日々雑感

男の独り言

なでしこジャパン アジアカップ優勝 国威発揚はスポーツで

2014年05月26日 08時50分22秒 | Weblog
準決勝では中国を制し、決勝戦では昨夜、前回の覇者オーストラリアに勝利してアジアで一番になった。
勝つためなら何でも有りの中国の選手の繰り出すヘディングは、ボールを狙うのではなく確実に日本選手の頭を狙っていた。対する日本選手はどこまでもフェアプレイで戦っていたのが印象的だった。人気ドラマ半沢直樹の流行語にもなった台詞「ヤラレタラ倍にして返す」安部首相や石破氏が声高に提唱する集団的自衛権をもってすれば、日本も負けずに相手チームの選手の頭めがけてヘディングをせよという理屈になる。それも直接の対戦相手ではない他国まで出向いて、もっとも原始的な暴力という手段で戦えるようにしようとしているのだ。そんな手段を用いなくてもどうどうとフェアプレイで勝利することが出来たのだ。為政者は多いにスポーツに学ぶべしである。

集団的自衛権 石破発言におもう

2014年05月25日 17時25分45秒 | Weblog
「行使できないと言っているのは世界で日本だけだ」戦争へ道を開く集団的自衛権。安部首相の上をいくばかりの勢いである。またこうも言っている「日本が攻撃を受けた場合、米国の若者が血を流す覚悟をしている。日本は命を懸けませんで良いのか」。例え万が一このような事態になったとしても、米国の若者は日本の若者たちに一緒に血を流して欲しいなどとは思わない。彼らが望むのはむしろ一日でも早く戦争を止めて欲しいということと思う。


福井地裁の原発再稼動を認めない判決におもう

2014年05月22日 10時09分09秒 | Weblog
今日の朝刊です。







至極分かりやすい判決の内容である。「経済は人命に優先しない」今までマイブログに何度も書いた、このことを裁判所が証明してくれたのだ。関電が主張する「原発稼動が電力供給のコスト低減につながる」に対する判決は「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代を並べて論じること自体が法的に許されない」と指摘、即ち命と金を同じ物差しでは計れないと言っているのだ。福島事故は「わが国が始まって以来、最大の環境汚染」としたうえで、環境問題を原発推進の根拠とする主張を「甚だしい筋違い」と断じている。火力発電から発生する煙の方が放射性物質よりも危険とでも言いたげな主張を断罪(敢えて使わせてもらう)しているのだ。



暴走を止めなければ

2014年05月10日 10時24分25秒 | Weblog
今日の朝刊です。見出しだけ見れば、最早戦前というか戦中というか、阿部氏をこのままにしておくと大変なことになる。その内にNHKの会長が「大本営発表」と言い出すかも!
この人ひとりが日本中をグチャグチャにしている。誰かが止めないと大変なことになる。





プーチンとかいうこの人ひとりで世界中を振り回している。これもナントカして暴走を止めなければ!
このどちらにもいえることだが、たった一人の人間の思いが辺りを振り回している。権力というものは恐ろしいものだと実感している

きけ わだつみのこえ 憲法9条

2014年05月06日 11時12分38秒 | Weblog
今また遠く離れた昭南の監獄の一独房で。しかし場と時とは異なっていても、私に与えてくれる、感激は常にただ一つであった。私は独房の寝台の上に横たわりながら、この本を抱きしめた。私が一生の目的とし、理想としていた雰囲気に再び接し得た喜びであった。私にはせめて最後の憩いであり、慰めであった。私は戦終わり、再び書斎に帰り、学の精進に没頭し得る日を幾年待っていたことであろうか。しかしすべてが失われた。私はただ新しい青年が私達に代わって、自由な社会において、自由な進歩を遂げられんことを地下より祈るを楽しみとしよう。マルキシズムも良し、自由主義も良し、いかなるものも良し、すべてがその根本理論において救命され解決される日がくるであろう。真の日本の発展はそこから始まる。すべての物語が私の死後より始まるのは、誠に悲しい。

