興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

話し合いと最後通告の違いについて

2015-12-23 | カップル・夫婦・恋愛心理学

 近年、コミュニケーション能力について社会的な関心が高まっていて、コミュニケーションを取ることの大切さについて人々の意識も高まっています。それ自体は非常に良い現象だと思うのですが、こうした流れの中でしばしば感じることは、かなりの人たちが、この「コミュニケーション」というものの意味について、誤解をしているということです。

 たとえば、最近は、プレゼンテーションが非常に上手な学生が増えていますが、彼らの中には、プレゼンテーション能力=コミュニケーション能力であると思い込んでいる人たちが少なくありません。しかし、プレゼンテーションで自分の伝えたいことを効果的に聴衆に伝えることだけでは、コニュニケーションというものの半分しか達成できていません。というのも、コニュニケーションと呼ばれるものには、自分の意思を相手に伝えるだけではなく、相手の意見を聞いて、それについて、オープンに話し合う、という相互理解が伴わなければならないからです。「意思の疎通」、「伝えること」は、コミュニケーションの一部でしかないのです。

 本当にコニュニケーション能力の高いプレゼンターは、見ていてよくわかります。特徴としては、聴衆を自分のプレゼンテーションにうまく巻き込みますし、スライドばかり見ていることはなく、聴衆全体を見回しながら皆に「話しかけて」います。聴衆が自分の話をきちんと理解しているか、自分についてきているか、きちんと把握しています。質問など大歓迎で、ひとつひとつの質問に、対話という形で答えます。プレゼンテーションが終わった後でも、聴衆がそれにどのような意見、感想を持ったのか、興味を示し、聴衆と生き生きとした会話を展開します。

 例によって前置きがだいぶ長くなりましたが、カップルや夫婦の関係においても、しばしばこのように「報告」と「コミュニケーション」を混同している方を見かけます。よくあるのは、ふたりのうちの一方が、二人の生活のなかの何かにフラストレーションを感じているものの、言葉に出せずにずっと怒りを抑制していて、あるとき遂に我慢の限界がきて、それについて相手に伝えたことを、「話し合った」と言っていることです。それで、二人の間でどのようなやり取りがあったのか聞いてみると、実はその人の一方的な宣言であり、その宣言について、相手がどのようにコメントしたか、どのように反応したか、そうしたことが抜けています。伝えたことで一応満足してしまっていたり、後は相手がどのように受け取って、どのように動くか次第だ、という風に思っていることも多いです。

 しかし、こうした人たちが「話し合い」だと思っていることは、報告であったり、最後通告であり、話し合いではありません。

 これはまた、いわゆる「亭主関白」と呼ばれる人たちの間にも多いです。本人は、話し合っているつもりでも、それはその人のなかで既に決定したことの報告、通達であり、配偶者はただそれに従う、という図式で、これはコミュニケーションではありません。

 実のところ、本当の話し合いは、その人の「最後通告」が言葉によって相手に伝えられたところからはじまります。というのも、相手にとってはそれは発言者の考えや気持ちに関する真新しい情報である場合も多く、また、それまでにそのことについて話し合う機会もなかったため、それを聞いた側としても、いろいろと思うところ、感じることはあるのです。そして、普段本当に思っていることを言わない人が「本音」を言ったところから、真に意味のある「本音トーク」、本当のコミュニケーションが始まるのです。相手に何かを伝えるのであれば、その相手に向き合うことが大切です。向き合って、自分の発言に対して相手がどう感じたのか、どう考えているのか耳を傾けて、それについて、さらに話し合っていきます。こうした「相互」の心的・言語的やり取りが、相互理解につながる、真の話し合いであり、コミュニケーションです。






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