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原爆スラム”と呼ばれた町で――どん底を知るからこそ

2022年05月20日 | 妙法

原爆スラム”と呼ばれた町で――どん底を知るからこそ 一途に願う地域の幸せ2022年5月20日

  • 連載〈SOKAの現場〉ルポ・団地に生きる㊤ 広島
基町団地の友がにぎやかに。それぞれの立場で地域に尽くす日々を重ねる
基町団地の友がにぎやかに。それぞれの立場で地域に尽くす日々を重ねる

 創価学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、上下2回の取材ルポと、社会学者・開沼博氏による学会の原動力を探究した寄稿を掲載していく。今回のテーマは「団地に生きる」。少子高齢化や外国人との共生といった社会変化の最前線で、団地部の友は課題にどう向き合っているのか。広島市の中心部に位置する基町の団地部員を取材した。(取材=小野顕一、加藤伸樹。次回のルポは5月下旬、寄稿は6月に掲載予定)

広島市中区の基町団地
広島市中区の基町団地

 原爆ドームのほど近く、広島城の真向かいに、白く際立つ住宅群がある。
 1978年に完成した広島市営基町高層アパート。隣接する中層住宅と共に、基町団地とも称される。
 団地が並ぶ川沿いでは、豊かに緑が茂り、市民が思い思いに過ごす。
 現在の平穏な光景からは想像もつかないが、この地域はかつて“原爆スラム”と呼ばれ、バラック小屋が立ち並んでいた。

 広島への原爆投下によって、辺りは一瞬にして廃虚と化した。行く当てのない人々は、がれきから材料をかき集めて雨露をしのいだ。
 当時を知る松浦悦子さん(女性部副本部長)が振り返る。
 「戦後の街は活気にあふれとったけど、みんなもがいとった。どうにも生きていけん人が逃げ込んできたのが“原爆スラム”じゃったけん」

松浦悦子さん
松浦悦子さん

 松浦さんは7歳の時、行方不明の伯父を捜すため、原爆投下直後の爆心地付近へ。二次被爆による体の変調に苦しんできた。「放射能はうつる」「体が弱く就職は無理」「結婚しても子どもは産めん」との噂に、「私はいつ“原爆症”が出るのか」と恐怖に苛まれた。
 未来への希望が持てない中、姉が結核となり余命数カ月の宣告を受ける。母に連れられ、姉と一緒に学会に入会。懸命な唱題の中で治療薬が功を奏し、姉は1カ月で外出できるまでに。弘教に飛び回り、いつも笑顔で帰宅する姉の姿に、松浦さんは「原爆症の不安も消えるんじゃなかろうかって、私も基町を折伏で歩き回りました」と述懐する。
 被爆者への差別や偏見に加え、当時、二重の苦しみにさらされていたのが在日コリアンの人々であった。
 被爆したことだけでなく、出身も隠さなければ、仕事も将来もなかった。
 高橋啓子さん(地区副女性部長)には、自分の子どもが幼い頃に「朝鮮と遊ぶな」と後ろ指をさされた記憶が残る。
 「私も小学生の時にいじめに遭いました。強くなければ生きていけなかった」
 そんな基町の一角で、老若男女、誰に対しても分け隔てない、とびきり明るい集いがあった。
 学会の座談会である。
 どこに暮らそうが、どこの出身だろうが関係ない。そこにはただ、“一緒に幸せになっていこう”との情熱があふれていた。

 基町に高層住宅が立ち、原爆スラムが姿を消したのは1978年。バラックから移り住んだ人々は、モダンで先進的な住居に胸を躍らせた。高層アパートは日照や通風、プライバシー等が考慮され、「く」の字形に連結。屋上は連続したオープンスペースとなり、団地内には小学校や幼稚園、ショッピングセンターなども配置されている。
 再開発事業の完成記念碑には、「この地区の改良なくして広島の戦後は終わらない」と刻まれている。だが、新しい暮らしに沸く住民の一方で、「建物は変わっても、住んどるもんの苦しみは何も変わっちゃおらん。朝起きてみたら、わしゃまだ生きとる」と、嘆きに沈んだままの人もいた。
 それを知る基町の学会員は、広布へいよいよの決意を固めていた。「この人たちが幸せと言えない限り、戦後は終わらない」と。
 その中心の一人が、崔さん(故人)という在日の婦人だった。

