職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

埼大生の為の法華経(その21)

2007年04月30日 | 受験・学校
こんにちは
愚な教育学部の学生(甥)は元気でしょうか?

法華経の譬喩品の訳も、そろそろ終わりを告げそうです。この譬喩品では、有名は三界の火宅の話です。
そして、お釈迦様がここで伝えたい事は何だか、分かったでしょうか?

エッ~!、法華経をけなすと罰が当たり、生まれ変わった時、耳や眼が悪く成って?
違うよ!
貧乏になる?
違うよ!
犬、猫、牛に生まれる?
違うよ!
訳の分からない病気になる?
違うよ!

答えは、長者の子らのように、人は生まれながらに、善悪の判断がつかず、何が正しくて、何が悪いかを知ろうともせず、また関心を示す事なく、楽する事・遊ぶ事・物を欲しがる事を追い求めている。

つまり、心・身・住んでいる所の三界は煩悩の炎で、覆われている為、その事が、他人や自分の体に害を及ぼし、やがて、悩みに変わり、苦の報いを受ける事を教えている。

そして、多くの人は自分の犯す罪には目を瞑り、人の注意には耳を貸さず、他人の犯行には口を噤む。まるで、目が見えず・声が聞こえず・声が出ない人の様であり、その姿は餓鬼・夜叉・阿修羅のようであり、その行いは犬・狐・蟲と変わらない。

やがて、その報いとして、重篤な病気になり、終わることのない阿鼻地獄の苦を得る。
その者たちを阿鼻地獄の苦から救うのは、長者のようにその者たちの持っている三界を知り、その者たちの欲を利用し、煩悩から脱出させる。

では、今回は五蘊(ごうん)の識です。
識とは
対象を認識する心の働きで、六識と八識がある。
六識;眼・耳・鼻・舌・身(触覚)・意(認識・推論)の各識の総称。
八識;六識+末那(まな)識・阿頼耶(あらや)識の総称。
眼識→色、耳識→声、鼻識→香、舌識→味、身識→触、意識→法
末那識→自己意識、阿頼耶識→知覚や認識・推論・自己意識などの諸意識の根底にある意識

今回はこの辺でおわり、では法華経の譬喩品の続きをどうぞ!


舎利弗に告ぐ。
もし、この経をけなす者の罪を説こうとして、永い時間を費やしたとしても、説く事が出来ない。この因縁を持って、更に我は汝に語る。

無智の人の中で、この経を説く事はするな!
もし、利根を持ち、智慧があり、学問を学び、幅広い知識があり、佛道を求める者の為に、この経を説くべし。

もし、人がかつて、億百千の佛を供養し、色々な善の種を植え、意志が強く、簡単に相手に従ったり動かされたりしない人の為に、この経を説くべし。

もし、精進する人がいて、常に慈悲深い心を身に付け、何事にも身命を惜しまない人の為に、この経を説くべし。

もし、人を謹み敬い、人に逆らう心を起こさず、色々な凡愚な者から離れて、たった一人で山麓に住む人の為に、この経を説くべし。

また、舎利弗
もし、人がいて、その人が悪知識を捨てて、善友に親しみを持ち近づくを見た時、その人の為にこの経を説くべし。

もし、この教を信ずる人が戒を守り、心身をまるで、汚れのない光り輝く玉のように清めようとして、大乗経を求める者を見た時、その人の為にこの経を説くべし。

もし、怒り・憎しみ・怨(うら)みなどの憎悪の感情を持つ事のない人がいて、なお、その人は素直で、柔軟な心を持ち、常にすべてのものに哀れみを持ち、諸佛を供養する者であるなら、その人の為にこの経を説くべし。

また、この教を信ずる人が大衆の中で、清浄な心をもって、数々の因縁・比喩・言葉をもって、救い以外に何の意図も無く、説法する者がいたなら、その人の為にこの経を説くべし。

