興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

発言と関係性

2010-01-03 | プチ臨床心理学
 言葉というのはつくづく面白いものだと思う。

 世の中には、発言「し過ぎる」ことが問題で人間関係に問題を抱えているひともいれば、発言が「少なすぎて」人間関係に悩んでいるひともいる。また、発言数がいわゆる平均的なひとより多くもなければ少なくもないけれど、その発言の内容そのもので人間関係に問題を生み出しているひともいる。しかし今回は、「言いすぎ」、「言わな過ぎ」について考えてみようと思うので、3つ目のケースについてはここでは触れないことにする。

 では、何をもってして「言いすぎ」、「言わな過ぎ」といえるのだろうか。もちろんそれにはいろいろな可能性があるけれど、臨床心理学的にいえば、「その人の発言が多すぎたり、少なすぎたり」することによって、その本人、或いはその周りの近しい人間が、またはその両者がその人間関係に問題を感じている、というのが最も典型的な可能性のひとつだと言えるだろう。
 たとえば、誰から見てもおしゃべりな夫婦やカップルがいたとして、その両者が、機関銃のようにひっきりなしに、しかしピンポンの如くテンポの良い会話のキャッチボールをしていて両者ともその関係に満足していたら、とりあえずその二人の口数には何の問題もない。
 また、湖の水面のように静かなカップルが、たとえば一日一緒にいて、ほとんどしゃべらなかったけど、お互いが一緒にいることやその関係性に満足していたら、彼らの口数にもやはり問題はない。
 それから、ものすごくおしゃべりな人と、ものすごく無口なひとの組み合わせで、後者は前者の話にいつも興味を持っていて、前者は後者が本当に言いたいこと、大事なことはいつでも言ってくれると分かっていて、また、そのひとが自分の話に興味を持っていると分かっていたら、そこにも問題はないだろう(彼らが会社や学校などにおいての人間関係においてその口数によって問題を抱えているかも知れないが、今回は、Romantic relationship,親密な関係に限定する)。

 このように、多少極端ではあるが、上記の例において、そのカップルは少なくともそのシステム内において、「話し過ぎ」でも「話さなさ過ぎ」でもない。
 それでは一体どういうときが「言いすぎ」、「言わな過ぎ」なのかといえば、それはもちろん、パートナーの発言数についてもう一方の人間が困っている場合である。興味深いことに、こういう場合、どちらか一方だけが困っている、ということはあまりない。たいていは、両者が両者の発言数について悩みやら葛藤やらもどかしさやら不満やら苛立ちやら怒りなどを抱えている。そこにはコミュニケーションに問題が生じているのだ。
 互いが互いにお互いに言いたいことを言いまくっているけれどどちらも全然相手の発言に耳を傾けていなかったりするところもあれば、また、一方が相手が無口で何を考えているのかが分からずに一生懸命その人が口を開くように言うのだけれど、そう言えば言うほどに相手は黙ってしまって悪循環、ということも本当に多い。(続く)