興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

「トリビア」という抵抗-Trivia as a Form of Resistance

2006-09-05 | プチ精神分析学/精神力動学

トリビアという言葉は、日本ではすっかりお馴染みの言葉になりましたね。先日も、とあるマイミクさんが、「トリビア」という題で、とても面白い豆知識を紹介してくださっていました。

トリビア(trivia)とは、ご存知のように、『つまらないもの、取るに足りないもの』を意味する英単語ですが、心理カウンセリングにおいても、トリビアという概念があります。

カウンセリングルームで、「このクライアントが今話してるのはトリビアかな」などと心理療法家は推測したりするのだけれど、ここでいうトリビアとは、カウンセリング用語で、「問題の核心とは全然関係ないどうでもいい話」というような意味です。

クライアントが、カウンセリングにおいて、問題の核心や自分の本当の気持ちや感情に触れる準備がまだできていなかったり、そうすることが心地悪かったり、脅威に感じたりするとき、クライアントは表面的な話や世間話を続けたりします。

これは一種の「抵抗」(resistance)と呼ばれるもので、カウンセリングの進行を阻害する、クライアントの、時に無意識の働きかけだけれど、心理療法において、この「抵抗」そのものの分析が鍵となってきたりします。

これは、別にカウンセリングルームに限られたことではなく、僕たちの日常生活のなかで、しばしば見られるものです。たとえばこんな時:

お友達や、恋人や、ご家族の方が、今日に限ってどうしてこんなどうでもいい話ばかりするのでしょう。

この人はなにが言いたいのかな。全然気持ちが伝わってこない。

この人は本当にこんな話を楽しんでしてるのかな。

などと、感じたとき、その方はトリビアについて話しているかもしれません。ここでKEYになってくるのは、「なんかいつもと違う」事、また、「どうでもいいように思える話が始まったタイミングとその直前の話題」、あるいは、「トリビアな話の長さがちょっと気になる。止まらない」などで、実は何か本当に話したいことがあるけど話せなかったり、話すタイミングをうかがっていたり、なにか辛い体験をしたあとだったり、内面の気持ちや感情に触れたくなかったり、そんな理由が考えられます。

普段から「どうでもいい話」を好んでする人でも、「そのどうでもよさ加減が尋常でない」ときは、何かあったりするから、その個人の普段の話の内容やパターンによって、「なにがその人にとってトリビアか」も変わってくるわけですね。ある人にとってはトリビアなことが、ほかの誰かにとってはとても大切なことだったりって、よくありますね。

こういう時僕は、基本的に、その人の「トリビア」に出来るだけだけ付き合うようにしています。そうしているうちに、だんだん、トリビアの中にトリビアでないものが混じり始めてきたり、自然に本題に入り始めたり、また、ずっとトリビアは続くけれど、そのトリビアなトピックそのものが実は象徴的だったり、その人の感情を反映していたりするのが分かったりします。

だから、「そんな話どうでもいいじゃん」とは絶対に言わないようにしています。相手をしっかりと見て、なるべくじっくりと聞きます。「トリビア」は本質の「種」だったりします。これは「トリビアの種」というよりもむしろ、「トリビアは種」ですね。



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