さいたま市のテント劇団「どくんご」の上演を受け入れることになった。足掛け4年ぶりである。テントを建てる会場は、あのときとおなじ宮崎市の「東宮花の森団地」である。あのとき、ここは宅地ばかりがひろがり、西は霧島連峰、東は太平洋の海岸線がみえた。いまは、住宅でびっしり埋まっている。近くの自治集会所も家屋の向こうにみえなくなった。集会所では、外山由紀子のフルートコンサートや、東京からの劇団「黒テント」の公演も行った。まだそのころまでは、あたりは、のっぱらの感覚が残っていた。
集会場の九島館長と、団地の販売センター浜武所長を2年ぶりに訪ねると、所長は、ぼくの名前も顔も覚えていてもらえた。あっさりと、あまりにもあっけなく6月18日から23日までテントを建てる承諾をもらえた。
「実は借用費ですが・・・」ときりだしたとたん「金はいりません」と所長さんはそくざに言うのだ。「あんときは、たしか挨拶に焼酎かなんかやなかったかな」と館長が口ぞえをされたので、「そうでした。それに菓子折りを持ってきました(笑い)・・・、すみません、かれらも今回もまた赤字でしょうから、こんなことで」 本当は、かれらの西日本巡演での赤字は、宮崎公演でいっきょに埋めることができてきたのだ。この地で借金がチャラになっていた。
終わってみると30分足らずの相談であった。テントなどを建てて芝居をするという常識はずれのパーフォマンスは、融通無碍な判断、モノにとらわれぬ柔軟な判断力ができるひとでなければ、話のもっていきようがないのだ。市街には公園は、はいてすてるほどあるが、ここでテント芝居をやれば住民にとってよほど便利なのに、規則によって貸してもらえない。かびのはえたような滑り台と、ション便臭い砂場の公園なのに、なにをもったいぶって貸さないのかとおもうのだけど、融通の利かぬ管理意識のためである。
田んぼの高級音楽ホールでクラシックを聞くだけで、ほんとに、何かが、残るのだろうか。自分の暮らす場所での演劇や音楽、これがいい。生活の場に藝術があること、キューバや、アイルランドや、アジアの諸国のように、この団地がそういう状況に近づいてきたのが楽しい。
集会場の九島館長と、団地の販売センター浜武所長を2年ぶりに訪ねると、所長は、ぼくの名前も顔も覚えていてもらえた。あっさりと、あまりにもあっけなく6月18日から23日までテントを建てる承諾をもらえた。
「実は借用費ですが・・・」ときりだしたとたん「金はいりません」と所長さんはそくざに言うのだ。「あんときは、たしか挨拶に焼酎かなんかやなかったかな」と館長が口ぞえをされたので、「そうでした。それに菓子折りを持ってきました(笑い)・・・、すみません、かれらも今回もまた赤字でしょうから、こんなことで」 本当は、かれらの西日本巡演での赤字は、宮崎公演でいっきょに埋めることができてきたのだ。この地で借金がチャラになっていた。
終わってみると30分足らずの相談であった。テントなどを建てて芝居をするという常識はずれのパーフォマンスは、融通無碍な判断、モノにとらわれぬ柔軟な判断力ができるひとでなければ、話のもっていきようがないのだ。市街には公園は、はいてすてるほどあるが、ここでテント芝居をやれば住民にとってよほど便利なのに、規則によって貸してもらえない。かびのはえたような滑り台と、ション便臭い砂場の公園なのに、なにをもったいぶって貸さないのかとおもうのだけど、融通の利かぬ管理意識のためである。
田んぼの高級音楽ホールでクラシックを聞くだけで、ほんとに、何かが、残るのだろうか。自分の暮らす場所での演劇や音楽、これがいい。生活の場に藝術があること、キューバや、アイルランドや、アジアの諸国のように、この団地がそういう状況に近づいてきたのが楽しい。