徒然なるまま 写遊記

私楽 諸行歓常 諸行感謝 のんびり気ままに散策・・「埼玉・高麗川のほとり」(浮雲・浮浪雲)

東北一周・車の旅(7)(岩手~宮城)2017.9.10

2017-09-17 | 海沿い 日本一周巡り(東北 編)
東北一周 車の旅 7日目(日曜)

前夜 宿泊したホテル近くの 三陸鉄道
「田野畑駅前」で 震災の語り部の
宮森秀幸さんに 約束の9時に会う。

当日の参加者が自分一人で「たった一人の
ためのガイド」に恐縮しつつ

当地の自治会の役員であった宮森さんの 
体験・語り部ツアーを 約1時間受ける。

語り部ツアー集合場所・田野畑駅(右側)



震災前後の写真をベースに
説明してくださる宮森さん。

(以下、掲載写真は、宮森さんの写真を複写)


(震災前)田野畑の商店街などがあった村の中心地

上の写真の 破壊された 村の中心地

前の写真と同じ地域の現在。


(震災前)村の中心地・海辺に向かう道

震災後の 上の写真と同じ地域

現在の 上の地域


(震災前)山の麓に小学校がある地域


上の地域の震災後(線路と 津波被害を免れた家を目印に
御覧下さい)・・ほとんどの家が流され全壊。

上の地域の現在

(左の壁面に 津波の跡が)

宮森さんの言葉を的確に記載するのは、自分の
執筆力じゃ無理なので、自分なりに要点のみ記す。

「村で亡くなった人は二人」

()一人は 地震の後、皆と同じく避難場所に
  来たが、40分過ぎても、津波も来ない。

  大きな余震もないから「避難解除のアナウンス
  を待たず」自己判断で 自宅に戻り 津波に
  巻き込まれた。

()一人は最初から、大きな津波は来ないと、
  自分で判断して、自宅から離れなかった。

()勿論、亡くなられたから、正確な事情は不明。

「素晴らしい村の判断」

()震災5年前、村の避難場所は、海から離れた
  小学校となっていた。

  しかし、その頃、津波シュミレーションすると、
  小学校より 海に近いが 小さな山が適正結果。

  その結果に従い、小学校から来る子供用の階段と
  他方向か来る避難者用 階段二つを造り対策。

宮森さんの後方が避難場所の山

(宮森さんの写真掲載、了解済み)

しっかりした階段が二本付いた 避難場所


「宮森さんの話から」
()ラジオは大切・・携帯が使えず、情報は車の
  ラジオから収集。

()震災後、水道がダメだから、全国から送られ
  てきたペットボトルに助けられた。

()震災時、ほとんどの人が 着の身着のまま、
  手ぶらで避難場所に来たが、大切な物は
  直ぐ持ち出せる様にするべき。

  ちなみに宮森さんは自宅半壊だったが、
  当日、リュックサックに貴重品を入れて
  避難所に逃げてきた。

なお日本は震災以外様々 様々な災害があるから、
少しでも役に立てればと思い、大震災の同年7月
から、宮森さんは 最初一人で語り部を始められた。

田野畑村の復旧工事はまだ三分の一も残っている。

ニュースなどで、これまで被害者さんの
言葉を耳にしていたが、体験された方から 

直接、被災話を聞きながら 津波の現場を歩く
時間は、ズシリと心に重く貴重な経験でした。

そして自分の説明文は不十分。

是非とも直接、宮森さんの語り部ツアーに
参加されることをお願いいたします。

10時30分、次の目的地・45㌔先の「宮古」に出発。

宮古湾





(前二枚の写真の内陸側から撮影)


(写真右側・防波堤?造成中建造物)

宮古湾にある「道の駅 みやこ」にて展示されていた






宮古から釜石市までの途中の「山田町・防潮堤」




山田湾




山田町から101キロ先の「気仙沼海岸線」
気仙沼中学校近くの小高い丘の上の「避難場所」


車運転苦手な自分ゆえ、明るい内に 
次の宿泊地に到着するため、ほとんどの
被災地を訪ねることが出来ない

車旅となったことを後悔しながら、
田野畑村から240㌔ 南三陸・夕刻に到着。

参考「田野畑村・大津波語り部&ガイド」
  ☎0194-37-1211
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