市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎謎所4 臨海公園

2005-03-28 | Weblog
 マリーナ宮崎(ヨットハーバー&人工ビーチ)は、宮崎が誇る公園である。石原都知事をヨットの縁で、完成式典にきてもらった。その式典開始後すぐだったかMRT宮崎放送の一人の記者が、知事は、公務で出席したのかと質問した。これを受けて、石原都知事は、激怒した。おれは、宣伝になると協力したのに!! 失敬な、止めたっ!帰ると、席をけって帰ってしまった。その数年まえ、都農町のリニアモーターカー実験場を視察したとき、石原運輸大臣は、鶏小屋と豚舎しかないところを、リニアが走っているとそっちょくな感想をのべた。

 田舎と思ってバカにしとると、われわれは反感をつのらせた。ぼくは、このむき出しの言動に、くそー負けるわと、痛みが深まった。もはや戦後でないの昭和30年、かれは「太陽の季節」で芥川賞をとった。その小説は、ジョウシキ的な教授や、とりまきの学友たちの知的教養を、痛罵した。そのハイライトは、主人公が勃起した陰茎を外から障子に突きたてたシーンである。わからぬやつに衝撃を、であった。体制反抗であった。今も似ている。しかしあれから半世紀たち、今や主人公は資本主義社会、消費社会の権化として、陰茎を勃起させているとぼくは感じる。

 さて、その後、「みやざき臨海公園」となづけられたヨットハーバーはどうなったのか。海岸にむかって椰子のはえる遊歩道があり、人工ビーチは、こどもたちも安全に海水浴もできる。ひろくあかるい浜にシーガイアの諸施設が映える。このカンヌのような景観には抵抗できない。コーヒーを求めて港の遊歩道からあかぬけしたレストランらしきものにむかって歩いた。海辺に向かったレストランらしき建物に窓がないというのは前衛のつもりかと、さらに近づくと、それはトイレだったのだ。このトイレのほかには、夏場だけ使用される休憩棟だけしかなかった。喰うものも、買うものも、ただ陰茎を握る場しかないのであった。

 これだったら、なにも石原都知事なぞ招聘することはまったくなかったのだ。彼は俺をメディアとして利用すれば、この臨海公園は日本のハイライトになったのにと宣言して帰った。しかし、そんな当事者にはこの欲求はなかったのだ。公園だけ抱いたいればそれで満足なんだから。公園と世界との接点がなく、ただひたすら公園、つまり公園フェッチなのだ。これは正常なのであろうか。ついでに言えばリニア実験線は20年間、農地をつぶして走らせたが、その間、まさに石原都知事の言ったとおり、鶏小屋と豚舎があるだけだった。今、リニア実験場は山梨県に移り、富士五湖の観光コースのカルチャー観光として注目をあつめている。消費社会の花が咲いた。これがいやなら公園フェッチでなく、世界の必要とするあるいは、反消費社会としてそれでいて大衆を引き付ける公園とはなにかを示すべきだったのだ。
コメント
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