市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

伊東マンショ西洋音楽行脚

2005-03-20 | Weblog
 竹井成美さん(宮崎大学教授)の伊東マンショの西洋音楽行脚というレクチャーコンサートを県立劇場で聴いた。およそ400年もむかし、、マンショは日向から長崎、マカオ、インドのコチン、アフリカ喜望峰をまわってリスボンに上陸、スペインを南下、イタリアのピサ、フィレンツェを経てローマに、2年半の時間をかけて到着している。この間に体験した音楽というのだが、マンショの意識に日向と世界がどう写ったのかと思うと、音楽どころでなくなりそうで、この思いをおさえおさえしながら、目の前で演奏される16世紀の音楽を聴いた。
 
 古楽器のせいなのか、演奏される作曲のせいなのか、清澄としかいいようのない音楽世界、音楽が、おれも、われもと、自己主張しない。掌中の玉のような優しい音楽が目の前にある、こんな感じであった。プログラムⅡのピサ宮廷舞踏会のダンスをマンショはどう感じたのだろうと、想像を駆り立てられる。あの衣装、男と女が体をよせて踊るとうようなダンスを400年前、日向で育った少年はどう理解したのだろうか、などと思う。それを振り払いつつ、目の前の西洋というよりどこかのエスニック舞踏のようなダンスに見入る。

 しかし、レクチャーはマンショの意識体験を扱うのでなく、かれが聴いた西洋音楽を実証的に提示したものである。このように目標を限定したことに、このレクチャーの企画・構成の成功があったと思う。それに加えてレクチャーでなく、演奏そのものでわかるようになっていたのが、16世紀音楽をより身近にしてくれた。彼女は、ほとんど司会ていどの短い話をしたが、その一秒も聞き逃すのが惜しいほど、音楽とむすびついていた。終わると、深くおじきされるので、今おこなわれた話がすごく大事なことだったのだと思ってしまうのだ。これは作戦だったのだろうか。

 16世紀の音楽を伊東マンショを通して扱うというのは、よほどの学識、慎重な知的作業がなければできないことだろう。伊東マンショが聞いたというリアリティが感じられねばならない。そのことで、400年前の日向と西洋がつながるし、いったい文化とはなにか、人間とはなんなのかという興味ある問題をつきつけられる。今も田舎である宮崎市で、16世紀のマンショが聞いた音楽を聞けるという知的刺激は快適であった。宮崎という特殊な問題をかぎりなくひろい普遍的な価値のなかでとらえなおしてもらえるとう作業は、まさにわが意をえたりというコンサートであった。ここで小生も竹井さんに90度おじき・・をかえしたい。



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