職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

埼大生の為の法華経(その7)

2007年01月31日 | 受験・学校

こんにちは
愚な教育学部の学生(甥)は元気でしょうか?”因縁”が分からないと言う事で、喩えを書く事にしました。


例えば、タバコを吸う喫煙者についてです。喫煙するように成った原因は友だち(縁)がタバコを吸うを見て、好奇心(因の種)から一本だけタバコを吸う事から始まり、そして友だちがその事を褒め称えた事で、タバコを吸う癖が身に付き(習因)、喫煙者になった。

喫煙者に成ると色々な物事(果)を引き起こす原因を作る事に成る。(因子)例えば、火事やストレス、及び病気・他人に焼けどを負わせる事故など、また灰皿がある場所(縁)、喫煙者の仲間を探し求める。そして、喫煙する事で良悪の見境(根)が鈍くなり、その事で罪を作り、苦を味わい、悩むと言う事。


十二因縁に話を戻そう。!
1.無明(むみょう)
仏教では過去世の無始の煩悩と解釈しているが、色々調べて見ているうちに、これは遺伝子ではないのかなと考えられる。


2.行(ぎょう)は過去世に煩悩より作った悪業(祖父母・親の行為)
つまり、先祖代々伝わっている習慣や価値観・人生観を主に指す。(高学歴は高収入、高収入は金持ち、金持ちは悩みが無く、幸せ)これら以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

おのおの各自は服を脱ぎ、佛にその上着を供養した。釈提桓因(しゃくだいかんにん)・梵天王(ぼんてんおう)等・無数の天子と共に、天子たちの衣や天の音楽・曼陀羅華・魔訶曼陀羅華等をもって佛を供養した。

佛に降り注いだ、天子の衣や天子が持っていた数々の楽器などが空中で、舞ていた。また、諸の天華を降らし、次の事を述べた。

”佛、昔にハラナイで、初めて法輪を転じ、また今、この上ないほどの大法輪を転じたのでしょうか?”その時、諸の天子、重ねてこの義を述べて、偈を挙げて言った。

”昔、ハラナイで四諦の四つの法輪を説法し、その説法の中において分別し、諸法は五陰(五蘊(ごうん))の生起と消滅から成る事を説き、今また、とても不思議で最高の大法輪を説明されましたが、この法は甚だ、奥が深く私たちの考えが及ぶものでは有りません。

だから、この法を信じるものは極く僅かな者達でしょう。私たちは昔より今まで、しばしば世尊の説法を聞いて参りましたが、今だかつて、このような深くて不思議な上法を聞いた事が有りません。

世尊、この法を説いて下さるならば私達、皆が歓喜すると共に、大智舎利弗が今、世尊から阿耨多羅三藐三菩提の記を授かった時と同様、私達も必ず佛に成り、一切の世間において、最尊にしてこの上ない者に成るでしょう。

だが、仏道は思いはかることが難しい。したがって、方便をもって法を説いてください。さすれば、私が持っている現世及び過去の幸運、佛を見て得られる功徳などすべてを佛道に入らしめる為に役立てましょう。”

その時、舎利弗は佛に謹んで言いました。
”世尊、今私は後悔などはしません。親の佛前で阿耨多羅三藐三菩提の記を受ける事が出来たと思い込んだ事

その記を受ける事が出来たと思い込んだ者は千二百人にのぼり、それらの者達の心は自由でありました。

昔、それらの者が修行を積んでいた頃、佛は私たちを教え導く為、常におしゃいました。”私の法は良く生・老・病・死を離れて涅槃を突き詰めるようになると”

私達、有学・無学の者(四果)は各々、自ら我見や有無の二見から離れる事が出来たので涅槃を得たのだと思い込んでいました。

しかし、今世尊を前にして、未だ聞いた事のない法を聞き、皆疑問を抱いています。良いですか?。世尊、願わくは四衆(四果)の為に、その因縁(理由)を説いて、後悔する思いを晴らして下さい。

