カップルセラピーでも、個人のサイコセラピーでも、夫婦関係や長期的なパートナーシップに問題を抱えている方たちの中に、表題の「合理化と回避性」の傾向が見受けられることがよくあります。
合理化とは、その人のこころの平衡状態を保つために、しばしば無意識的に行われる、いわゆるつじつま合わせです。民間心理学でいうところの「酸っぱい葡萄症候群」です。
たとえば、サザンオールスターズの茅ケ崎ライブのチケットの抽選に外れた人が、「そもそもあのライブはそんなに行きたくなかったんだよ」といって、本当はとても残念で悲しい気持ちから距離を置くような心性です。
恋人に思いがけず別れを切り出されて破局した人が、「あんなダメンズと別れられてラッキーだよ。別れたかったけどなかなかこっちから切り出せなかったんだよ」と言って、潜在的な喪失感を否定するような機制です。
これは誰でも多かれ少なかれ生活の中で用いているこころの防衛機制であり、気持ちを切り替えて前に進めたり、抑うつ的にならずに済んだり、物事をポジティブに捉えられたりと、有益な点も大いにあります。
認知行動療法などで用いられる「リフレーミング」(できごとや体験に対する意味や解釈の作り替え)なども、この合理化を利用しています。
世の中に溢れる自己啓発本で進められている手法にも、「合理化」という語彙は用いなくても、この機制に働きかけているものは多いです。
問題は、その人が、合理化の機制を濫用する性格であったり、きちんと自分の本当の気持ちに向き合わなくてはならないタイミングで合理化を使ってしまう場合です。
合理化をよく用いる人には、対人関係や、自分自身の気持ちに対して、回避傾向の強い傾向があります。
それはたとえば、対人関係における不和や争い、気まずい雰囲気になることを恐れて、そうならないように自分の気持ちをごまかして、本当は良くないのに、本当は大丈夫ではないのに、大丈夫な振りをしてやり過ごすような傾向です。
たとえば、恋人が性風俗に通っていることが、本当はすごく嫌な人が、「私と付き合っていてそういうところに行かれるのはすごく嫌だから、行くのをやめてほしい」と言えずに、「お金払っているし、こころは全く入っていないって言ってるし、大丈夫」と自分に言い聞かせてその恋人と付き合いを続けているケースです。
確かにその恋愛関係は続いていくかもしれませんが、この方はとても傷ついていますし、強いストレスを感じていますし、そのようなことを続けていくうちに、自己評価や自己肯定感はどんどん低くなっていきます。
お分かりのように、この方は、間違ったタイミングで合理化を使っています。
この方が、傷ついた自己肯定感や自己評価、尊厳を改善するためにしなくてはならないことは、自分の気持ちに正直になり、その正直な気持ちを相手に伝えることです。それでもし相手が伝えた気持ちに向き合ってくれないのならば、そのような人とはお別れをすることです。
これは、相手のあらゆる問題行動について言えることかもしれません。ちなみに、共依存の人間関係に陥っている人たちの間には、否認(denial)と合理化がよく見受けられます。
問題行動と言えば、アルコール依存をはじめとする、あらゆる依存症は、否認と合理化の病いと言われています。
たとえば、明らかにお酒を飲み過ぎている人が、「周りもみんな結構飲んでいるし、会社には何とか行けてるから問題ない」と言って、依存症を否定するようなケースはとても多いです。
合理化は、一時的であったり、どうにもならない状況に置かれている中で何とか士気を保つためだったりと、必要で且つ適切な場合もあります。
大切なのは、常に自分の本当に気持ちに気づいていることと、合理化をしている自分に対してある程度の意識があることかもしれません。
冒頭の、失恋した女性が、自分の喪失感や悲しみをきちんと自覚していて、仲の良い友達にたくさん話を聞いてもらった後で、「あんな人とは別れられてラッキーだったんだよ。これでもっといい人と付き合えるよ」と言って前を向くのは、むしろこの人のこころの健全さの表れかもしれません。