興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

カセクシス、充当 (Cathexis)

2014-06-06 | プチ精神分析学/精神力動学

 カセクシス、などというと皆さんにはあまり馴染みのない言葉かもしれませんが、これは私たちの日常に溢れている現象であり、この概念について理解があると、あなたやあなたの周りの人のこころの変化について、理解が深まることと思います。この概念をしらなければ、知らず知らずのうちに起きている面白いの現象です。

 カセクシス。いい響きです。

 さて、それでカセクシスとは何でしょう。

 これは、精神力動学、精神分析学の概念で、あなたのこころの精神的エネルギーが、特定の対象に注がれることを指します。

 かつてフロイトは、この概念を用いて、こころの経済論的見地において、この精神的エネルギーの消費の様子について説明しました。私たちのこころのなかの精神的エネルギーの資源は限られていて、あなたが誰かや何かに夢中になっているときに、無意識的に、あなたの精神的エネルギーがその対象に注がれるわけです。

 たとえば、和樹さんが奈緒子さんに恋をします(以下のお話はフィクションです、念のため)。

 和樹さんのその恋は猛烈で、奈緒子さん一直線です。やがて和樹さんのその好意は奈緒子さんに受け入れられ、和樹さんはその恋のハネムーン期で、さらに奈緒子さんに没頭していきます。このとき、和樹さんはもう奈緒子さん一筋で、彼の周りの他の誰にも意識が向きません。今まで好きだった携帯ゲームもしなくなりました。テレビドラマの視聴もやめました。やめるつもりもなく、それらの活動はなくなっていきました。

 これは猛烈なカセクシスですが、やがて和樹さんと奈緒子さんの恋はハネムーン期を過ぎて、権威闘争期(Power struggle period)に入りました。奈緒子さんへの理想化も弱まり、次第に今までは見えていなかった奈緒子さんの欠点が目につくようになります。奈緒子さんとしても、和樹さんについて、同様のことが起こり、その結果、ふたりの間には争いが増えるようになってきました。

 ある日、和樹さんは出席した友人の結婚式の二次会で出会った聡美さんと意気投合し、携帯電話の番号を交換し、Lineなどでやりとりをしていくなかで、聡美さんへの興味を深めていきます。和樹さんは、こうしたことを、奈緒子さんに隠れて慎重にしていたのですが、奈緒子さんに対する興味の薄れはどうしようもなく、間もなく浮気はばれ、二人は破局を迎えました。

 さて、大変困った話ですが、この一連のできごとで、和樹さんの精神的エネルギーには何が起こっていたのでしょうか。

 和樹さんは、奈緒子さんに向いていた精神的エネルギーが、やがて聡美さんに向くようになります。このとき、カセクシスとは真逆の作用、Decathexis(ディカセクシス)が起こっています。

 ディカセクシスとは、その人がそれまで注いでいたエネルギーを、その対象から今度は吸い取ることです。イメージするならば、今まで和樹さんは注射器で奈緒子さんにエネルギーを注入していたのですが、今度は今まで注いでいたそのエネルギーを、同じ注射器を使って吸い取っていたわけです。無意識のお話です。

 なぜそのようなことをする必要があるのでしょう。

 それは、和樹さんの精神的エネルギーの総量は一定であり、彼の関心が聡美さんに向かうためには、それなりのエネルギーが必要であり、それが足りていなかったので、奈緒子さんに注いでいたものを吸い取って自分のなかに取り戻して、それを聡美さんに注ぎ始めたわけです。

 ところで、最初に和樹さんが、奈緒子さんに恋心を抱くにつれて携帯ゲームをしなくなったのは、ここにも実はディカセクシスの作用が働いていて、携帯ゲームに注いでいた精神的エネルギーが和樹さんによって吸い戻されていたわけです。

 なんだかろくでもない例を上げてしまいましたが、浮気がばれる一因に、このカセクシスとディカセクシスの作用があるのは間違いなさそうです。あなたのパートナーは、あなたの注意や関心が減っていくことにはあなた以上に敏感です。

 またこれは、どうしてふたりの相手と同時に付き合うことが、たとえ3人の合意であっても望まくないことであるかの理由のひとつでもあるように思います。というのも、お分かりのように、人間の精神的エネルギーには個人差はあるものの、その個人ごとに上限があり、ふたりだけの関係であったら、そのひとりのパートナーにあなたは全精力を注いで愛することができるのですが、ふたりいると、そのエネルギーを二分割しなければならなくなるからです。その結果、あなたはひとりひとりをフルに愛することができませんし、また、あなたのふたりのパートナーは、その半分のエネルギーしか受け取ることがありません。それは相手にとって、フェアではありません。相手は、あなたのベストな愛に値する存在だからです。それから、いうまでもありませんが、ふたりの相手に「均等」にエネルギーを「二分割」するのは不可能ではないとしても、極めで難しいことです。そういう意味でも、相手にとって、フェアではありません。

 ところで、これも興味深いことですが、自己愛の強い人は、本来他者に向かうべき精神的エネルギーが自分に向ってしまっていることで、これは、外部の対象に対するディカセクシスによるものです。ディカセクシスによって、他人に興味がなく、自分にばかり興味がでてしまうのです。自分の話を延々とし、身だしなみに常に囚われて、スマートフォンでセルフィーばかりして、LineやFacebookなどで自分の話がスルーされたり期待していたことと違う反応をされると激昂するような人たちです。

 最後になりますが、カセクシス、ディカセクシスは、恋愛関係に限ったことではありません。それ以外のあなたの精神活動にも見られます。たとえば、あなたが仲良くしている個人やグループが変わっていくときや、今の会社に情熱が持てなくなって、転職を考えているとき、それから、ある趣味に対する興味がなくなり、別の趣味に興味が湧いていく過程などにもこの現象がみられます。