興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

comfort zone, personal space, and boundaries

2010-01-15 | プチ臨床心理学
前回の「発言と関係性」の続きを書くつもりで随分と日が開いてしまったけれど、今回の記事は、なんとなく、その続きです。もし「前回の内容と直接関係している記事が読みたい」という方いらっしゃいましたら教えてください。

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 人間、その生まれ育った環境―とくに親子間の対象関係―によって、人それぞれ異なった性質の対人距離をもっていて、「どのような距離の、どのような質の対人関係」がその人間にとって快適であるかも当然異なってくるわけだけれど、「侵入的(Intrusive)」とか、「プライバシーの侵害」とか、「境界線への侵入」とか、そういうものも、人それぞれ「どこからが不適切」なのかが異なるわけで―もちろん誰がどう見ても不適切なものは別として―その微妙なところの対人関係のやり取りというのは、よく注意しているといろいろ見えてきて面白い。

 たとえばあなたが誰かと交流していて、「なんとなく」居心地の悪さを感じたり、防衛的になっている自分に気付いたときに、その理由は「相手が侵入的で『いささか』個人的『過ぎる』質問やコメントをしているから」だと思ったときに、ちょっと立ち止まって、「本当にそうかな」と考えてみると、もしかしたら自分のほうがガードが固すぎるのかもしれないとか、自分が秘密主義なのが問題かもしれない、とか、たまたまそのときの精神状態や、その直前に経験した何かによって、また、最近自分に起きている何らかのできごとによって、敏感になっている話題だから、防衛的になっているのかもしれない、とか、いろいろと、自分のほうの問題の可能性についても見えてきたりする。Intimacy(親密さ)に対するこころのどこかの回避性や葛藤だったりもする。人間、そうやって自分を見つめたくないものだから、ついつい相手のせいにしてしまいがちだけど、そうやって自分を正当化したところで、こころのどこかに疑問は残るし、それを無視し続けていたら、成長も進歩もない。

 このように内省すると、「相手が無神経だから」、「相手がデリカシーがないから」、「相手がSocial skillsがないから」、「相手が鈍感だから」、「相手が野暮だから」、と、相手の人格や属性に責任を転化して合理化して終わりにしてしまうことを防げるし、そうすることで、防衛的にならずにこころを開いて話し続けることができたりして、その結果、相手との相互理解や信頼感が深まったりする。

 もちろん明らかに破壊的で敵意のある人間もいるけれど、多くの人間関係においてのやりとりは、それがどのような方向に展開しても、その責任は、50-50であるということを覚えておくといいかもしれない。相手の人は、ただ単にこちらのことをより知りたかったり、興味や好奇心があったりして何の他意もなく発言したり質問したりしているだけかもしれないのだ。
 それから、相手と自分とで、快適な対人距離の「長さ」や「質」が異なること、そういうもともと持っているものに対して時にはチャレンジしてみることで、人は変わるし、成長するし、新しい体験や発見がでてきて、対人関係の質も変わってくる。

 ところで、あなたが誰かと交流していて逆にそのひとが「防衛的だなあ」とか「秘密主義だなあ」とか思ったときに、これまでの内容について考えてみると、やはりいろいろな発見があるだろうし、自分と違ったパーソナルスペースをもったその人の立場を尊重することもできるだろうし、そこでまた新しい人間関係ができていくかもしれない。