日々雑感

男の独り言

デモクラシー

2012年07月10日 13時36分59秒 | Weblog
デモクラシーとは古代ギリシャ語のデモス(demos 人民)クラチア(kratia 権力・支配)をあわせたデモスクラチア(democratia)が語源である。民主と君主の対概念として人民が主権をもち、為政者と人民が同じであるとする政治的な立場原則をいう。転じて個人の人権(自由・平等・参政権など)を重んじながら多数で物事を決める原則を民主主義と呼ぶ場合もある。単純な多数決と混同されることが多いが、多数決が単に多数決であることに正当性の根拠を求めるのに対し、民主主義は最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見をもつもの同志の譲り合いを含む理性的対話が求められる点で区別される。であるならば、たった四人で二日で決めた暫定基準を元に民意を無視して再稼動を推し進めた政治は民主主義に違反し、再稼動反対デモに子連れで参加する親たちを批判する江川昭子なる女の言い分も論外なのである。先週金曜日の夕方、官邸を後にする総理に「抗議の声と向き合っているのか」との記者団の問いかけに「多くの声、さまざまな声が届いております」と答えたそうだ。やっと声が音でなく声に聞こえるようになったのなら、今度は「原発いらない!」「再稼動反対」と叫ぶ国民の声にどう応えていくべきかを考えねばなるまい。

集団的自衛権を容認

2012年07月07日 16時05分22秒 | Weblog
人工衛星の打ち上げを担う宇宙航空研究開発機構の活動で「平和目的に限る」とする条項を削除する改正法が成立し、平和目的に限るはずの原子力利用について「わが国の安全保障に資すること」の目的が6月に追加され、こんどは集団的自衛権の容認を政府の国家戦略会議のフロンテア分科会がこの6日にまとめて、議長である総理に提出している。最近の世相を垣間見ると、戦前の要を呈している気がしてならない。第二次世界大戦では、兵員230万人一般市民80万人が犠牲になっている。特に沖縄では当時の人口42万人の内12万人もの多くの人たちが犠牲になったのだ(厚生労働省資料による)今年で戦後67年、多くの犠牲を強いたあの悲惨な戦争を二度と繰返すような事があってはならない。

*注 集団的自衛権 自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されてないにもかかわらず実力を持って攻撃する権利をいう。

*注 憲法9条 戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認 
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国債紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

音では無い原発再稼動反対デモの声

2012年07月04日 10時37分41秒 | Weblog
主催者側が二十万人、警視庁では二万人弱の市民が首相官邸前を埋め尽くし、原発再稼動反対を訴えた声に(大きな音だね)と傍らの警護官(SP)に漏らしたそうです。かつてご自身が「政治家を志した初心に立ち返ろうではないか」と言っていたが、この言葉をそっくりそのままお返ししよう。危険を回避する市民の集積の叫びを、騒音としか聞き流せなくなった総理は為政者である以前に人間として失格である。拙文によく登場する「言葉だけが先行し中味のない政治」がこんなとこに表れている。

脱原発 再稼動反対デモ

2012年07月01日 11時41分50秒 | Weblog
脱原発、再稼動反対を訴え、毎週金曜日夕に首相官邸前に集まる市民の数が、最初の三月には三百人、五月に七百人、再稼動の動きが本格化してからは一万人の大台を超え、五月二十九日には二十万人を超えたという。マスコミに頼らずとも文明の利器であるパソコンや携帯電話、スマホなどを使えば市民同士の繋がりはいくらでも出来る。遅きに失した感を否めないが大いに結構なことだと思う。再稼動を前提として、たった四人でそれも二日で纏めた暫定基準が安全な筈がない。こういう場を持ったという、国民理解を得るためだけの姑息なアリバイ作りでしかなかったのだ。間違ったことを強引に推し進めている政治に、我慢に我慢を重ねた市民がついに声をあげ行動を起こしたのだ。権力とは恐ろしいもので、阿呆な政治屋の決めたことでも従わなければ罰を受ける。デモを阻止するという大義名分の下、警察権力が「原発が爆発して国家が滅亡するかも知れない」危機をどうにかしようと立ち上がった市民の妨害をしないことを祈る。為政者は「由らしむ」と思えば謙虚に市民の声に耳を傾けて欲しい、国民は無知では無い。 「民の口を防ぐは水を防ぐより甚だし」という言葉が有る。人々の言論を封じることは、水を防ぐより困難で、無理に行うとその恨みが爆発して大きな害をもたらすことをいう。