その時、佛が舎利弗に告げました。
私が先に、色々な佛世尊の種々の存在理由(因縁)・教え(比喩)・呪文(言辞)をもって、方便して法を説いたのは阿耨多羅三藐三菩提(最高の悟り)を得る為の物で有る。と言っていません。

この諸の所説は皆、菩薩を教え導く為の物です。舎利弗、今将に、また比喩を持って更に、この義を明かすべし。諸の智慧ある者は比喩をもって悟りなさい。


・釈提桓因
帝釈天の別の名で、人として生まれた時、無暗に施しを行った為、貧困して路上で餓死したと時の名
・梵天王
本来はバラモン教で根本原理を人格化した最高神であったが、仏教に取り入れられて正法護持の神とされる
・四果
小乗仏教において、修行によって得られる結果を分類したもの。
・預流(よる)果、
聖者の位に入った者
・一来果、
天界と人間界を往復する者
・不還(ふげん)果
流転することのなくなった者
・無学果(阿羅漢果)の総称
完全な悟りを開た者
・我見
自己の内部に不変の実体、本質が存在するとする、非仏教的な考え
・有無の見
有見(うけん)と無見(むけん)。いずれにも偏らない中道が真理とされる。有無の二見
・有見
この世の事物は実体として存在するという、反仏教的な考え
・無見
この世の事物は実体として存在せず、一切が無であるという考え


今日はこの辺で終り、

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埼大生の為の法華経(その6)

2007年01月26日 | 受験・学校

こんにちは
愚な埼大生は元気でしょうか?
この前の続き、”縁”です。お釈迦様は”縁”により、人の行為(果)の素と成る因が出来ると言っています。


その因は心の奥底に眠る意識(種子)と縁から出来き、ある縁では果をもたらし、またある縁では冬眠し、またまたある縁では別の種を生むのです。


エッ~!因て、何だ?習慣や考え方や好みなどだ!
それらが、どう言う物があり、どう展開するのかを示したのが十二因縁です。


また、お釈迦様は”因の性質により、もたらさせる結果が違う為に良縁は○○、悪縁は××と言えないのだから、色々と経験(修行)して智慧を磨く事でしか、苦から逃れる道はない”とも言っています。


十二因縁は大きく、過去、現在、未来に渡り、分析している。
過去--1.無明2.行
現在--3.識4.名色5.六入6.触7. 受8.愛9.取10. 有
未来--11.生12.老死
これら以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

舎利弗、来世にすべての物事を見極める世尊佛に成り、その佛の名を華光と名付けて、数限りない悩める衆を救うのです。そして、無数の佛を供養し、菩薩の行(六波羅密)
十力等の功徳を身に付け、佛道を悟るのです。

数えられないほどの時を過ぎて、その時が終わる。この時期を大寶厳(だいほうごん)と名付け、その世界を離垢(りく)と名付けた。その離垢には煩悩(ぼんのう)や罪などが無く、傷や汚れも無い。

また、地面は瑠璃で覆れていて、黄金の縄で道を作り、七寶の色鮮やかな樹には、常に華が咲き、実が生っている。彼の国の諸の菩薩は常に、心強い信念を持ち、神通(智慧)・波羅蜜(修行)を皆、すでに悉く身に付け、数多くの佛の所で、良く菩薩の道を学んだ。

この様な人々達、すらわち大士等は華光佛が行った事です。佛が王子であった時、国を捨て、世の栄えを捨てて、最後の身において、出家して佛道を成就する。

華光佛が世に住んでいたのは十二小劫と言う期間でした。その国の人々の寿命は八小劫
と言う期間であった。佛がこの世から去った後、この佛の教え(正法)が世に存在した時は三十二小劫であり、広く諸の衆生を煩悩や苦しみから救っていた。

正法の時が終り、像法三十二と言う時代に成り、佛の骨を広く流布して、天人や人達が普く、これを供養する。華光佛のした事は”両足聖尊(りょうそくしょうそん)は最も勝れた者、この勝者以外に考えられない!。

彼すなわち、自分自身のことである。”と将に、頃合を見ながら自から彼の徳を褒め称え、喜んだのです。

その時、四部の衆・比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・天・龍・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・
迦楼羅(かるら)・緊那羅(ぎんなら)・摩侯羅迦(まごらか)等の大衆は、