上記は戦没学徒の遺稿を集めた「きけ わだつみのこえ」を代表する元陸軍上等兵・木村久夫(1918~1946)が「軍の参謀の命令に従ったもので無実」と訴えたがB級戦犯として死刑を宣告されてから1946年5月に28歳で執行されるまで、哲学者で京都帝国大(現京都大)教授だった田辺元の「哲学通論」を手にし、感激して読んだことを遺書の中で綴ったものである。

戦犯で死刑執行されたのは木村だけではない、木村を含む旧日本兵900人以上がB級戦犯として処刑されている。特攻で散った命も、人間魚雷に搭乗した命も、銃弾で倒れた命も、日本軍に置いてけぼりにされ補給が途絶えて餓死した命もある。兵員の死の原因の半分以上は銃弾ではなく餓死だったという事実、祖国日本の平和の礎となって犠牲になり死んでいった310万人もの多くの人たちの無念さが思い遣られる。こんな思いを無駄にしないためにも、もう二度とあの悲惨な戦争はしないと誓ったのが憲法9条なのである。木村氏が願った「平和と自由社会」における「真の日本の発展」が今脅かされそうになっている。

*注 昭南  「昭南島」の意、1942~1945まで三年間日本軍に占拠され直轄統治下にあった現在のシンガポール。「昭和に得た南の島」の意 

憲法記念日におもう

2014年05月03日 09時13分57秒 | Weblog
憲法は、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障するために存在する。国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和は、将来の世代にわたって永久的に受け継いでいかなければならない基本原理である。(立憲主義)
「憲法9条にノーベル平和賞を」神奈川県座間市の鷹栖直美さん(37)の呼び掛けが実を結んで、同賞の候補としてノーベル委員会(ノルウエー)に受理されてから初めての憲法記念日を迎えた、受賞できたら受賞者は日本国民になるという。憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。このどちらにも言うまでもなく安部晋三さんは含まれているのだが、憲法擁護の義務を負っている当のご本人が憲法批判するのは矛盾しているとおもう。

北電社長の発言におもう

2014年05月02日 12時13分49秒 | Weblog
「疲れますね」「こんなに長くかかるとはおもっていなかった」今月5日で泊原発が停止してから2年になるのを前にした北電社長の感想という。この中から新しいエネルギー源を開発しようという心構えは微塵も感じられない。電気代を人質に取るように再稼動が見通せないなら再値上げをと言うに及んでは正に何をかいわんやである。地方紙には「もし事故が起きたら、命を森を川を海を云々」とあった。「もし」では無い、遅かれ早かれ事故は確実に起こるのだ。「原発を動かすことが北海道のためになる」とも言っているが、食糧自給率二百パーセントの北海道がそうなったら日本の国はどうなる。民主政権のとき、「私の責任で再稼動を」と言った人は今どこで何をしている。言葉だけが先行し中身の伴わなかった人物は国民の支持を得られず野に落ちてしまっている。あのときのマイブログに「お前なんかが百万回死んでも屁の突っ張りにもならない」と書いた。北電の社長はどれだけの責任を抱えて「極楽トンボ」みたいなことを言っているのか。その見識を疑いたくなる。

教育勅語におもう

2014年05月01日 09時46分44秒 | Weblog
戦後間も無い1948年6月、衆院決議で勅語が「排除・失効」となった。衆院決議は勅語が「国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかのように誤解されている」とした上で、「その根本理念は基本的人権を損なう」としている。
この度の衆院委員会で下村博文文科相は時代錯誤も甚だしく「そのまま復活する考えはない」との留保つきながら、掲げる徳目は「至極まっとう。今でも十分通用する」と述べている。お騒がせのNHK会長や文科相も総理寄りの発言ばかりである。首相を支持する議員が幅をきかせ異論は隅に追いやられているのだ。監視されない権力は暴走するという。もうとうに暴走は始まっている。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ

ちん思うに我コソコソとナニを始むること