生は、鋭く問い返した。
 「では、なぜ自分で発言の場所を作らないのです?」と。
 青年よ、敢然と大胆に、声をあげたまえ!――これが、魯迅先生の一貫した叱咤でありました。若人にとって、臆病な沈黙は「敗北」です。魂の「死」であります。
  
 魯迅先生は、仏法についても研究を深めておられました。仏法では「末法」、つまり「現代」という時代の様相を、「闘諍言訟」と言い表しました。すなわち、「戦い」「争い」「論争」の時代であると説いているのであります。
 この時代にあって、何が大切か? 私の師匠である戸田先生は、こう教えました。
 「戦いの勝利の原理は『勇気』と『忍耐』と『智慧』である」と。そして「言論は、機関銃のごとく! 大砲のごとく!」と。
 ともあれ、「雷鳴がとどろいて万物を冬眠から呼び起こすように」(「破悪声論」伊藤虎丸訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)、複雑な時代を、そして複雑な社会を覚醒させてゆく「正義の大声」を、青年が胸を張り、堂々と叫び切っていくことを、魯迅先生も信じ、期待していたのであります。
 わが創大生こそ、この魯迅先生の期待に応えて、先頭に立って、勇敢に恐れるものなく戦い、また戦って、偉大なる「青春の歴史」を、「不滅の自分史」を、つくっていっていただきたいのであります。

魯迅(1881~1936年) ©Bettmann/Getty Images
魯迅(1881~1936年) ©Bettmann/Getty Images
悪には容赦なく

 〈魯迅は、青年時代の1902年春に日本に留学し、牧口先生と縁ある教育機関で学んだ。池田先生は、その歴史を紹介し、同時代を生きた二人の信念の歩みに光を当てる〉
  
 魯迅先生が日本留学の第一歩を踏み出したのが、有名な「弘文学院」であります。この弘文学院では、ほぼ同時期に、若き牧口先生も、中国の英才たちに、「人生地理学」を講義しました。
 光なき暗い時代にあって、魯迅先生と牧口先生は、ともに正義のため、人道のために殉じていかれました。その思想と人生は、奥深く共鳴しあっております。
 なかんずく、お二人の最大の共通点は何か?
 それは、迫害の連続のなかで、最後の最後まで、悪と徹して戦いぬいた点であります。
 中国の文化史を通じて、魯迅先生ほど、あらゆる勢力から攻撃を受けた偉大な知性の方はいない、と言われております。
 魯迅先生も、売らんがための雑誌によって、つねに悪口を捏造され、書き立てられたのでした。
 また巨大な魯迅先生に敵対することで、自分たちを大きく見せようとする連中も、渦巻いていました。いつの時代にも見られる、浅ましい「妬み」と「謀略」の構図が、ここにあるのです。
 しかし、魯迅先生は、そうした輩に対しては、憤然と反撃していかれました。
 “利害にとらわれた知識階級などニセ者である”(「知識階級について」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社、参照)、“歴史上、陰謀によって文豪になった人間など、いない”(「310202 韋素園宛 書簡」深澤一幸訳、同全集14所収、参照)等々――魯迅先生の反論は、まことに痛烈でありました。
  
 魯迅先生は、どこまでも虐げられた民衆の側に立って、あらゆる邪悪を容赦なく攻めて、攻めぬいていったのであります。悪との戦いにあって、魯迅先生は中途半端な妥協は、絶対に許さなかった。それは、なぜか。
 魯迅先生は、断言されております。「光明と暗黒とが徹底的にたたかうことをせず、実直な人が、悪を見のがすのを寛容と思い誤って、いい加減な態度をつづけてゆくならば、今日のような混沌状態は永久につづくだろう」(竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫)と。
 この深き哲学を、諸君も、よくよく胸に刻んでいただきたいのであります。ここにこそ、心から尊敬できる「戦う知性」の使命があり、責務があるからであります。

険しき山に挑め

 〈結びに池田先生は、新たな世紀の主役たる創大・短大の新入生へ指針を贈る〉
  
 ちょうど、40年前(=1960年)、私は、第3代会長就任を前に、日記に、魯迅先生の随筆「生命の道」の一節を書き記しました。その言葉を、大切な新入生の皆さまに贈りたい。
 「道とは何か。それは、道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから」(前掲『魯迅評論集』)
 また、19世紀、ロシア最高峰の文芸評論家と言われたベリンスキーは、叫んだ。「精神には、肉体と同様に、運動が必要である。それなしに何もせず、無力になれば、精神は衰える」。そして、「人間性とは、人類愛のことである。それは、自覚や教育によって育まれるものである」。
 さあ、太陽のごとく昇りゆく、若き新入生諸君! 新しき学問の大道を、新しき自己の建設の坂道を、そしてまた、自分自身の勝利へ、自分の決めた眼前にある険しき山を、登り切っていってくれたまえ!――そう申し上げたいのであります。
  

 ※スピーチは、『池田大作全集』第142巻から抜粋し、一部表記を改めた。

 〈ご感想をお寄せください〉
 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする