今日は昼から、演劇とひさしぶりに関わりあう一日となった。昼はラーメン店のカウンターで宮崎日日新聞文化面の本県の自立劇団時評が目についた。一読後 その苦々しさはおりのように胃にもたれていた。どうして、たかが劇団をこうも権威づけることに、終始するのか理解に苦しむ。大衆の注意を演劇に向けようとする啓蒙的意図があるのだろうか。とすれば、完全に逆効果である。時評氏の権威付けた自立劇団の演劇は、面白くないことで、大衆の不評を買い続けている劇団だからである。
午後3時半、デパート・カリーノの8階にある百人収容の小劇場で一年ぶりに熊本市からかけつけた木内里美と当市の浜崎けい子の「ふたりでばー」(ばあちゃんシリーズ)を見た。ホール内は笑いであふれた。何十年も家事をやってきた女性ならではつたえられぬ日常にひそむおかしさ、しぶとさが、リアリティをもっていた。思想とか、芸術性とかそんなものを学ぶために演劇を見に来るわけではないって。
午後6時、鹿児島市に来ていた浦和市の劇団「どくんご」の伊能代表から今宮崎市に入ったと電話。午後7時、喫茶店「ウイング」でかれと3年前の実行委員5名を誘って会い、その6月テント公演を引き受けることにした。一昨年の斎藤晴彦主催「黒テント」受け入れを最後にもう二度と演劇上演は引き受けないとは、おもっていたが、結局またやることにした。伊能をみると、どうしても肩をいれざるをえなくなったのだ。テントの持つ人間くささは、理屈も精神も超えている、もんくなしに面白い、ただそれだけである。だからやるのだ。演劇とはとどのつまりこれだけのものだとぼくは思うのだ。
午後3時半、デパート・カリーノの8階にある百人収容の小劇場で一年ぶりに熊本市からかけつけた木内里美と当市の浜崎けい子の「ふたりでばー」(ばあちゃんシリーズ)を見た。ホール内は笑いであふれた。何十年も家事をやってきた女性ならではつたえられぬ日常にひそむおかしさ、しぶとさが、リアリティをもっていた。思想とか、芸術性とかそんなものを学ぶために演劇を見に来るわけではないって。
午後6時、鹿児島市に来ていた浦和市の劇団「どくんご」の伊能代表から今宮崎市に入ったと電話。午後7時、喫茶店「ウイング」でかれと3年前の実行委員5名を誘って会い、その6月テント公演を引き受けることにした。一昨年の斎藤晴彦主催「黒テント」受け入れを最後にもう二度と演劇上演は引き受けないとは、おもっていたが、結局またやることにした。伊能をみると、どうしても肩をいれざるをえなくなったのだ。テントの持つ人間くささは、理屈も精神も超えている、もんくなしに面白い、ただそれだけである。だからやるのだ。演劇とはとどのつまりこれだけのものだとぼくは思うのだ。