〈トインビー対談開始50周年記念インタビュー〉㊦ 河合秀和学習院大学名誉教授2022年5月23日
- 人類の危機の克服に向け
- 「自己超克」の宗教を探究
本年は、池田先生とイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士との初めての対談が行われてから50年。その現代的意義について、21日付に続き、河合秀和学習院大学名誉教授へのインタビューを掲載する。(聞き手=志村清志、小野顕一)
こちらから、インタビュー㊤をご覧いただけます。
――対談で池田先生は「人類が生き延びるためには、科学とともに、どうしても宗教が必要であることが明らかになってくる」と述べ、トインビー博士は「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」と応じました。人類が直面する危機の克服へ、対談では「宗教」について掘り下げられています。
二人が共通して抱いていた問題意識は、“人間の理性は果たして万能なのか”という点です。19世紀以降、科学技術の発達によって人々の生活が向上すると、人間のつかさどる理性が、さも真実であるかのような理解が広がっていきました。その分、それまで人々の生活の根幹にあった宗教が、重要視されなくなっていったのです。
18世紀の啓蒙思想の哲学者デイヴィッド・ヒュームは、理性や科学の“傲慢さ”に対して批判的な立場を取り、「理性は情念の奴隷である」と指摘しました。理性はある目的を達成するための手段を教えてくれますが、目的そのものは人間の好き嫌い、情念から生じます。ところが理性は、悪の奸計を立てるのにも役立ってしまいます。だからヒュームは、「理性は情念の奴隷でなければならない」と書き足すのです。こうして理性の働く範囲が限定されることによって、理性と宗教の両立が可能になります。
核兵器を巡る議論は、“理性は万能なのか”という問いを人類に突き付けています。現在、地球上には、地球を何十回も破壊できるほどの核兵器が蓄えられています。そして、その破壊力をもって平和を維持するという「核抑止論」が、それなりの正当性を得ています。
しかし、核兵器を何万発も保有することが、果たして合理的と言えるのでしょうか。ウクライナ危機により、核兵器使用の危険性が高まる今、改めて、「核兵器は狂気の兵器ではないか」という問い掛けが求められています。そこで、宗教は極めて大切な役割を担えるのではないでしょうか。国家の安全保障から個人の生命尊重に至るまで、真に「人間らしい」対策とは何かを見直す時が来ていると言えます。
――トインビー博士は、「自己超克」こそ宗教の真髄であり、人類の危機を克服する方途であると対談で語っています。池田先生は、自己超克を成し遂げる力は全ての人に潜在的にそなわっていると指摘し、その自己変革を可能とする実践が「人間革命」であると示しました。
2度の世界大戦を経験したトインビー博士が、ありとあらゆる歴史を見つめてきた末に導き出した結論が「自己超克」であると思います。
ただし、自己超克といっても、決して急進的なものではないはずです。一つの岩から彫刻作品を生み出すように、自分自身の「人間のまっとうさ」を求め、確認するような粘り強い一歩一歩が必要であると私は考えます。
加えて対談では、「大我」(宇宙的・普遍的自我)と「小我」(個人的自我)の関係性について語り合われている箇所があります。ここでも、どちらか一方が重要ということではなく、その調和・融合が志向されているのは重要な点であると思います。小説『ドン・キホーテ』に描かれる、理想主義のドン・キホーテと現実主義の従者サンチョ・パンサのように、確かな理想を掲げつつも、常に自制心を持ち、現実的に行動を起こす。そうした絶妙なバランス感覚が不可欠でしょう。
――対談集は12章で構成され、77もの多彩なテーマに及んでいます。特に印象に残っている箇所はありますか。
対談の中で池田会長は、「いまの社会は、まだ女性がその潜在能力を男性と同じように発揮できる平等社会ではなく、男性と同じだけの仕事をしても平等の報酬を受けているとはいえません」と発言されています(「健康と福祉のために」の章、「母親業という職業」)。1970年代初頭の対談当時において、先進的な発言です。
2010年代後半から、セクシュアルハラスメント被害を告発する「#MeToo」運動が急速に広がるなど、女性の権利に関する新たな展開が生まれましたが、現代社会から改めて対談内容を読み直してみると、その先見性に驚きます。
女性の人権を巡る議論は、対談後の50年間で大きく発展しました。ジェンダーや性的マイノリティーなど、当時の社会では想定されていなかった課題も出てきています。その点は、次代を担う青年の皆さんが、対談の本質を読み解き、現代的な展開をしていってほしいと思います。
対談では、生命の尊厳を守り、育み、大切にする女性の特質が、人類や人間社会にとって極めて普遍的な重要性を持つという共通認識から対話が展開されていきます。
私は創価学会について、他の組織や団体と比べて女性がはるかに活躍されているという印象を受けてきました。学会の女性がいかんなく力を発揮できているのは、そうした池田会長の女性の力への信頼が根底にあることと無関係ではないでしょう。
コロナ禍や紛争の影響で経済格差がより深刻になる中、社会の不平等を是正するための政策の要となるのは、女性と子どもへの視点です。
この問題に一番取り組める力を持っているのが、公明党だと思っています。多くの女性議員が活躍し、一貫して福祉政策を推し進めてきたからです。国と地域の緊密な連携や、その実現力には、目を見張るものがあります。
――池田・トインビー対談後の創価学会の50年の歩みを、どうご覧になりますか。
オックスフォード大学で同僚だった宗教社会学者のブライアン・ウィルソン博士が来日し、池田会長と対談された後、意見交換したことがあります。
ウィルソン博士から聞いた話によれば、池田会長は、聖職者を持たない俗人宗教や一般人の立場で教義を説く俗人説教者について、具体的な質問をされていたようです。
創価学会は、僧侶や寺院ではなく、在家信徒によって運営する組織として発展を遂げてきました。これは日本の仏教史上、まれに見る転換であったと思います。
私は、池田会長とトインビー博士の二人が、ある意味での「予言者」であったと考えています。
ここで言う「予言」とは、単に「先見性がある」という意味ではありません。「歴史家は、後ろ向きの予言者」といわれるように、トインビー博士は過去の歴史を振り返りつつ、未来への警鐘を鳴らす人でありました。そのため、未来に対しては時に悲観的な立場をとります。
一方、池田会長は、戦後社会の思想的空白の中で、創価学会の指導者として立ち上がります。そして、平和と福祉という目標を掲げ、その理想を実現しようと行動を起こしてきました。その印象を率直に言うなら、「腰の据わった予言者」とも感じます。
対談においても、非常に大胆に、「この世界はきっと良くなっていく」「良くしていく」と楽観的に未来を捉え、遠大なスケールで対話の実践を広げてきました。
かつて、来日したトインビー博士の質問に、私は「社会の恩恵を得ることのできない人々に希望と展望を与えているのが創価学会なのです」と答えました。その時に回答した通りの発展を、学会は続けてこられたと思います。
トインビー博士と交わした「世界に対話の旋風を」との約束を、池田会長が現実の行動の中で果たされたように、危機を越える新しい希望と展望を対話の実践の中で広げてほしいと期待します。
かわい・ひでかず 1933年、京都府生まれ。62~65年、73~75年、オックスフォード大学で研究活動を行う。専門は比較政治、イギリス政治。学習院大学教授、中部大学特任教授などを歴任。主な著書に、『ジョージ・オーウェル』(研究社出版)、『トックヴィルを読む』(岩波書店)、『クレメント・アトリー――チャーチルを破った男』(中央公論新社)など。池田・トインビー対談開始50年を記念して発刊された論集『文明・歴史・宗教』(東洋哲学研究所)に、寄稿が掲載されている。
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