仏前において、舎利弗が阿耨多羅三藐三菩提の意義を授かったのを見て、心から喜んで、立ち上がり、舎利弗を称えた。


・八小劫
四苦八苦の事
・十二小劫
十二教の事で、九部の法を拡大した物
・三十二小劫
三十二相経の事
・両足聖尊
二本足で歩く生き物の中で、もっとも価値有る者として尊敬される者の意味

・比丘
出家して、定められた戒を受け、正式な僧となった男子
・比丘尼
出家して定めの戒を受け正式に僧となった女子
・優婆塞
三帰・五戒を受けて正式の仏教信者となった男子。また、在家のままで仏道修行にはげむ人
・優婆夷
三帰・五戒を受けて正式の仏教信者となった在家の婦人
・乾闥婆
帝釈天(たいしやくてん)に侍し、香を食して音楽を奏する神。
・龍
「竜」、「竜王」などと称される種族の総称と解釈されている
・夜叉
毘沙門天(びしやもんてん)の眷属で北方を守護する鬼神
・迦楼羅
仏典にみえる想像上の大鳥。金色で鷲(わし)に似ていて、口から火を吐き、竜を取って食うとされる。仏教を守護する天竜八部衆の一
・阿修羅
仏教では帝釈天)と戦うとされる。釈迦によって教化されたとみなす場合は、八部衆の一つとして仏教の守護神。また、六道の一つで、常に戦い合う世界の存在ともされる
・緊那羅
音楽神であり、また、半身半獣の人非人ともいう。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされ、美しい声で歌うという
・摩侯羅迦
大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの。緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神ともいう

今日はこの辺で終り、

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埼大生の為の法華経(その5)

2007年01月22日 | 受験・学校
こんにちは
愚な埼大生(甥)は元気でしょうか?
理解できたでしょうか?お釈迦様の悟り”死があって、生がある。故に執着が有りて、苦を受く”よって、生きている限り苦からは逃れられない一切皆苦です。


ところで、生きていると執着心を起こすのはなぜでしょうか?それが無くなれば、苦が無くなるのですから、お釈迦様はその事も悟っています。それは”縁”によって、もたらされる
習慣的な価値観によるものです。


なぜでしょうか?
人の心は”空”だからです。つまり、自分は自分があると思っているが、人間の本来の考えは元から無いのです。コンピュターと同じで、誰かが外部から来た信号を処理するプログラムをインストールしなければ、稼動しません。だから、インストールしたプログラムしだいで、どうにでも動く機械です。すなわち”空”です。


誰がプログラムをインストールするのでしょうか?
それが”縁”です。これら以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

皆、久しく徳本を植えて、数限りない百千萬憶と言う数の佛の所において、清く仏道の修行を身につけて、常に諸佛を感心してほめたたえる為、常に佛の智慧を身につけ、大神通力を持ち、すべての佛の教えを良く知り、素直な性質で、恐れる事が無く(無畏)、志した思いが揺れ動く事がない。

・徳本
諸善を生み出す根本(身、口、意)
・無畏
仏・菩薩のそなえる徳の一。智慧(ちえ)があるため、教えを説くときに自信にあふれ何ものも怖れないこと
仏の四無畏
・一切智無畏
大衆の中で、”私は一切智人である”と明言して恐れを抱かない事
・漏尽無畏
大衆の中で、”私はすべての煩悩を滅した”と明言して恐れを抱かない事
・説障道無畏
大衆の中で、惑業等の諸の障法を説くのに恐れを抱かない事
・説尽苦道無畏
大衆の中で、戒、定、慧の諸の尽苦の正道を説くのに恐れを抱かない事
菩薩の四無畏又は四無所畏(しむしよい)。
・能持無畏
教法を聞き衆義を憶持し、大衆の中で法を説く事に恐れを抱かない事
・知根無畏
衆生の根、欲、性を知り、大衆の中で法を説く事に恐れを抱かない事
・答報無畏
大衆から難問を出されても、よくこれに応対出来るので法を恐れを抱かない事
・決疑無畏
大衆の中で法を相手に理解させ、疑念を無くすので、法を説く事に恐れを抱かない事

