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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

映画「五線譜のラブレター」

2006-03-11 11:49:19 | 大学
ひとつ前のエントリー(「オペラとミュージカルとの違い」)の流れで、映画「五線譜のラブレター」(原題は「De-lovely」)を紹介する。
この映画は、一昨年に公開されたもので、コール・ポーターの生涯を妻リンダとの関係を軸に描いたものだ。主演は、ケビン・クライン、アシュレイ・ジャッド。

基本的に苦い映画である。
晩年のコール・ポーター(K・クライン)に、ミュージカル演出家(英国の名優ジョナサン・プライスが演じている)との対話を通して、自分の人生を回想として振り返らせるという構成になっている。

パリで気ままで優雅な暮らしを楽しんでいるコールがリンダと出会い、2人は結婚する。コールの同性愛とリンダとの結婚との緊張関係はあるが、この時期は基本的に順風満帆。リンダの尽力でコールはアービング・バーリンと知り合い、その結果、ブロードウェイ、次いでハリウッドで成功を収めるに至る。
だが、コールが落馬事故で足に障害を負ったところからドラマは暗転する。

映画は、コール・ポーターの生涯をなぞり、コールの作る(作詞作曲)曲の内容と彼の人生が重なりあって進行するというストーリーに仕立ててある。
場面数や登場人物が限定されるためにストーリーを単純化せざるを得ないステージ上でのミュージカルなら、一応これでも成立するかも知れないが、それでも、やはりご都合主義的な感じが残るだろう。
まして映画として見ると、この種の結びつけはいかにもあざとさが目立つと言わざるを得ない。

「ナイト・アンド・デイ」「エニシング・ゴーズ」「ユー・アー・ザ・トップ」「ビギン・ザ・ビギン」など、コール・ポーターの名曲が有名であればあるほど、誰がどういう状況でつくったか、ということとは関係なく「名曲は名曲だ」と言いたくなる。

逆に、この映画のように、これでもか、というようにドラマ仕立ての展開に力が入れば入るほど、どうもピンとこない印象が先にたってしまう。
例えば、「ビギン・ザ・ビギン」はストーリー展開に合わせて(もとは長調の曲を)短調にアレンジしてあるが、これなどまったく別の曲の印象になっていた。(それを巧みな工夫として評価するかどうか好悪の分かれるところだが)

ケビン・クラインもアシュレイ・ジャッドもほとんど別人かと思わせるほどの老けメイクをして若いときとの落差を出そうとしている。これも「ドラマ仕立て」の一要素だが、これも(映像効果としてということではなく)映画の構成としてあまり成功しているようには見えない。

曲が軽快で華やかなものが多くあるだけに、晩年の孤独と苦痛にいろどられたコール・ポーターの人生とのギャップが見ていて痛々しい。

見終わった印象としては、いかにも、インテリがアタマで考えました、というような構成で、理屈抜きで楽しめる映画とは言えないのが残念である。この映画があまりヒットしなかったのもうなづけるというしかない。

どこか使える場面があれば授業で紹介しようと思っていたが、正直なところ、これだとちょっと難しいかも知れない。

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