とんびの視点

まとはづれなことばかり

今日も国会前に

2015年07月31日 | 雑文
今朝は5㎞ほどランニングをした。疲れ、腰の怪我、体を整えるようにゆっくりジョギング。夜には国会前に抗議に行く。自分たちの暮らす社会を整えるために。日常的にケアをしていないと体は劣化する。社会も同じなのだろう。日常的なケアが必要なのだ。長い時間、経済を優先してきたことで、かなり社会は劣化したようだ。

現在の安倍政権の振る舞いを原因と考えることができる。これからの日本社会に大きな影響を及ぼすだろうし、その対処に私たちは多くのエネルギーを割くことになるだろう。その一方、彼のふるまいを結果として考えることもできる。彼のような政治家を生み出してしまった原因があるはずだ.それは何か。社会をケアしようとする意識を持たず暮らしてきた私たちなのかもしれない。

だとすれば、今回の安保法案に対する抗議行動が一過性のものであってはならない。この先、日常的に社会をケアする意識を持つことが必要になる。毎週のようにデモや抗議行動を行おうと言っているのではない。いままで目の前を素通りしていたことにちょっと立ち止まってみる。そして「なぜ」と問いを立ててみることだ。

たとえば、今日の新聞には「厚木基地訴訟」の記事がある。自衛隊機の夜間・早朝の飛行は差し止められたが、米軍機の飛行差し止めは「国の支配の及ばない第三者の行為の差し止めを請求するもの」として退けられたそうだ。

不思議な話じゃないか。日本社会で自衛隊機と米軍機が飛んでいる。騒音がひどく住民が飛行差し止めを求める。裁判所は、自衛隊機の飛行は差し止めできる。しかし、米軍機の飛行に対しては「国の支配が及ばない」から口出しできない。そう言うのだ。

日本国内で米軍が行うことに、日本は口出しできない。つまり、日本国内であっても、米軍に対しては日本の主権は及ばないということだ。どう感じるだろう。「へえ、そういうものか」「しかたがないんじゃない」「べつにどうでもいい」「それはおかしなことだ」。いろいろな感じ方があるだろうし、それらはすべて率直な気持ちと言えるだろう。しかし、その率直な気持ちは、気がついたら身についていただけのものかもしれない。

私たちはこの率直な気持ちに、理屈らしきものを乗せていく傾向がある。だとすれば、率直な気持ちの他にも問題にアプローチする方法が必要となる。たとえば、「そのような日米関係は平等だと言えるか」と問いを立てることだ。多くの場合、不平等という答えになるだろう。だとすると「不平等なことに対して、しかたかがないんじゃない、と感じる自分は何なのか」という問いを立てることができる。

こうすることで、社会と自分自身を同時に問うことが可能になる。そういうことを日常的に続けることが、自分自身と社会をケアし続けることになるのだろう。さて、それではこれから国会前に行こう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする