新入生のガイダンス期間も終わり、通常授業が始まった。
私は、例年のように、1年生向けの「プロゼミⅠ」という授業を担当している。
この授業は、小論文、レポートの書き方を修得させるのが目的である。
昨日は、学生に向かって、最初に少し、大学という場を選んだからには、大学という資源を有効活用するようにと話した。
そのときに、なるべく具体的に大学とのかかわりを考えてもらうために、授業ひとコマに対して授業料をいくら払っていることになるのかを計算してみるように言った。
例えば、跡見女子大学の場合、入学金を除くと、毎年の学納金は、968,000円である。これは、首都圏の女子大学の中で比較するとおトクな(安い)部類である。
これを春、秋の2セメスターに分けると、1セメスターあたり484,000円。学生が毎週何コマの授業を取っているかを考えると、入学したばかりで語学やコンピュータ等の授業が多くある1年生の場合、履修科目数はだいたい14コマくらいだろうから、1科目あたりに直すと約35,000円となる。1セメスターの授業回数は15回とされているから、1回あたりの授業の値段は、約2,300円となる。90分をひとコマとしているので、60分あたりに直すと、1500円強である。
(ちなみに、上級生になると同じ単位数でも必要とされる授業科目数が減るから、単価はもっと高くなる。)
というわけで、ごく単純に言うと、授業を1回サボると、1時間(60分)あたり1500円強をドブに捨てているのと同じことになる。
アルバイトで時給800~900円くらいもらって授業をサボる学生は、親からもらった1500円を捨てて、バイト先から900円をもらっている勘定になるわけである。
逆に、大学をうまく活用すれば、大学からは一時間あたりにして1,500円強の投資では通常とても手に入らないような貴重な成果を将来期待できる、という言い方もできる。
きわめて身も蓋もない、ベタな言い方をすれば、企業が雇用する大卒の新入社員の生涯賃金の平均値と、高卒の新入社員のそれとの差額を算出して、それを上記と同じように大学で受ける授業の科目数回数等で割っていって一時間あたりの値段に直せば、大学の授業一時間あたりでいくら将来の稼ぎを生み出しているかが計算できることになる(ここでは具体的な計算はしない)。
だが、そういう、お金べったりの身も蓋もない視点で大学を語るのはよそう。
何か明確な目標を持って、一生懸命努力すれば、もっと次元の違う、自分にとっての一生の財産が身につくことは言うまでもないことである。
大学とは、自分を見つけるるためにある。あるいは、自分の将来を切り開くための力量を身につけるためにある。
言わば、そこで期待されているのは生き方考え方の質的な変化(変身=メタモルフォーゼス)であって、大学とは、単純に量をレバレッジ(てこ)的に上乗せするために存在しているのではない。
以上、やや気恥ずかしいストレートな物言いではあるが、私の考える大学とは、ということを整理するつもりで書いた。
私は、例年のように、1年生向けの「プロゼミⅠ」という授業を担当している。
この授業は、小論文、レポートの書き方を修得させるのが目的である。
昨日は、学生に向かって、最初に少し、大学という場を選んだからには、大学という資源を有効活用するようにと話した。
そのときに、なるべく具体的に大学とのかかわりを考えてもらうために、授業ひとコマに対して授業料をいくら払っていることになるのかを計算してみるように言った。
例えば、跡見女子大学の場合、入学金を除くと、毎年の学納金は、968,000円である。これは、首都圏の女子大学の中で比較するとおトクな(安い)部類である。
これを春、秋の2セメスターに分けると、1セメスターあたり484,000円。学生が毎週何コマの授業を取っているかを考えると、入学したばかりで語学やコンピュータ等の授業が多くある1年生の場合、履修科目数はだいたい14コマくらいだろうから、1科目あたりに直すと約35,000円となる。1セメスターの授業回数は15回とされているから、1回あたりの授業の値段は、約2,300円となる。90分をひとコマとしているので、60分あたりに直すと、1500円強である。
(ちなみに、上級生になると同じ単位数でも必要とされる授業科目数が減るから、単価はもっと高くなる。)
というわけで、ごく単純に言うと、授業を1回サボると、1時間(60分)あたり1500円強をドブに捨てているのと同じことになる。
アルバイトで時給800~900円くらいもらって授業をサボる学生は、親からもらった1500円を捨てて、バイト先から900円をもらっている勘定になるわけである。
逆に、大学をうまく活用すれば、大学からは一時間あたりにして1,500円強の投資では通常とても手に入らないような貴重な成果を将来期待できる、という言い方もできる。
きわめて身も蓋もない、ベタな言い方をすれば、企業が雇用する大卒の新入社員の生涯賃金の平均値と、高卒の新入社員のそれとの差額を算出して、それを上記と同じように大学で受ける授業の科目数回数等で割っていって一時間あたりの値段に直せば、大学の授業一時間あたりでいくら将来の稼ぎを生み出しているかが計算できることになる(ここでは具体的な計算はしない)。
だが、そういう、お金べったりの身も蓋もない視点で大学を語るのはよそう。
何か明確な目標を持って、一生懸命努力すれば、もっと次元の違う、自分にとっての一生の財産が身につくことは言うまでもないことである。
大学とは、自分を見つけるるためにある。あるいは、自分の将来を切り開くための力量を身につけるためにある。
言わば、そこで期待されているのは生き方考え方の質的な変化(変身=メタモルフォーゼス)であって、大学とは、単純に量をレバレッジ(てこ)的に上乗せするために存在しているのではない。
以上、やや気恥ずかしいストレートな物言いではあるが、私の考える大学とは、ということを整理するつもりで書いた。
実はこれと全く同じことをかつて予備校講師時代に浪人生に向かって話したことがあります。予備校と言うところは目的が明快で、サークルも図書館もありません(資料室はありますが)。だから授業料換算が極めて単純化できるので、受験生も納得しやすいんですね。合格という単純な結果のための投資、強いて言えば「因果の道理」です(笑。今だったら「モッタイナーイ」と言うところでしょうか。
なるほど、予備校と比べるとわかりやすいですね。
調査したわけでありませんが、大学に入って、図書館も使っていないしサークルも入っていないという学生が結構いるように思います。
私たちから見ると、ひどくもったいない話なのですが。
授業の(教育の)値段、という観点でものを考えた事はあまりなかったので、とても興味深く読ませてもらいました。
「大学とは、自分を見つけるるためにある。あるいは、自分の将来を切り開くための力量を身につけるためにある」
「言わば、そこで期待されているのは生き方考え方の質的な変化(変身=メタモルフォーゼス)であって、大学とは、単純に量をレバレッジ(てこ)的に上乗せするために存在しているのではない」
高校時代の自分に、上の言葉を突きつけてやりたい気持ちになりました。
頑張って勉強して、大学行けばよかったなぁ・・・。
情けないけれど、そう感じてしまいました。
私も、高校や大学時代にこういうことを考えていたわけではなくて、何となく過ごしただけだったんですけどね。
それと、大学が自分を見つけたり、自分の将来を切り開くための力量を身につけるのにふさわしい場所であることは間違いないですが、では、大学にいなければそれができないかというとそうでもない、という言い方もできます。
いま現に大学にいる学生には、どんどん大学のよさを利用してもらいたい、という気持ちでこれを書いたのでした。