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危機の時代を生きる

2022年09月24日 | 妙法

危機の時代を生きる〉 インタビュー ジャーナリスト 田原総一朗氏2022年9月24日

  • 「宗教のための人間」か 「人間のための宗教」か

 ジャーナリストの田原総一朗氏が、長年の取材をもとに著した『創価学会』(毎日新聞出版)。その文庫版が7月に発刊された。高度成長の時代から創価学会に強い関心を持ち、取材を重ねてきた田原氏は、危機に直面する現代をどう見つめているのか。今、宗教が果たすべき役割についてインタビューした。(聞き手=小野顕一、村上進)

排除の壁

 ――気候変動、コロナ禍、ウクライナ危機と、人類的課題が相次いでいます。
 
 非常に大きいのは地球環境問題でしょう。このままいけば、30~40年後には地球に住めなくなるかもしれない。パリ協定(産業革命以降の平均気温上昇を2度、理想的には1・5度未満に抑えることを目指す国際枠組み)が結ばれ、できるだけ早く石炭や石油といった化石燃料の使用を減らすなど、エネルギー政策を見直していこうという動きがありますが、福島原発事故の影響もあり、原子力発電をどうしていくかという一つをとっても、明確な答えが出にくい難題です。
 
 そして、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて世界が踏み出そうとした矢先のコロナ禍、今年のウクライナ危機です。常に変化を続ける時代にあって、私たちはどう生きていくべきか。本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
 
 容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
 
 まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
 
 こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。
 
 ――長年、創価学会を見つめてこられました。
 
 僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
 
 でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
 
 まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
 
 二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
 
 三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
 
 「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。

田原氏の著作『創価学会』(毎日新聞出版)。7月に文庫版が発刊された
田原氏の著作『創価学会』(毎日新聞出版)。7月に文庫版が発刊された

 この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
 
 名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
 
 振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。

信仰と理性

 ――73年、初めて池田名誉会長を取材された時、「信仰と理性」の関係について話題になったそうですね。
 
 この時の僕は、信仰とは、理性をかなぐり捨てて、ひたすら祈りを捧げることで成り立つものだと考えていました。ただ「理性には限界があるから、宗教が必要だ」という人も多く知っていた。それで「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
 
 すると“理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る”と、思いがけない答えが返ってきた。
 
 僕が大変に尊敬し、親しくしていた人に、哲学者の梅原猛さんがいます。彼はカント、デカルト、ニーチェをやった後に、釈迦の研究を始めた。「なぜ釈迦を?」と聞くと、「田原さん、人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と言うんです。
 
 理性を大事にする哲学者が宗教の重要性を語り、一方で、信仰を大事にする宗教者が理性の重要性を語っている。
 
 名誉会長は“人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つはなんら矛盾していません”とも言っていました。
 
 理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。
 
 ――今、求められる宗教の価値とは何でしょうか?
 
 人生とは一体何なのか。そこを追求して、「生きる意味」を見いだしていけるのが宗教だと思います。
 
 僕も生きる意味について、必死に探した時期があります。答えを得るために、ある新興宗教の合宿に参加したこともある。そこでは因果応報を説いていました。現世が良くないのは、前世での行いが良くないから――というものです。
 
 多くの宗教で「救い」が説かれていますが、そのほとんどは、あくまで死後や来世での救いを言っている。一方で創価学会は、この世で「宿命転換」や「人間革命」ができるという。
 
 現世で成果が出るというのは、創価学会の新しさであり、強みですね。今、自分の人生に希望が持てる。ここが大きな特徴だと思います。
 
 僕が初めて創価学会を取材したのは、テレビディレクターをしていた64年のことです。「人間革命」という言葉を聞いて、疑問に思っていた。革命っていったら、権力を打ち倒す改革じゃないか。人間を革命するなんて、どうやるのか。そんなことが果たしてできるのかって。

息づく母性原理

 ――取材を女性から始められたそうですね。
 
 日本の社会で弱い立場に立たされてきた女性が、創価学会の中でどのように活動しているのか。20人ほどの女性を取材しましたが、皆、例外なく、池田名誉会長への信頼を語ってくれました。宗教団体のリーダーだからというのではなく、身近な次元でつながっているという実感です。この絆、一体感が創価学会の強さなのだと思います。
 