この様な菩薩がこの国には沢山いる。舎利弗、華光(けこう)佛は十二劫の教えと同様の教えを持っている。王子がまだ、佛になる前を除けば、その国の人民は八劫の教えと同様の教えを持っている。

華光佛が堅満菩薩(けんまん)に十二劫の教えを授け終わり、阿耨多羅三藐三菩提の書き記したものを授けて、諸の比丘に告げました。この堅満菩薩が次に佛に成る事、その佛の名を華足安行(けそくあんぎょう)・多陀阿伽度(ただあかど)・阿羅訶(あらか)・三藐三佛陀(さんみゃくさんぶつだ)と言う。

その佛の国土も、また同様です。舎利弗、この華光佛が滅度した後、正法(仏教の教え)が世の中に広まり、三十二劫の教えが根付くでしょう。そして、その後の像法の時も、三十二劫の教えが広まり、根付くでしょう。

・像法
正法が滅した後、像などを用い形骸化される期間
・劫
一つの教えを悟るまでの時間、または教えの数え方
・阿耨多羅三藐三菩提
直訳すると、三の菩提に通じる道を良く見る事です。多分、因、縁、果の有り方を体験を通して、悟る智慧の事だと思います。
菩提には、智慧以外に頼る場所と言う意味があります。例、墓を菩提、寺を菩提寺

その時、世尊が重ねて、この義を述べる為、偈を説いて告げた。


今日はこの辺で終り、



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愚な埼大生の為の法華経(その4)

2007年01月19日 | 受験・学校
こんにちは
愚な埼大生は元気でしょうか?
この間の言いたい事が理解できたでしょうか?つまり、人の死はお釈迦様から見たら、一時的な状態で、次の生命体に成る準備期間である。


そして、死は生きている時と違い、感覚器官がないので何も感じることが無く、苦も無い。また、自ら選択できる状態でないので、迷いも無い。ただ、自然の法則に従い、新たな生命体に成るのを待つだけである。


では、人が生きていると言う事はどう言うことか?色々な条件が重なり、今のお前が今の親の下に生まれた。つまり、この世に人として姿を現したと言う事だ。そして、生とは現状維持と死の二つの状態をあり、常にどちらか、一方を選択しなければならない状態である。


だから、人は死を感じながら、その事が苦と思う。一方、苦を忘れようと、色々な事に興味を持ち”面白いものは無いか”と楽を好みながら生きている。やがて、生に執着するあまり、自己を愛し、自分の所有物を愛し、他の者を否定する。


ついには、その様な事が習慣に成り、苦脳を味わうのだ!
だから、お釈迦様の悟りは死の世界の上に、生が成り立っているのであるから死を恐れず、生に執着せず、ありのままの現実を受け入れろと言う事である。
これら、以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

その時に佛、舎利弗に告げました。
私は、今まさに天・人・苦行者・バラモンの僧たちの大衆の中において説明しましょう。私は昔かつて、二万億の佛の所において、無上道(仏道)を得たのです。そして、その教えに従いって、常にあなたを教え導いて来たのです。

あなたもまた、煩悩(ぼんのう)に迷いながらも、私に従って教えを受けて来ました。私が今、あなたを方便をもって、引導させる為、我が法に従うのです。

舎利弗、私は昔、あなたを佛道に志願させました。あなたはその時の事をすべて忘れ、そして、自分でかってに滅度の法を得たと思い込んだのです。

私は今一度、あなたが昔、誓願して修行した本願所行の道を歩んだ頃の様な気持ちを堅く心に抱く事を願う。と共に、法を聞いている諸の者達の為に、本願所行の道をこの大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・佛所護念と名ずけた事を説きます。

