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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

「つながり」の情報革命と新たな共同体

2011-02-21 07:58:30 | アーツマネジメント
以下、佐々木俊尚「キュレーションの時代」(ちくま新書)の副題となっている「つながりの情報革命」について、少し考えてみる。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
筑摩書房


前掲書において、佐々木は、「所有の時代は終わった」と言い切っている。
そのことについては、それはそれでよい、と私は思う。

しかし、そこで言われているのは、所有から共有へ、ということではない。あるいは、昨今の「無縁社会」の言説に見られるような懐古的な共同体回帰が目指されるのではない。あくまで、「個人」が自分の意志でつながるような、新しい共同体の形成が、いま、現実に起こりつつあることなのだ。

(注)佐々木氏は、ツイッターで、NHK、朝日新聞の「無縁社会」キャンペーンは、従来型の共同体への回帰を志向するものだとして強い違和感を表明している。

同書は、「つながりの革命」としての今日の情報革命のあり方を非常に明快に理論づけるものだ。

さて、さらに少し話を進めると、佐々木氏の論は、私が今年度早稲田のグローバルCOEプロジェクト「〈所有〉からアートと社会の関係を考える」で考えようとしてきた議論に対して、非常に重要で直接的な示唆を与えてくれるものでもあった。

私は、三年ほど前から、近代社会の特質を「ペストフの三角形」を使ってあらわすことが一定の有効性を持ち、それを使って新たな理論構成ができるのではないか、と考えてきた。
「ペストフの三角形」とは、三角形の3つの角の部分に共同体、国家、市場をおいて、世の中を動かしている要素をマッピングできるようにして、その関係性を把握しやすいようにしたものである。

(注)「ペストフの三角形」のわかりやすい説明は、こちら

おおざっぱにいうと、以前は、共同体が社会の中で大きな力を持っていた。そして、近代以降は、国家、市場が大きな存在感を持ち、社会を駆動する主要なアクターとして登場してきたために、かつての「共同体」は今日の社会において、以前持っていた力をまったくなくしてしまった。

ところが、グローバリゼーションの時代と言われ、市場が国家の枠組みをも超えてすべてを圧倒する力を持つと思われて来た現代社会のその先に、意外にも、社会全体を駆動する力の源泉を国家、市場から引き離すような動きが現れ出て来た。それが、今まさに進行中の「つながりの革命」である。そう考えられないだろうか。

この情報革命は、近代社会の中で、国家、市場しかもちえなかった駆動力を共同体の側へと反転させ、しかも、その共同体を、自立した個人を基礎とした「つながり」の共同体として成立させようとしている。少なくとも、そのような方向に世の中が向かいつつあるのではないか、と思う。

だが、そのことはそのこととして、そもそも「なぜ、〈所有〉というものが必要だったのか」を考えるのは、依然として、あるいは、いまの時代だからこそよけいに、大きな意味のあることであると私は思う。

国家、市場から反転して、新たな共同体へと世の中の流れが向かうとしても、その流れの先にある共同体が以前の共同体ではなく新たな共同体であるためには、〈所有〉による個人の権利の確立とそれを基盤とする市民社会の成立が不可欠だったはずだからである。



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