 ここで付け加えれば、創価学会の平和への思いは、女性の学会員の存在抜きには語れないとも感じています。なぜなら、彼女たちの活動には、真に平和を願い、生命を慈しむ「母性原理」が息づいているから。僕は、競争や強権を旨とするような「男性原理」だけでは、本当の平和は訪れないと思っている。
 
 名誉会長のスピーチや著作からは、その平和の思想の根底に、母性原理が存在することが見てとれます。創価学会の女性が、さまざまな活動の担い手として立ち、公明党の支援にも全力を尽くせるのは、名誉会長のそうした信念と深く重なっていることを実感できているからなんでしょう。

 ――平和への思いを、お聞かせください。
 
 僕は戦争を知る最後の世代。それは、ある意味で幸せなことだと思っています。
 
 玉音放送を聞いたのは、小学5年の夏休みでした。
 
 終戦前、ラジオや新聞が、こぞって国民の英雄だと褒めたたえていた人が非難された。アジアの国々を独立させ、植民地を解放する「正義の戦争」だと信じていたのに、「戦争は悪」だと180度変わったんです。
 
 ところが高校に入学すると朝鮮戦争が始まり、そこで「戦争反対」と言ったら「お前はいつから共産党になったんだ」と叱られた。
 
 偉い人やマスコミは信用できない――これがジャーナリストになったきっかけです。伝聞や推定じゃなく、1次情報を自分でちゃんと確かめなきゃいけない。
 
 今、僕の生きる目的は三つあります。
 
 一つ目に、言論の自由を絶対に守る。
 
 二つ目に、日本に戦争をさせない。戦争を肯定するような人間には、断固、反対して、糾弾する。
 
 三つ目に、政治を活性化させたい。その3点ですね。

一期一会の絆

 ――創価学会の海外における発展を、どうご覧になりますか。
 
 いくら国内で大きくなったとはいっても、正直なところ、世界の壁は非常に厚いだろうと思っていました。鎌倉時代の歴史的背景がある純日本宗教だし、経典も題目も漢字で書かれています。日本の植民地支配によって、反日感情が根強く残っている国だってある。でも、創価学会は世界でも発展を続けている。それは数を見ても顕著です。
 
 仏教や日蓮のことを知らない、もともと別の宗教を信仰していた人たちが、なぜ創価学会を選ぶのか。海外の幹部にもインタビューしました。魅力や入会動機は千差万別でしたけれど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
 
 僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自身の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。

逆境に臆せず立ち向かう そこに創価学会の真価が

 ――世界宗教への道程と挑戦にあって、何が重要でしょうか。
 
 日本の宗教として前人未到の領域に踏み込むことであり、当然、困難は避けられないでしょう。ただ僕は、その答えはすでに示されていると思う。
 
 池田名誉会長が作家の松本清張と対談するため、京都を訪れた折のことです。車が赤信号で止まった時、オートバイに乗っていた2人の少年が、車内の名誉会長に手を振った。名誉会長も窓から手を出して振り返した。しかし、すぐに信号が青に変わり、車とオートバイはそれぞれ走り出してしまう。そこで名誉会長は「あの2人の少年を何とか捜し出せないか」と。
 
 その夜、何と2人の名前と住所が判明します。名誉会長は手元にあった著書に署名して贈り、その後も会って激励を重ねています。
 
 一回、会った人を非常に大事にする。そのままにはしない。この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結び付きがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長と会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。
 
 これからも、苦難や逆境にひるむことなく、励まし合って立ち向かっていく。そこに創価学会の真価が発揮されていくのではないでしょうか。
 
 この時代の危機をどのように転換していけるのか、注目しています。

 たはら・そういちろう 1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所を経て、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社。77年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を開く。98年、城戸又一賞を受賞。『日本の戦争』(小学館)、『日本人のための新「幸福論」』(三笠書房)など著書多数。
 
 
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