舎利弗、あなたが未来、気が遠くなるほどの時を過ぎて、千萬億の数の沢山の佛を供養し、正法を守り、菩薩所行の道(六波羅密)を身に付けたなら、成仏することが出来るでしょう。そして、名を華光如来(けこう)・応供(おうぐ)・正偏智(しょうへんち)・明行足(みょうこうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士
(むじょうし)・調御丈夫(じょごじょうぶ)・天人・佛・世尊と言う。

住んでいる国(心)を離垢(りく)と名ずける。その土は誰に対しても正しく、平等に扱い、清らかで厳しくまた、安穏で気楽であるので、天・人に溢れ返っている。離垢を地となして、八つの交じわる道がある。

黄金を縄にして、その縄でもって道の片方を境線にする。もう一方の片側には各々七宝の樹木が道沿いに列を成して生えていて、常に実が成っている。

華光如来もまた、三乗をもって衆生を教え導いている。
舎利弗、彼の佛が世に現われた時、世は悪世で無いかも知れませんが、過去の誓いの為、三乗の法を説くのです。その時を大寶荘厳(だいほうしょうごん)と名付ける。

なぜ、大寶荘厳(だいほうしょうごん)と名付けたのかと言うと、その国には菩薩が居て、その菩薩を大寶と見なしたからです。彼の諸の菩薩は思いも付かないほどの数に上り、数字の単位で表すことが出来ないほど居ました。

・菩薩
最高の悟りを開いて、仏になろうと発心して、修行に励む人。初めは前世で修行者だった釈迦をさす名称であったが、のちに大乗仏教では自己の悟りのみを目指す声聞(しようもん)・縁覚(えんがく)に対し、自利利他の両者を目指す大乗の修行者をいう。弥勒・観世音・地蔵などの高位の菩薩は仏に次ぐ存在として信仰される

この菩薩たちは佛の智力を持ち合せていないので、この者たちを知る人は居ませんでした。もし、修行に行かんと望む時はすぐれて尊い華を足に手向けられる。この諸の菩薩
は、初めて、その心を起こした訳ではありません。


今日はこの辺で終り、






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愚な埼大生の為の法華経(その3)

2007年01月16日 | 受験・学校

こんにちは
愚な埼大生は元気でしょうか?少しはお釈迦様の説いた仏教が分かったでしょうか
ダメ!~うん。
12因縁を少し解説しましょう。はじめに、あなたはなぜ、生まれたのでしょうか?
答えは、親が居たからです。当たり前だと思うかもしれませんが、それをどんどん続けて行くと、どうなるでしょうか。?多分、答えは出ないはずです。


だから、お釈迦様も、その様な事を無明と言ったのです。次に、あなたはこのまま、生き続ける事が出来るか。?答えは、ノーで、人は死ぬ。
では、死んだらどうなるのでしょうか。?


答えは、分からない。死んで、生きて来た人は居ないからです。やはり、これも無明です。ところが、お釈迦様は”人は死なないし、生きても居ない”と言ています。
なぜでしょうか?。答えは、食物連鎖の事です。


そうです。人も食物連鎖の中にあり、その肉体は腐り、分解されて他の物の中で、形を変えて、存在する事を述べたのです。どう言う風に生まれ変わるかは無明ですが、だからと言って、死んで無くなったとしたら、地球の質量が変わり、自転・公転が変わり、非いては地球は無くなります。


また、霊の存在ですが、もし有ったとしたら、人は動物や魚など好き勝手に食べる事ができませし、その霊がどこから来るかにより地球の質量に影響を及ぼす。だから、霊の存在もないと言えるのです。
これら、以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

我はこの光景を見て、”なぜ、自分は無漏の法の利益に預かれないのか”そして、この事を他の者に知られない様に自ら、騙し欺きながら、常に昼夜問わず、この事を考えていて、世尊にこの事を尋ねたいと願っています。

”なぜ、失ったのか?どうすれば失わないのか?”我は常に世尊の側にお仕えし、諸の菩薩を賞賛しながらも、日夜、この事を思ひ量ていました。今、佛のお言葉を頂きたいと願っています。どうか、宜しく法を説いて下さい。