もし、比丘の一切智により、あらゆる所に法を求めて、頭を下げ両手を合わせながら、教えを乞い、願って大乗の経典を授かろうとする者、あるいは他の経の一偈を授かろうとする者がいたとするなら、その人の為にこの経を説くべし。

人が心に応じて舎利弗を求めるように、経を求め、その教えを得たいと願い、自ら頭を下げ受けとる者。そして、その者は他の教えを求める事が無くまた、未だかつて、邪道の書物を念ずることが無いとしたならば、その人の為にこの経を説くべし。

舎利弗に告ぐ
我はこの様に、佛道を求める者の姿を説いて見せたが、いくら時間をかけて説いたとしても、尽きる事は無い。この様な人々はよく、この教法を信じ、理解する者達である。
汝、将に、この人々の為に妙法華経を説くのです。

・悪知識
悪法・邪法を説き、人を悪に導く人・悪友
・善友
人々を導いて仏道・悟りに導き入れる僧や友人
・一切智
三智の一。あらゆる事物について知る縁覚・声聞の智慧
三智→一切智(声聞縁覚の智)・道種智(菩薩の智)・一切種智(仏の智)

以上で、法華経の譬喩品は終り




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埼大生の為の法華経(その20)

2007年04月28日 | 受験・学校

こんにちは
愚な教育学部の学生(甥)は元気でしょうか?

このブログを始めて、一年と半年が、経過しました。最初は就職や資格について、書くつもりだったのですが、それらに関しては様々なサイトが多数存在しているので、あえて就職や資格について、今更、掲載する必要が無いと考え、途中から仏教について書いた。

仏教を取り上げたのは、人が事をするに当たって、それを行なおうとする心の状態を作るには如何すれば良いかが、仏教を紐解く内に分かるかな!と思ったから。

では、今回は五蘊(ごうん)の想・行です。
想とは
事物の相を見て、思い描く心の働きで,言語のを起こす本となるもの。
・妄想---精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断をする事
・空想---自分に都合の良いように思う想い
・愛想---自分の好む者に執着し親愛する想い

行とは
身・口・意(心の意志的働き)で、つくられたもの。

今回はこの辺でおわり、では法華経の譬喩品の続きをどうぞ!

此の経をけなすと、次のような罪を獲るのです。
もし、人として生まれたとしても、六根がきわめて鈍く、小人の様な者・手足の自由に利かない者・耳が聞こえず、眼の見えない者・背虫のように背が曲がっている者など

この者達は、自分の意志を持ず、また意見を述べる事もないので人を信用しない。口から吐く息は常に臭く、鬼のような姿をしている。それゆえ、貧困で卑しく、また人に使われる為、病気が絶えず、その事に悩み、苦しみ、身はやせ細り、人から頼られる事がなく、人に親しんでつき従がったとしても、人から認められる事が無い。

もし、何か人に役立つものを得られたとしても、突然、得た時の心を忘れて自分の価値を失ってしまう。もし、医学道を学び、人の病を治療したとしても、更に別の病気を引き起こし、悪化させるか、或いは死に至らしめてしまう。

もし、自分が病んでいるなら、人を治療する事が無い。例え、良薬を飲んだとしても、病は突然、重くなる。もし、世の中に反逆して、人を脅してものをかすめ取り、終には窃盗を行なう様になる。

この様な者達の罪は早急に天罰が下される訳ではないが、これら罪人たちは、永く佛、つまり、大地の制する者が説法において、人を良い方向に向かわせるために、人を教え、導く姿を見る事をしない。

この様な罪人は、常に苦境に生まれ、叫び声を上げたくなる様に心が乱れ、永く法を聞く事ができず、ガンジス川の砂の数ほどの限りない時間、生まれては耳が聞こえず、声が出ず、六根が不自由である。

常に、地獄に住んでいるにも関らず、家の庭で遊でいるかのように安心し、また、他の悪の道に落ちたとしても、自分の家に居るかのように安住している。

また、陀(ラクダ)・驢(ろば)・猪(いのしし)・狗(いぬ)の例えはその者の行ないや心の有り様を示すものである。

この経をけなす故に、次のような罪を得る。
もし、人と生る事が得られとしたら、耳が聞こえず、目が見えず、口が聞けずにいる為、貧困にあえぎながら憔悴(しょうすい)して、水腫(すいしゅ)・かんしょう・けいらい・おうそ・などの重い病気に掛かる。

