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希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 信仰の姿勢2

2022年05月20日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 信仰の姿勢2022年5月20日

  • さあ、今日も語ろう!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は各地の友に思いをはせてつづった随筆から、信仰の姿勢について紹介します。(引用元の『全集』は、『池田大作全集』です)

一瞬の出会いが勝負

 焦るな。だが、絶対に時を逃すな。出会いの一瞬一瞬が勝負だ。
 
 自分がどれだけ誠実に友に会い、友を知り、友と語り、友を励まし続けたか。どれだけの友に、発心と成長の種を植えたのか。ここに、すべての勝敗は、かかっているからだ。
 
 仏法の眼で見れば、「皆、仏」である。
 
 まず自分自身が広宣流布の勝利のために立ち上がり、「新しき広布の英雄よ、集まり給え!」と祈りに祈る時、使命の人材が涌出しないはずは絶対にないのである。
 
 その人材を見つけるのだ。
 
 その人材を育てるのだ。
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈わが常勝の関西城〉、『全集』第135巻、102ページ)
 

会うことが人間革命

 「地涌の菩薩」とは、広宣流布のために、見栄や気取りをかなぐり捨てた「対話の勇者」の異名である。
 
 あらゆる人と勇んで会い、誠実に、賢く、粘り強く、語って語って語り抜いていくことだ。その辛労のなかにのみ、地涌の菩薩の偉大な生命が開花するからである。
 
 会うことが、「人間革命」の戦いである!
 
 語ることが、「広宣流布」の第一歩である!
 
 これこそが自身を菩薩の境涯に高めゆく、至極の「人間修行」であり「仏道修行」なのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈創価の完勝へ 兵庫の船出〉、『全集』第134巻、320ページ)
 

「勇猛」に前進しよう

 「勇猛」とは、「敢んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」(『六巻抄』「依義判文抄」)とある。
 
 「勇」とは、「勇んで行動する」勇気だ!
 
 状況がどうあれ、「さあ、今日も語ろう!」「さあ、今日も前進しよう!」と、勇んで立ち向かっていくことである。
 
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くす」執念だ!
 
 どんな壁に突き当たっても諦めない。
 
 「あの友を、どうすれば味方にしていけるか」「この友を、どうすれば納得させられるか」――必死に祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。
 
 わが友よ、戦おうではないか!
 
 わが同志よ、戦おうではないか!
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈わが闘魂を九州青年部に託す〉、『全集』第135巻、272ページ)
 

「一人への励まし」を

 御書を繙けば、邪悪との激戦のなかで、「志のある人たちは寄り合って」「皆が同じ心で」等々と、弟子を励ましておられる。そこには上も下もない。皆が大聖人門下として、心を一つに戦えとの、深き御指導であられた。
 
 御書には「一は万が母」(全498・新578)とある。
 
 広布の拡大は、常に「一人への励まし」から始まる。
 
 そして団結もまた、「一人への励まし」が原点だ。
 
 一人また一人が師子となって、真剣に立ち上がり、偉大なる目標へ、一日また一日を勝って勝って勝ちまくるなかで、互いの生命の麗しき勇気と正義の絆が強く結ばれていくものだ。
 
 (「随筆 人間世紀の光」〈新世紀の光・埼玉〉、『全集』第135巻、115ページ)
 

初夏を彩るアヤメを池田先生がカメラに収めた(1990年6月、福島県で)。先生は「“何ものにもおかされない”――そんな芯の強い美しさを感じさせる花である」と。花言葉には「よき便り」との意味がある。“師弟の月・7月”へ、一人一人の信心の朗報を届けていきたい
初夏を彩るアヤメを池田先生がカメラに収めた(1990年6月、福島県で)。先生は「“何ものにもおかされない”――そんな芯の強い美しさを感じさせる花である」と。花言葉には「よき便り」との意味がある。“師弟の月・7月”へ、一人一人の信心の朗報を届けていきたい
題目は形式ではない

 題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。
 
 散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。
 
 「団結」とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈わが青春の舞台・文京〉、『全集』第134巻、13ページ)
 

戦いがあるから幸福

 私は、強く、強く思った。
 
 「戦いを起こす」――この一点に、日蓮仏法の精髄が脈動していることを。
 
 仏の生命とは、勇気を奮って、来る年も来る年も、元初の決意をもって、厳然と戦い勝ちゆく法理であることを。
 
 それは何よりも、自分自身の惰性、油断、臆病などの、内なる魔を破る戦いだ。
 
 さらにマンネリ化した古い発想、人びとを縛る固定観念などを打破しゆく戦いだ。
 
 戦いがあるから、人は自己の建設と、境涯を開くことができる。そこに、限りなく広げられた幸福の大海原が待っているのだ。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈神奈川の大精神〉、『全集』第133巻、338ページ)
 

一念が全てを変える

 「断じて勝つ!」と決めた瞬間、己心の壁は破れる。
 
 「さあ来い!」と困難に挑みかかる、胸中の師子が目覚めるのだ。
 
 一念が変われば、行動が変わり、執念が変わる。
 
 この人を絶対に救いたいと思えば、どうして通り一遍の対応ですまされようか! 会えなければ会えるまで、話せなければ話せるまで、ぶつかるだろう。
 
 祈りも具体的になる。相手の悩みは何なのか、どう話せば一番心に響くのか。悩んでは祈り、祈っては悩み、知恵を絞りに絞るだろう。一念の不思議さである。
 
 (「随筆 新・人間革命」〈中部五十年――大勝の源流〉、『全集』第134巻、245ページ)

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