日々雑感

男の独り言

パソコンが壊れた

2015年03月13日 21時24分01秒 | Weblog
またまたパソコンが壊れました。不慣れのため前回の修理の影響でハードディスクに取り込んでいた資料を1日がかりでやっと戻したと思ったら、これで3回目です。今度は使ったことがない「END」キーが外れているのです。何のために使うキーかと調べてみたら「HOME」キーと「END」キーは1対でカーソル位置の移動に使うようになっていた。メーカーの修理担当は内蔵されている部品の故障に関しては保証期間内であれば無償だが外部破損については保証外とのたまう。こっちとしては「触ったことがないキーが外れている責任はメーカー側が負うのが一般的社会通念である。過去に2度も修理に出しているので修理の段階でそちらで誤って壊した可能性の方が多いと」とゴロツキにも似た苦情を申し入れたところ無償修理ということで1件落着した。明日の午前中に航空便が自宅まで受け取りにきてくれるそうです。駄目で元々文句は言ってみるものである。

ぱそこんが壊れた

2015年03月11日 09時43分59秒 | Weblog
パソコンが又壊れた。前回は冷却ファンの取り換え、今回は内蔵ハードディスクの取り換えです。買ってまだ1年も経っていないのに二度もメーカー修理になるなんてよくよく運が悪いみたいだ。前回と同様に北海道から千葉まで運ばれて、三日目には修理を終えて我が家に戻ってきた。保証期間内だったのでフリーダイヤルでメーカーに伝えただけで一切の費用は掛からなかった。便利な時代になっていますが、不慣れなためハードディスクにバックアップした資料を基に戻すのに丸一日を費やした。

不戦の誓いを新たに

2015年03月01日 09時12分18秒 | Weblog
長期連載「戦後70年 北海道と戦争」で旭川を舞台にした連載を終えて1ヶ月。今も心に引っかかっている取材がある。2歳上の兄を太平洋戦争中のビルマ(現在のミャンマー)で亡くした女性(91)のことだ。当時、自宅に戻ってきた白木の骨箱を振るとカラカラと音がした。遺骨と思って開けると、入っていたのは兄の名と陸軍上等兵と記された木札だけ。どんな最期かも知らされなかった。女性は兄の死が信じられず、南方の密林で生き延びた日本兵のニュースを見た時も「ひょっこり帰ってくるのでは」と期待した。友人の兄を見ては寂しくなる。そんな日々を重ねた。「50年、掛かりました」。兄の死を受け入れるのに要した歳月は実に半世紀という。「自分がこんな年になってね、さすがに兄も生きていないだろう、と」。都道府県は旧陸軍軍人・軍属の履歴を記す兵籍簿を保管している。私は親族なら照会できると説明し、請求するよう強く勧めた。数日後、断りのはがきが届いた。「当時の状況を深くほり下げて見ることは悲しい事実を見るだけ」。彼女が心に仕舞い込んだ記憶を思い出させてしまった、と今も悔やんでいる。

上記は1ヶ月前まで地方紙に連載されていた「戦後70年 北海道と戦争」を書き終えた記者のエッセイです。表題は「癒えぬ心」でした。後悔と悲しい思いは、直接の戦争被害者で無い記者にも無縁ではなく根深いのです。戦後70年というより,もはや戦前のような昨今、「歴史は繰り返す」。古くから使われているこの言葉を、現実のものにしてはならないと強く思っている。