その為、常に体は垢で汚れて不潔である為、異臭の元となる。深く我見に執着して、瞋恚を増して、淫欲が盛んに成り、人も人として見ない。この事はこの経をけなす故に、得る罪である。

・我見(がけん)
五見の一で、自分だけの狭くかたよった意見や見方の事または、〔仏〕 自己の内部に不変の実体、本質が存在するとする、非仏教的な考え。
・瞋恚(しんに)
〔仏〕 三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨(うら)みなどの憎悪の感情
・淫欲
十悪の一で、性的な欲望。情欲。色欲
・水腫(すいしゅ)
身体の組織液が異常に多量にたまった状態
・乾?(かんしょう)
常に頭痛がして、日常生活のおもしろさなどが感じられない
・けいらい
ライ病で、皮膚に腫れものや吹き出物ができ、かゆみをを増していく皮膚病
・おうそ
悪性の腫れ物、よく背中にできるできもの

今日はこの辺で終り、

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埼大生の為の法華経(その19)

2007年04月15日 | 受験・学校
こんにちは
愚な教育学部の学生(甥)は元気でしょうか?

このブログを見た、愚な教育学部の学生は「詰まらないブログだ!。こんなブログ、誰も見ない」と言った。このブログはお前のために、人とはこう言うものだ!と教える為に書いたものです。

お釈迦様の言うとおり、すべては縁で決まるから、このブログに興味を示さない者は幼稚で、欲が深く、沢山の苦を味わう者の証です。では、前回の話の続きです。
今回は五蘊(ごうん)の受です。受は六塵を六根を通して苦・楽・捨・優・喜を受ける事を指します。

受には二種類(身受・心受)あります。
1.身受---身で感じ受け取る無分別の受
苦・楽・捨の三受
2.心受---心で感じ受け取る分別心を起こす受
優・喜の二受

六塵とは
認識判断を行う六根のそれぞれの対象となる六つの領域。すなわち、色境・声境・香境・味境・触境・法境の六つで、心の清浄を汚すことから六塵(ろくじん)ともいう。
六根とは
感覚や意識をつかさどる六つの器官とその能力。すなわち眼根(げんこん)・耳根(にこん)・鼻根・舌根・身根・意根の総称。六つの根。
今回はこの辺でおわり、では法華経の譬喩品の続きをどうぞ!


もし、浅い知識しか持ち合わせていない者などはこれを聞いて、惑いを覚えながら、迷い、終には理解、出来ずにいる。すべての声聞(しょうもん)・辟支仏(びゃくしぶつ)が此の経の中で、自らの力を発揮できる所では無い。

汝、舎利弗
汝はそれでも、此の経を信じて入道を得たのです。ましや、他の声聞も入道させた。この声聞も、また、佛の言葉を信じて、此の経の教えに従がったのは自らの智慧によるものでは無いのです。

また、舎利弗
驕慢・懈怠・我見などを計る者に此の経を説く事をするな!。また、浅い知識しか持ち合わせていない凡夫など、深く五欲に執着する者はこれを聞いたとしても、理解する事が出来ない為、此の経を説いてはいけない。

もし、人がこの経を信じないで貶せば、すべての世の中の佛の教えを受ける事をしない。或いは、眉をひそめて、疑惑を抱き続ける。汝、この人の罪報を説く故に、聞くのです。

もし、佛がこの世に居る間、もしや、佛が入滅後に、経典を誹謗や中傷する事、経を声をあげて読み、覚えようとする者を見て、卑しい者を見るかの様に軽蔑し、その者の存在に嫉妬を募らし、やがて、恨みを抱く者の罪報を、今また、汝、聞くのです。

