ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

おたくはアーティストである

2006-05-28 23:11:28 | その他
さっき何気なくテレビを見ていたら、爆笑問題と阿川佐和子が出ているのに気づき、たしか先週、この番組では「おたく」のことを取り上げていたことを思い出した(フジテレビ 週刊人物ライブ「スタ☆メン」)。 この番組はそれまでまったく見たことがなかったし、そもそも、こういう番組があることも知らなかったが、先週は、「おたく」の事例紹介として、プラモデルや鉄道模型等を集める中年男性の趣味が紹介され、それがまった . . . 本文を読む
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ヨコハマ経済新聞のエリア特集に「はまことり市民報告書」が登場

2006-05-28 08:36:57 | 横浜トリエンナーレ
ウェブで配信される横浜都心臨海部のビジネス&カルチャーニュース「ヨコハマ経済新聞」の最新の特集に、ボランティア市民広報グループ「はまことり」が編集した市民報告書「トリエンナーレからシティアートへ」が紹介された。 → トリエンナーレは横浜に何を残した? 市民報告書で読み解く2008年への課題 (2006/05/28) 私も取材を受けて、いくつかコメントを掲載してもらっている。 まとめにくい発言を . . . 本文を読む
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「過剰本質ってなんだ」がおもしろい

2006-05-28 08:15:39 | アーツマネジメント
pacificさんの「過剰本質ってなんだ」を読んだ。 → 過剰本質ってなんだ (太平洋プロジェクト) pacificさんは、先日跡見の実践ゼミに来てくれた外部講師のひとり T さんと同一人物。 「表現においては、本質を求めて自分の手綱が断ち切れるようなところまで行く。自分で抑えない、やりすぎている、と思うぐらいまで行ってしまっていい。そうすることで結果的に新しいもの、美しいものが生まれる、か . . . 本文を読む
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模範解答だが

2006-05-27 09:43:36 | アーツマネジメント
「新座市文化芸術振興基本方針策定市民検討委員会」のことは、以前にもふれたことがある。 (参考) → 理想主義的アプローチと現実主義的アプローチと (2006/03/25)      → これからのアート、これからの文化政策 (2006/04/06) 去る25日に、その第6回委員会が開かれた。 これまで5回の委員会で議論されてきた内容をもとに、「基本方針」の原案を文章化して提示し、それに対して . . . 本文を読む
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「3歳で聖書、10歳で商売」

2006-05-24 10:09:09 | 大学
高橋和夫「アラブとイスラエル」には、なぜユダヤ人が国を持たずに放浪し、各地で差別や迫害を受けるに至ったかが簡潔に説明されている。 アラブとイスラエル―パレスチナ問題の構図高橋和夫講談社このアイテムの詳細を見る 反ユダヤ主義とは、ヨーロッパのキリスト教社会が長年にわたって育んできたものである。 その原因は、同書によると、中世以来、ユダヤ教徒は、キリスト(イエス)を裏切ったものの子孫として「嫌悪さ . . . 本文を読む
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「屋根の上のヴァイオリン弾き」

2006-05-23 22:17:55 | 大学
跡見の「パフォーミング・アーツと国際コミュニケーション」という授業で、映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」(ノーマン・ジュイソン監督)を取り上げ、宗教と文化的アイデンティティについて考える、という授業を毎年行っている。 この内容は、たしか、2002年にマネジメント学部創設とともにこの科目の授業を始めたときから取り扱っているはずだ。 当初、2週連続でこの作品を取り上げ、1週目では主人公テヴィエの5 . . . 本文を読む
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愚者は人から聞いたことを語り、賢者は自分が見てきたことを語る(2)

2006-05-23 15:01:13 | 大学
以前、標記の「アラブのことわざ」(?)を紹介したことがある。 → 愚者は人から聞いたことを語り、賢者は自分が見てきたことを語る (2006/04/10) 学問の世界では、普通は、「自分の見てきたことだけを語る」のは愚者だと思われてきた、と言ってよいだろう。逆に、「人から聞いたことを語る」のが学問であり、それが学者の仕事だと思われてきた、と言っても、おおよそのところ、間違いではない。 したがっ . . . 本文を読む
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何度も繰り返して自己紹介をする

2006-05-20 10:03:02 | 大学
跡見女子大学の「実践ゼミナール」に、横浜の市民ボランティア広報チーム「はまことり」の T さん、O さんにゲストで来てもらった。 アートというものが、普通の人にとって、どのように関わることができるものなのかを、「横浜トリエンナーレ2005」、とりわけ、「トリエンナーレからシティアートへ ~市民が見た横浜トリエンナーレ2005」と題された横浜トリエンナーレ市民報告書を題材として考えてみよう、という . . . 本文を読む
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跡見女子大学マネジメント学部の創設理念と「格差社会」

2006-05-17 07:03:22 | 大学
ひとつ前の記事でもふれたように、現在、私は、跡見女子大学の「プロゼミⅠ」という科目を担当している。 今年のプロゼミでは、一年生に月刊総合雑誌に載っている論文(というか記事)を要約させる、ということをやっている。具体的には、「文藝春秋」、「中央公論」、「諸君!」の3誌をあげ、学生にその3誌に載っている論文(4ページ以上のものに限定)の中からどれかひとつを選ばせ、それの要約をしてもらうのである。 た . . . 本文を読む
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「理解する」ということ(2)

2006-05-17 06:49:12 | 大学
跡見女子大では、1年生を対象にレポートや論文の書き方を中心に大学での学び方を教える「プロゼミ」という授業がある。春学期が「プロゼミⅠ」、秋学期が「プロゼミⅡ」で、私は毎年春学期に、入学したばかりの1年生を相手に「プロゼミⅠ」を担当している。 他の授業もそうなのだが、特にこの授業は、「教える」とはどういうことか、あるいは、学生の立場に立てば、「わかる」「理解する」とはどういうことか、ということをあ . . . 本文を読む
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