胸襟を開いて

 75年11月、基町団地のそばにある県立体育館(現在の広島グリーンアリーナ)で本部総会が開かれた。
 池田先生は、人類の根本的な原点に立って、人と人との垣根を取り払う、胸襟を開いた対話をと訴えた。
 「皆さん方、一人一人が創価学会そのものであり、それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人一人に、それだけの尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」
 人間の尊厳を守り、輝かせていくため、身の回りの人たちとの絆を大切に――と呼び掛けたのである。
 この池田先生の思いを、真っすぐに受け止めたのが崔さんだった。
 被爆した影響か、ずっと体が弱かった。学校でも近所でも仲間外れにされ、バラックを飛び出した。妹を“原爆症”で亡くし、兄は自ら死を選んだ。
 信心を知り、崔さんは「ウチでも人並みに生きられるかもしれん」と立ち上がる。「よーし。題目あげて革命しよう」「基町広布は私がやるんじゃ」が口癖だった。その確信が、苦悩に沈んだ人たちに希望の灯をともしていく。
 非行に走る若者十数人を「メシさえあればワルにはならん」と世話し、皆が心を入れ替え、そろって学会に入会したこともある。
 「ダメでもともと。人間は変わっていくんだから、今日はダメでも、いつかは分かってくれる」――いつも周囲を元気づける崔さんは、やがて棟の自治会長に推され、住民の心のよりどころとなっていった。
 同じ在日の高橋さんは、差別や生活苦だけでなく、親族内の不和にも苦しんでいた。人生を終わらせようとしたのも一度や二度ではない。だが、どんなに状況が厳しくとも「題目をあげると、それでも周囲を幸せにしたいという気持ちになった」という。その境遇を知る人は、彼女が生き抜けたことに驚きを隠せない。

高橋啓子さん
高橋啓子さん

 「人生のどん底でしたけど、どんとした実証を見せないと、信心のすごさが伝わらないですから」と、ほほ笑みを絶やさない高橋さん。今、棟の組長として汗を流す日々だ。

どんな人とも仲良く!

 団地に入居した当初、家庭内の問題で悩んでいた阿部昌子さん(地区副女性部長)。学会の先輩に相談するたび、「環境のせいにしてはいけないよ」「題目をあげよう」と、厳しくも温かく諭された。
 ふに落ちないながらも唱題に励むと、冷静になれ、自分が変わろうと思えた。いつしか問題は解決し、地域に尽くす崔さんの背中を追うように。団地の衛生部長と会計を担い、老人会の副会長を務める。
 入居する住民に「ウチは学会なんよ。なんでも相談してちょうだい」と、気さくに話し掛ける。部屋は同じ間取りで、困りごとも手に取るように分かる。
 高齢の単身者が多い団地では、阿部さんの「何に困っとるん?」という温かな声が命綱という人も多い。
 住民の信頼も厚く、その人柄を慕い、昨年、今年と学会に入会する人が続く。団地内だけでも、これまで19世帯の家族が阿部さんの折伏で信心を始めた。

阿部昌子さん
阿部昌子さん

 「隣近所には苦手な人もおる。じゃけどね、そうした人とも親しくする。こちらが心を開いた分、必ずあちらも開いてくれるんよ」
 以前は荒れ放題だったという棟の屋上を、市の許可を得て庭園に整備。四季折々の花を育て、住民にプレゼントしてきた。
 花を渡しがてら、孤立することのないよう声を掛ける。現在、屋上庭園は団地全体に広がっている。 

絶えない課題

 日本全体の高齢化が進む中で、団地にも急激な高齢化の波が押し寄せる。
 基町団地でも、高齢化や外国人住民の増加に伴う課題は絶えない。団地の高齢化率は46%で、市平均の24%の倍近い数字である。
 20棟からなる基町団地で外国人との共生の模範となっているのが、藤井イツ子さん(副班担当員〈副白ゆり長〉)が自治会長を務める棟である。

藤井イツ子さん
藤井イツ子さん

 今年で21年目。20ある自治会の中で、最も長く自治会長として貢献してきた。
 朝早くから清掃や体操の運営に奔走。住民は藤井さんの在宅時を見計らって、「もう題目終わった?」と相談にやって来る。
 家のポストには、毎日のようにお礼のメモが。一枚見せてもらうと、名前は書かれておらず、かえって絆の強さを物語る。「内容とか筆跡で、あの人かなって分かりますよ」
 外国人住民との間で、トラブルになるのが“ゴミ問題”。言葉や文化の違いが誤解につながる。
 藤井さんは外国人の家庭とも仲良く交流を続け、時に温かく、時に毅然と対応し、深い信頼を得ている。
 「おかげさまでたくさんの人が支えてくれて。毎日があっという間です」と、充実感をにじませる。
 