その人は命が尽きると共に、阿鼻地獄に落ち、一劫と言う永い月日を阿鼻地獄で過ごさなければならない。そして、この時が終わりを告げ、更に、この世に生まれる。このような事が想像つかない無数劫と言う時間、繰り返へす。

つまり、地獄より出ては畜生に生まれ変わり。もし、野犬や野狐に生まれたとしても、その姿は毛が無く、弱々しい。肌は黒ずみ、斑点があり、常に痛みとかゆみを生じていて、人に手荒に扱われる。

また、人から憎まれたり、卑しまれたりして、常に飢えに苦しみ、その体はやせ細り、骨と皮でけになる。ようは、生きている間、その身は害毒に鞭打たれ、死んだとしても、その屍はかわらと石を被り、野ざらしのまま放置される。

この経の教えを貶し、邪魔した罪人は次ぎの様な罪報を受けるのです。
もし、ラクダとなって、小さな粗末な小屋でうまれて、常に重い荷を背負い、鞭で打たる。ただただ、咽の渇きを潤す事でけ思い、それ以外のことは知らない。

また、此の経をけなすと、次のような罪を獲るのです。
野狐に生まれ変わて、人の住んでいる集落に行けば、身体がやせ細り、弱々しく、毛は抜け落ちて、醜いので、ただひと目見られただけで、色々な子どもに叩かれ、いろいろな苦を受ける。

ある時は死にいたる。たとえ、ここで死んだとしても、更に、大蛇に襲われる。その大蛇は長大で、5千キロメートルあり、耳が遠く、足が無く、地面をはっている。また、色々な虫に食われ、永い間、苦を受け休む事がない。


・声聞
〔梵 rvaka 仏の説法を聞く者の意〕元来は、仏在世の弟子のこと。仏の四諦(したい)の教えに従って修行し、聖者となる仏弟子。のちに大乗仏教の立場からは、個人的な解脱(げだつ)を目的とする者とみなされ、小乗の徒とされる
・辟支仏(縁覚)
仏の教えによらず、ひとりで悟りをひらき、それを他人に説こうとしない聖者。声聞(しようもん)とともに二乗といい
・驕慢(きょうまん)
おごりたかぶって相手をあなどり、勝手気ままにふるまう・こと
・懈怠(けたい)
なまけること
・我見(がけん)
自分だけの狭くかたよった意見や見方
・凡夫(ぼんぷ)
仏教の真理に目ざめることなく、欲望や執着などの煩悩(ぼんのう)に支配されて生きている人間
・五欲
色(しき)・声(しよう)・香・味・触(そく)の五境に対する愛。または財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五つの欲望
・阿鼻地獄(あびじごく)
阿鼻は無間(むげん)と訳す。間断(かんだん)がないとの意。
八大地獄の第八。地下の最深部にある最悪の地獄。五逆などの大悪を犯した者が落ち、火の車・剣の山などで絶え間なく苦しみを受ける所とされる。阿鼻地獄。阿鼻叫喚地獄。無間地獄。阿鼻焦熱地獄。

今日はこの辺で終り、








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埼大生の為の法華経(その18)

2007年04月01日 | 受験・学校
こんにちは
愚な教育学部の学生は元気でしょうか?
このブログは私と私の甥との為のブログであって、他の教員を目指す埼玉大学教育学部の学生の悪口や仏教の勧誘する為のブログではありません。だから、怪しいトラックバックは削除します。

前回の話、五蘊(ごうん)の中の色です。
・色とは、
一般に言う存在のことであり、存在はすべて物質的現象である。感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって認識する対象(境)の一つで、眼識の対象。つまり、認識の対象となる物質的現象の総称の事です。

・色の性質とは、
すべて(姿・本質)が常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。なぜならば、すべてのものがそれ自体で存在する事が出来ずに因と縁から成り立っているからだ。

・色の分類とは、
人は色を大きく、三つに分けている。つまり、三界(欲界・色界・無色界)である。これらは、心を持つ生き物と他の物の間の関係で決まる価値観の分類です。
欲界
食欲・貪欲など欲望のある世界。六欲天・人間界・八大地獄のすべてを含む。
自分の存在だけを考える為に起きる欲の世界
色界
淫欲・貪欲(とんよく)などの欲を脱しているが、まだ物質の制約を逃れていない世界
体がある事により生じる欲の世界
無色界
物質や物質的な思いから解き放たれ、受・想・行・識の四蘊(しうん)のみから成る。
つまり、自分の体がない世界
今回はこの辺でおわり、では法華経の譬喩品の続きをどうぞ!


