去る2月24日(土)、「全国アートNPOフォーラム in フェスゲ」に参加してきた。
大阪市浪速区にある都市型アミューズメント施設「フェスティバルゲート」をアートセンターとして活用するという「新世界アーツパーク事業」が存続の危機に瀕しているということは、以前紹介したことがある。
→ 「新世界アーツパーク未来計画」は、直接の関係者だけの問題ではない (2005/11/03)
あらためて経緯をざ . . . 本文を読む
少し間があいてしまったが、去る2月18日(日)、埼玉県富士見市の「キラリ☆ふじみ」で、平田オリザ作・演出「ソウル市民 昭和望郷編」を見た。
「ソウル市民 昭和望郷編」は、「ソウル市民」(1989年初演)、「ソウル市民1919」(2000年初演)に続く、平田による「ソウル市民三部作」の完結編である。
第一作の「ソウル市民」は、日本による韓国併合(1910)の前年、1909年のソウルに舞台が設定さ . . . 本文を読む
昨夜、「東京国際芸術祭2007」の「アトミック・サバイバー ― ワーニャの子どもたち」(構成・演出=阿部初美、ドラマトゥルク=長島確)の初日を観に行った。
とてつもない舞台である。
これは、舞台がとてつもないということではなく(舞台そのものはチャーミングなつくりの舞台である)、扱っている対象がとてつもない、ということである。
この舞台は、直接には、青森県六ヶ所村の核燃料施設、それに関連して、 . . . 本文を読む
昨夜、ヤン・ファーブル演出・振付・舞台美術・テキスト「私は血 je suis sang」~中世妖精物語~を観た(彩の国さいたま芸術劇場)。
すごい舞台である。
度肝を抜かれ、あっけにとられた。
たしかに、物議をかもす舞台である。いや、物議をかもす、どころではないとも言える。
これは、「魔女と自然のカーニバル」である。
ここで扱っているのは、「中世」そのものである。
劇中、登場人物の簡潔な台 . . . 本文を読む
跡見学園女子大学の「芸術文化経営ゼミ」で、2006年度のインターンシップ報告書を作成した。
といっても、そんなに凝ったものではなく、学生が書いて提出する「事後レポートⅠ」「事後レポートⅡ」を全員分まとめてそのまま製本したものだ。
これを、学生がインターンシップでお世話になった受け入れ団体に対してお礼とご報告の意味で送ったところ、早速、コメントが寄せられた。
きっとここに引用することはご本人に . . . 本文を読む
ひょっとして気がついている人は気がついているかも知れないが、ここのところ、自分が読んだ書物の中身を説明することが増えている。
実は、昨年末以来、一日一冊に近いペースで本を読むことを自分に課している(「課している」、というとちょっと大げさで、それよりはもっとずっと軽い感覚である)。
まあ、そうは言っても、大部の書籍の場合はそういうわけに行かないし、一日に2冊以上読み終えるというわけにもなかなかいか . . . 本文を読む
引き続き、ヨーロッパの「中世」に関して。
どこからどこまでを「中世」と見て、それがどのような時代であったか、については、ひとつ前の記事で述べたように、さまざまな見方がある。
繰り返しになるが、「中世」の捉え方もまた、立場によってひとつではなく、それは常にとらえ方に幅のある、または、揺れを伴った概念なのである。
→ 徳井淑子「色で読む中世ヨーロッパ」(2007/02/09)
啓蒙の弁証法―哲 . . . 本文を読む
「市民社会」の由来するヨーロッパの歴史を知るには、中世ヨーロッパにも目を向ける必要がある。
ヨーロッパの「中世」とは、西暦476年の西ローマ帝国滅亡から西暦1453年の東ローマ帝国崩壊までの間の約1000年にわたる長い期間を指す。
色で読む中世ヨーロッパ徳井淑子著講談社このアイテムの詳細を見る
このことについては、標掲書に次の記述がある。
なぜこのように長い時代をひとくくりに中世と呼ぶのか . . . 本文を読む
昨4日(日)、東京国際芸術祭2007の企画のひとつとして、シンポジウム「海外戯曲の『翻訳』と『リーディング』を巡って」が行われた。(にしすがも創造舎特設劇場)
東京国際芸術祭では、現代アメリカの戯曲をドラマ・リーディングのかたちで紹介するプロジェクトを続けていて、今年で3年目になる。
この企画のアメリカ側のカウンターパートは、ミネアポリスにあるプレイライツ・センターという非営利機関で、この機関 . . . 本文を読む
引き続き、間宮陽介著「市場社会の思想史」より。
市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか間宮陽介著中央公論新社このアイテムの詳細を見る
1870年代に、経済学の歴史を画する3冊の書物が相次いで公刊された。
カール・メンガーの『国民経済学原理』(1871)、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズの『経済学の原理』(1871)、レオン・ワルラスの『純粋経済学要論』(1874)である。
前掲書( . . . 本文を読む