社会建設の主役

 現在、団地の役員を務める学会員は33人を数える。
 基町団地の完成当初から世話役として尽くし、連合自治会の中心者である徳弘親利さん(基町地区社会福祉協議会会長)は語る。
 「基町は学会員さんが運営しとるんじゃないか、というくらい一生懸命やっとる。自治会も社会福祉も民生委員も、ほとんどの活動を助けてもろうとる」

徳弘親利さん
徳弘親利さん

 「原爆の時からここに住んどった人とか、他から公募で入ってきた人とか、いろんな背景を持つ人が暮らす基町を一つにするというのは難しいし、すごく行動力がいるけん。じゃけん、学会員は訓練されとるから安心して任せられる」と、感謝を惜しまない。
 団地の中央にあり、住民同士の憩いの場であるふれあいサロン「ほのぼの基町」は、全国から視察に来るモデル的存在。そこでも多くの学会員が携わっている。
 住民と接する中で、少しでも異変を感じれば、すぐに地域包括センターへつなぐ。昔は自死や孤独死もあったが、今はほぼ聞かない。地区の活性化計画に基づき、若年世帯やUターン・Iターン住民も増加中だ。
 「徐々にですが若い世代も増えてきています」。そう語るのは松島円さん(副班担当員)。2004年、結婚と同時に学会に入会し、団地に入居した。
 基町小学校では、PTA会長として奮闘。「以前より子どもの数は少ないですけど、その分、みんなが親密で、仲が良い。外国の子たちとも、楽しく付き合えて。団地にちょっとずつ活気が出ています」

平和は足元から始まる
基町団地から南を望む。右側の円すい形の建物は本部総会の開催地ともなった広島グリーンアリーナ。その手前はかつて原爆スラムと呼ばれた
基町団地から南を望む。右側の円すい形の建物は本部総会の開催地ともなった広島グリーンアリーナ。その手前はかつて原爆スラムと呼ばれた

 バラックの時代から基町を知る松浦さんは、草創からの本紙通信員でもある。今月で64年目。基町の移り変わりを見続けてきた。
 「信心しとらんかったら人生も家族も崩壊しとった人ばかり。悲惨のどん底におったから、どんな人も幸せにしたいという、一途な思いにあふれとる」
 座談会では、病苦や生活苦に歯を食いしばる様子が語り合われてきた。互いの苦闘に涙し、勇気をもらう中、その日を生きるので精一杯だったはずの“宿命”を、基町の団地部員は、縁する人と共に立ち上がる“使命”に変えてきた。
 かつて池田先生は、広島の通信員に被爆者がいることを知り、「大思想は原爆を恐れじ」とつづり、松浦さんに贈っている。
 「平和といっても身近な人に声を掛け、寄り添うことから始まります。そうでなければ確かな根を張れません」。そう話す松浦さんは、小中学校や平和記念公園で被爆体験の語り部を続けるとともに、足元から一対一の対話に徹してきた。
 長男の義弘さん(班長〈ブロック長〉)は、先月から自治会長に。“平和は私から、近隣から”の心が次代に継がれていく。
 団地部結成の歴史がつづられた小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章の中で、池田先生は記している。
 「学会員のなかには、かつては、社会の底辺で宿命に泣き、来る日も来る日も、ため息まじりに生きてきた人たちも少なくない。その庶民が、決然と頭を上げて、あの地、この地で、社会建設の主役となって、表舞台に躍り出たのだ。そこに、創価学会が成し遂げてきた民衆教育の、刮目すべき偉大な功績がある」
 被爆の苦しみ、過酷な差別――筆舌に尽くせぬ宿命を使命に変えてきた基町の友は、高齢化や外国人との共生における課題に対しても、地域の要の存在として安心を広げている。
 直面する問題が変わろうとも、不屈の信心を胸に、人々と共にあり続け、不安を上回る希望を生み出していく。ここに、いかなる状況からも価値を創造していく、学会の真骨頂がある。

