市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

公共性

2005-03-12 | Weblog
 宮崎県立図書館、宮崎美術館、宮崎藝術劇場のある宮崎県総合文化公園の駐車場利用のマナーについて、近くの住人の一人が、公園管理がなっとらんと、ねじこんだ。 そこで、びびった管理者は、駐車場の有料化、管理人の配置を検討し始めたというのである。そのことで、街のレストラン・オーナーからメールがとどいた。

「12年間公園を見つめてきた私としてはいずれも(有料化、管理人配置)反対です。商売の関係もありますが、なんといっても街の活性化がおちるとおもいます。各館に来て蕎麦屋により、お菓子を買って知人をたずねる。車でお弁当をたべる土木工事のおじさん、タクシーの運転手、お昼寝の営業マン、駐車場だけ使う人もいます。でも少数です。月曜はがらあきです。以前とくらべると各館の利用者は減っています。南九大が移転して来て、学生たちが車を置き公園は学生たちで溢れて、路も華やいでいたのですが、締め出しにあい、今は淋しくなりなました.どうおもいますか?」

 米国の都市論者ジェーン・ジェコブス女子は近代都市化について、世界最初に異議を申し立てたことでしられているが、彼女は、美術館や劇場、音楽ホールのまわりには、喫茶店、雑貨や、レストラン、ブティックなどの店がならんでいることは、その施設よりも大事かもしれないと主張している。ぼくもそう思う。公共の駐車場が、このメールのようにかくも多角的に利用されている実情こそが、まさに公共性なのだと信じる。ねじ込んだアホが日曜箒一本でも持って公園まわりを掃除したことがあるのかといいたいね。あんたも自分の都合しかかんがえてないんだと断言できる。それでもいいんだ、都市は、そういう欲求をうまくバランスをとって満たしていくものです。オーナーのメールは、その現実を報告している。

 そこでバカが登場して、管理を始める。ブルータスよおまえもか!である。
橘通りを駐輪禁止にして崩壊させたまちがいをまた、再現することになる。
役人とは役に立たぬ人という意味ではないかとつくづく思いますね。


コメント (4)
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