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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

なぜ、ユダヤ人には金貸しが多かったのか

2007-01-03 22:54:45 | その他
引き続き、佐藤優・魚住昭著「ナショナリズムという迷宮」に関連して。
(ただし、こちらは、言わば余談である。)

跡見の授業(春学期の「パフォーミング・アーツと国際コミュニケーション」)で、毎年、映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」を取り上げて講義をしていることは前にこのブログで書いたことがある。

→ 屋根の上のヴァイオリン弾き (2006/05/23)

→ 「3歳で聖書、10歳で商売」 (2006/05/24)

ヨーロッパの中世から近代にかけて、貨幣経済が発達してくるときにどうしても必要だったのがユダヤ人の金融業者、金貸しである。

シェイクスピアの「ベニスの商人」にも、敵役として金貸しのユダヤ人シャイロックが登場する。

なぜ、ユダヤ人に金貸しが多かったかというと、キリスト教徒がお金に執着することを罪悪視し、金融業に従事するものを蔑んだのに対し、ユダヤ教にはそのような禁忌がなかったからである。

そして、このことがユダヤ人差別の原因のひとつとなり、20世紀にはナチスによるホロコーストの惨禍を招くことになる。

…と、授業の中でこのように学生に対して説明はしていたし、キリスト教徒が金に執着することを忌避する理由が新約聖書(マタイによる福音書)の「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」というイエスの言葉に由来していることも、一応そのように紹介はしていた。

ただし、その言葉がイエスにとって、またはキリスト教にとって、どのような意味を持って発せられたのか、そして、それがどのような重みを持つものか、というようなことがらについては、恥ずかしながら私は特段の知識を持っていなかった。

ところが、前掲書で佐藤が指摘するように、「イエスが戦ったのは、国家と貨幣に対してであった」のだから、前述の「金持ちが…」の言葉は、イエスの戦いの核心に位置する重要な言葉だった、ということがわかる。

マタイによる福音書の該当部分を引用しておく。印象的な記述である。

マタイによる福音書第19章 第16-24節

(16) さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
(17) イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
(18) 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
(19) 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
(20) そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
(21) イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
(22) 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
(23) イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
(24) 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

なお、言わずもがなだが、ユダヤ教の教典は旧約聖書のみであるから、新約聖書のこの言葉はユダヤ人にとっての戒律にはならない、というわけである。



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