市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎についての定説について

2005-03-31 | Weblog
   異動の4月になると、メディアの支局長クラスも九州本社、東京本社へと去っていく。かれらの中には、宮崎についての評価をコラムなどで語った。取材という職業が生んだ実際体験は、宮崎を語る定説として蓄積されてきている。ところで、その評価に到るステップには、以下のようなパターンが認められるのである。それを列挙してみると、こうなる。

ステップ 1 遠い土田舎に着任した。
ステップ 2 眠ったような街じゃないか。なんにもない。
ステップ 3 現状保持、やる気も文句もいわない市民の群。
ステップ 4 権威に弱く、役人が決め、役人が支持し、役人が威張る街。
ステップ 5 産業も文化も遅れ、人は働く気もなさそう、こりゃダメだ。 

とこまでで何年かすぎると、とつぜんの反転が生じる。

ステップ 6 なんにもないが豊かな自然は、美しい。
ステップ 7 人々はのんびりとして、和やか、親切。
ステップ 8 これでいいじゃないか、あくせくしても始まらんぞ・・・
ステップ 9 他県のまねはするな、経済の奴隷や、このスローな生活こそ
真実だわい!!

 かくしてステップの最終段階は、哲学的思念つまりハッピーとは何かで終わるのである。そしてかれらは去って行った。しかし、よく考えると、このハッピー感は、宮崎市で暮らすには十分な年収と、孤独を救うそこそこの社会的尊称というマンションに住んでいたからではないか。ここでは六本木ヒルズも新宿三井ビルもお台場や品川の高層マンション群もない。まわりには低層のマンションがあるばかり。見晴らしはよく、わがマンションでもなかなかのものと思えだす。東京のど真ん中でないからだ。ハッピー感とは、まさに相対的であり、主観の抱く幻想といってもいい。でもハッピーならいいじゃないかと、こういうことだ。ただ、そいつは客観的事実ではぜったいない。

 低賃金労働、一時間600円内外で働き、年金も満足に支払えず、社会保険もつかず、何十年もその仕事をしてきている人間にとって、宮崎はハッピーなのか。つまりビンボー人はすごい数なのよ、あんたが知らぬばかりさ。で、ぼくは、じつはビンボー代表ではないの。かなりあんたに似たマンション暮らし。だから、こんなことを書いても、うそ臭い格好つけたリベラリスト、と自己暗鬼、不安、エッセイばか、あほと恐怖感に付きまとわれる。

このハッピーとは悲しくないか。なんか悲しいよね。ぼくのまわりから、ここ10年あまりで、10人をこえる若者が、能力を生かす職場がなく、宮崎市を出て行った。ともに行動してきたネットワークの鎖があちこちで千切れてしまった。スローな生活はぼくのようなトシヨリがやればいいのだと、思う。他県に似ようが似るまいが、そんな念仏はどうでもいい、すべての人々が働ける場をもてる街でなければ、青空も豊かな自然もあったものかと、ぼくは思わざるを得ないのだ。
コメント
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