「SOKAの現場」の過去の連載はこちらからご覧いただけます(電子版有料会員)。

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 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03-5360-9613

 
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希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 信仰の姿勢2

2022年05月20日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 信仰の姿勢2022年5月20日

  • さあ、今日も語ろう!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は各地の友に思いをはせてつづった随筆から、信仰の姿勢について紹介します。(引用元の『全集』は、『池田大作全集』です)

一瞬の出会いが勝負

 焦るな。だが、絶対に時を逃すな。出会いの一瞬一瞬が勝負だ。
 
 自分がどれだけ誠実に友に会い、友を知り、友と語り、友を励まし続けたか。どれだけの友に、発心と成長の種を植えたのか。ここに、すべての勝敗は、かかっているからだ。
 
 仏法の眼で見れば、「皆、仏」である。
 
 まず自分自身が広宣流布の勝利のために立ち上がり、「新しき広布の英雄よ、集まり給え!」と祈りに祈る時、使命の人材が涌出しないはずは絶対にないのである。
 
 その人材を見つけるのだ。
 
 その人材を育てるのだ。
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈わが常勝の関西城〉、『全集』第135巻、102ページ)
 

会うことが人間革命

 「地涌の菩薩」とは、広宣流布のために、見栄や気取りをかなぐり捨てた「対話の勇者」の異名である。
 
 あらゆる人と勇んで会い、誠実に、賢く、粘り強く、語って語って語り抜いていくことだ。その辛労のなかにのみ、地涌の菩薩の偉大な生命が開花するからである。
 
 会うことが、「人間革命」の戦いである!
 
 語ることが、「広宣流布」の第一歩である!
 
 これこそが自身を菩薩の境涯に高めゆく、至極の「人間修行」であり「仏道修行」なのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈創価の完勝へ 兵庫の船出〉、『全集』第134巻、320ページ)
 

「勇猛」に前進しよう

 「勇猛」とは、「敢んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」(『六巻抄』「依義判文抄」)とある。
 
 「勇」とは、「勇んで行動する」勇気だ!
 
 状況がどうあれ、「さあ、今日も語ろう!」「さあ、今日も前進しよう!」と、勇んで立ち向かっていくことである。
 
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くす」執念だ!
 
 どんな壁に突き当たっても諦めない。
 
 「あの友を、どうすれば味方にしていけるか」「この友を、どうすれば納得させられるか」――必死に祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。
 
 わが友よ、戦おうではないか!
 
 わが同志よ、戦おうではないか!
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈わが闘魂を九州青年部に託す〉、『全集』第135巻、272ページ)
 

「一人への励まし」を

 御書を繙けば、邪悪との激戦のなかで、「志のある人たちは寄り合って」「皆が同じ心で」等々と、弟子を励ましておられる。そこには上も下もない。皆が大聖人門下として、心を一つに戦えとの、深き御指導であられた。
 
 御書には「一は万が母」(全498・新578)とある。
 
 広布の拡大は、常に「一人への励まし」から始まる。
 
 そして団結もまた、「一人への励まし」が原点だ。
 
 一人また一人が師子となって、真剣に立ち上がり、偉大なる目標へ、一日また一日を勝って勝って勝ちまくるなかで、互いの生命の麗しき勇気と正義の絆が強く結ばれていくものだ。
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈新世紀の光・埼玉〉、『全集』第135巻、115ページ)
 

初夏を彩るアヤメを池田先生がカメラに収めた(1990年6月、福島県で)。先生は「“何ものにもおかされない”――そんな芯の強い美しさを感じさせる花である」と。花言葉には「よき便り」との意味がある。“師弟の月・7月”へ、一人一人の信心の朗報を届けていきたい
初夏を彩るアヤメを池田先生がカメラに収めた(1990年6月、福島県で)。先生は「“何ものにもおかされない”――そんな芯の強い美しさを感じさせる花である」と。花言葉には「よき便り」との意味がある。“師弟の月・7月”へ、一人一人の信心の朗報を届けていきたい
題目は形式ではない

 題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
 
 散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
 
 「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
 

戦いがあるから幸福

 私は、強く、強く思った。
 
 「戦いを起こす」――この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
 
 仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
 
 それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
 
 さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
 
 戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
 

一念が全てを変える

 「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
 
 「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
 
 一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
 
 この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
 
 祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈中部五十年――大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)

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