舎利弗に告ぐ、お前たち、多くの者達は皆、我が子であり、私はお前たちの父である。
お前たちは惑(煩悩)により、迷ている永い間、自分が集めた苦に焼かれてる。私はこれらすべてをすっかり除き去らして、三界から脱出させる。

私は先に、お前たちに、滅度する事が出来る事を説いたけれども、ただ、生老病死の四苦を味わうだけで、実際には惑を滅していない。今、行なう所は唯一、佛の智慧である。もし、この衆の中に菩薩がいるならば、一心に諸佛の実法を聞きなさい。

諸佛世損は方便をもって、導いたとしても、所化された衆生は皆、これらは菩薩であるが、もし、衆の中に愚かな者がいたとしたら、この者は深く愛欲に執着する。この事より、諸佛世損は苦諦を説いて下さったのです。

衆生は心より喜び、今まで一度も味わった事がない感動を得た。佛の説いた苦諦は真実であり、嘘では無いのです。もし、衆生がいて、その衆生が苦の根本を知らず、深く苦の因に執着して、それを少かな時間でさえ、捨てる事が出来ない者であるなら、

この者の為に、佛は方便して道を説いて下さるのです。様々な苦の原因は貪欲が本であり、もし、この貪欲を滅すれば、心が捕らわれる事がない。もろもろの苦を滅し尽くす事を第三の諦と名ずける。

苦諦の道を修行し、諸の苦の束縛を離れる事、つまり解脱を得と名ずける。この人、どう言うわけか、解脱を得て、ただ虚妄(偽り)を離れて、つまり解脱する事を為(う)と名ずける。

実際には、それらの事は未だ、一切の解脱を得ていず、よって、佛は「未だ、この人は滅度していない」と説くのです。未だ、この人が無上道を得ていない事より、私もまた、自分自身が滅度したと言えないのです。

私は法王であり、この法をもって自在である。衆生を安穏ならしめるため、この世に出現したのです。

お前、舎利弗
私のこの法印は世間を利益しょうと望み、その為に法印を説くのです。出向いた先で、みだりに、広く人々に法印を説明し、理解を得ようとするこ事をするな!。

もし、それを聞く人がいて、その人が喜んび、有りがたくそれを受け取ったなら、将に、知るのです。その人は不退転の決意をした人である。

もし、この経法を信じて、教えを乞いたいとする者、この人はかつて以前に、過去の佛を祭り上げて、恭敬して供養していた者であって、また現世において、この法を聞く事が出来た者である。

もし、人が良く、お前の所説を信じた事はすなわち、私を見、お前並びに比丘僧、諸の菩薩を見て悟った為です。この法華経は深い智慧のある者の為に説くのです。


・生死
生老病死の四苦における始めと終わり。前世の業の結果として生死を繰り返す迷いの世界。輪廻(りんね)。生死輪廻。
・所化(教化)
人々に仏教を説いて、信仰に向かわせること
・衆生
心をもつすべての存在。苦のある世界である三界を輪廻(りんね)する。または単に息しているもの
・滅度
煩悩(ぼんのう)をすべて消滅させ、完全な悟りの状態を実現すること。涅槃(ねはん)。
または、仏・菩薩、または高僧などが死ぬこと。
・法印
仏教を他の教派から区別する標識となる根本的な教義
小乗仏教では三法印、大乗仏教では諸法実相の一法印がよく説かれる。
・阿鞘抜致(あびばっち)
不退転の決意

今日はこの辺で終り、



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