市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

イオンと肝っ玉

2005-03-26 | Weblog
  一ヶ月半ぶりにイオン宮崎ショッピングモールの建物を見に行った。印象はがらりと変わってしまった。巨大から広いになった。建物より場の広さが圧倒した。すぐに隣接するレストラン喫茶「森の詩季」に向かい、入るなりクニちゃん(オーナー)を探し「聞きたいことがあっちゃが」ときりだすと、「なんね、なんね」と2階の窓際に席をもうけてくれた。この窓いっぱいにイオンが広がっている。

「気持ちはどうね?」
「えっ?!」
ぼくの指差す窓いっぱいのイオンだとわかって
「じつはね、こん土地を隣の稲荷さんから買うときに、神主さんとイオンに反対しないと約束したんよ」
「ここらの地主さんたちは、イオンに土地を貸したがっていた。私も親の代から宮崎に入ってきたニンゲンだから、地元から助けてもらわねば、喫茶店はできないとわかっちょったからね」
両親は県庁前の喫茶「詩季」の経営者で、その教えは染み付いているというのであった。

「イオンってなんかしっちょったつや!」
「知ろうか」

 「森の詩季」は、10人こえるスタッフでもまかないきれないほど繁盛している。ロココ風の店舗は、イオンにない土着の匂いも発散している。彼女ならやりぬくかもと思う。20歳の学生のころから実務的な肝っ玉母さんの精力があった。ダメならどっか移ればいいし、なんの心配はしないよというのだ。

「なんで、そんなにイオンなのね、研究しちょっと?」
「いや、べつに・・」
「ちっとも変わらんが。すぐ好奇心だすし」

 36歳になり子どももいる彼女は、ますます生きるエネルギーに磨きがかかってきた。彼女に比べると、ぼくにとってイオンなどとは「研究」という絵空らごとかもしれない、と言葉につまるしかなかった。「これから、ときどき顔だしてね、近いんだから、順ちゃんも土、日はくるよ、まだ独身だから。大丈夫、大丈夫女30も半ばになればびくともせんて、銀行の肩たたきなんか平気よ」というかっての実習生の近況も聞き、辞した。3月の宮崎は初夏の陽射しだった。
コメント (2)
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