無漏を思い量ることは非常に難しいく、多くの人を仏道を修行する場所へ導いていながらも、我は元々、邪見に執着する梵志(バラモン教の信徒)であり、諸の梵志を指導する指導者であった。

・無漏
煩悩を断つ事を言う
・煩悩とは
人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着などの事で、根本煩悩と枝末煩悩から成る。
・根本煩悩は貪、瞋、癡、慢、疑、見の六煩悩で、無意識の内に身に付けたもの
・見は仏教の教義に反する五つの誤った考え。
1.身見2.辺見3.邪見4.見取見(けんじゆけん)5.戒取見(かいじゆけん)
・枝末煩悩は
根本煩悩に伴って起こる従属的な煩悩で小随・中随・大随に分類される人の行為。
■小随煩悩
気持ちが平静だと、すぐに納まる。
1.貪を根元とするもの
覆(ふく)、慳(けん)、誑(おう)、諂(てん)、驕(きょう)
2.瞋を根元とするもの
忿(ふん)、恨(こん)、悩(のう)、害(がい)、嫉(しつ)
3.癡を根元とするもの
覆(ふく)、誑(おう)、諂(てん)
■中随煩悩
・無慚(むざん)・無愧(むぎ)
世間に恥じずして諸罪を造る心なり。
■大随煩悩
掉挙(じょうこ)昏沈(こんぢん)不信(ふしん)懈怠(けたい)放逸(ほういつ)
失念(しつねん)散乱(さんらん)不正知(ふしょうち)
鋭く人を傷つけるわけではありませんが、根本煩悩が小随煩悩として表層の心に現われる時は大随煩悩が作用している。
108煩悩
眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根×好(気持ちがいい)・悪(いやだ)・平(何も感じない)の三種×浄(きれい)・染(きたない)の2種×現在・過去・未来の三種で 108 とするものなど色々ありますが、すべて俗説のようです。

世尊、我が心の思いを承知されて、邪(正しくないこと)を抜き、涅槃を説いて下さったので、我は悉く、邪見を取り払う事が出来、空の法において、悟りを得る事が出来ました。その時、心に自らの意を述べなければと思いました。

・空の法
”すべての物はある物の集合体であり、そこには自体は無く、互いに依存し合っているから縁により、その集合体は自由に、ある物を生じたり、滅したりと変化し続ける事”

煩悩を滅し、涅槃に渡る事が出来る滅度の法を得たとしても、これは真の滅度ではない事を今、自らが悟りを得たのです。

もし、我が佛に成った時は三十二相を身に付け、天人・夜叉衆及び龍神等が謹み敬うはずです。そして、この時に我は永く煩悩を滅し尽くし、もう他にはないと考える事が出来ます。

佛は大衆の中において、我に”佛に成るべし”と説き、この様な演説を聴いて、疑惑を悉く、自分の中から除いた。

初め、佛の説く所を聞いて、心の中に大い成る驚愕が走り、”将に悪の佛を作り、我が心を悩乱するのではないか”と思った。

ところが、佛は種々の縁・比喩をもって巧みに言説しました。その心は海の様に安らいだものであり、我はこれを聞いて、疑いを晴らす事が出来った。佛が説いた過去世の無量の滅度後の佛も、方便の中に安住して、また皆、この法を説いて下さっています。

現在未来の佛、その数は計り知れないほど居たとしても、また諸の方便をもって、この法を演説して下さいました。今居る世尊も、また生まれた時から出家し、得度し、法輪を転じるまで、方便をもって説いて下さい。世尊は実道を説いて下さい。

邪悪な魔王、ハジュンはこの様な方便を使わない。この事より我は”この佛は魔の佛では無く、魔の佛がする行為でも無い”と確信した。我が疑いは晴れたのですが、

佛の柔軟な声で、とても奥が深いく不思議な清浄の法を落ち着き払って、演説しているのを聞き、我が心に大いなる歓喜が沸き、永く間疑いが湧く事が無く、実智の中に安住した。”我は確かに成仏して、天・人に敬われる事を得られた後、無上の法輪を転じて諸の菩薩を教化する事”この言説は魔の仕業と思える。

今日はこの辺で終り、

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