職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

愚な埼大生の為の法華経(その3)

2007年01月16日 | 受験・学校

こんにちは
愚な埼大生は元気でしょうか?少しはお釈迦様の説いた仏教が分かったでしょうか
ダメ!~うん。
12因縁を少し解説しましょう。はじめに、あなたはなぜ、生まれたのでしょうか?
答えは、親が居たからです。当たり前だと思うかもしれませんが、それをどんどん続けて行くと、どうなるでしょうか。?多分、答えは出ないはずです。


だから、お釈迦様も、その様な事を無明と言ったのです。次に、あなたはこのまま、生き続ける事が出来るか。?答えは、ノーで、人は死ぬ。
では、死んだらどうなるのでしょうか。?


答えは、分からない。死んで、生きて来た人は居ないからです。やはり、これも無明です。ところが、お釈迦様は”人は死なないし、生きても居ない”と言ています。
なぜでしょうか?。答えは、食物連鎖の事です。


そうです。人も食物連鎖の中にあり、その肉体は腐り、分解されて他の物の中で、形を変えて、存在する事を述べたのです。どう言う風に生まれ変わるかは無明ですが、だからと言って、死んで無くなったとしたら、地球の質量が変わり、自転・公転が変わり、非いては地球は無くなります。


また、霊の存在ですが、もし有ったとしたら、人は動物や魚など好き勝手に食べる事ができませし、その霊がどこから来るかにより地球の質量に影響を及ぼす。だから、霊の存在もないと言えるのです。
これら、以降の事は次回と言う事で、法華経の譬喩品をどうぞ!

我はこの光景を見て、”なぜ、自分は無漏の法の利益に預かれないのか”そして、この事を他の者に知られない様に自ら、騙し欺きながら、常に昼夜問わず、この事を考えていて、世尊にこの事を尋ねたいと願っています。

”なぜ、失ったのか?どうすれば失わないのか?”我は常に世尊の側にお仕えし、諸の菩薩を賞賛しながらも、日夜、この事を思ひ量ていました。今、佛のお言葉を頂きたいと願っています。どうか、宜しく法を説いて下さい。

無漏を思い量ることは非常に難しいく、多くの人を仏道を修行する場所へ導いていながらも、我は元々、邪見に執着する梵志(バラモン教の信徒)であり、諸の梵志を指導する指導者であった。

・無漏
煩悩を断つ事を言う
・煩悩とは
人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着などの事で、根本煩悩と枝末煩悩から成る。
・根本煩悩は貪、瞋、癡、慢、疑、見の六煩悩で、無意識の内に身に付けたもの
・見は仏教の教義に反する五つの誤った考え。
1.身見2.辺見3.邪見4.見取見(けんじゆけん)5.戒取見(かいじゆけん)
・枝末煩悩は
根本煩悩に伴って起こる従属的な煩悩で小随・中随・大随に分類される人の行為。
■小随煩悩
気持ちが平静だと、すぐに納まる。
1.貪を根元とするもの
覆(ふく)、慳(けん)、誑(おう)、諂(てん)、驕(きょう)
2.瞋を根元とするもの
忿(ふん)、恨(こん)、悩(のう)、害(がい)、嫉(しつ)
3.癡を根元とするもの
覆(ふく)、誑(おう)、諂(てん)
■中随煩悩
・無慚(むざん)・無愧(むぎ)
世間に恥じずして諸罪を造る心なり。
■大随煩悩
掉挙(じょうこ)昏沈(こんぢん)不信(ふしん)懈怠(けたい)放逸(ほういつ)
失念(しつねん)散乱(さんらん)不正知(ふしょうち)
鋭く人を傷つけるわけではありませんが、根本煩悩が小随煩悩として表層の心に現われる時は大随煩悩が作用している。
108煩悩
眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根×好(気持ちがいい)・悪(いやだ)・平(何も感じない)の三種×浄(きれい)・染(きたない)の2種×現在・過去・未来の三種で 108 とするものなど色々ありますが、すべて俗説のようです。

世尊、我が心の思いを承知されて、邪(正しくないこと)を抜き、涅槃を説いて下さったので、我は悉く、邪見を取り払う事が出来、空の法において、悟りを得る事が出来ました。その時、心に自らの意を述べなければと思いました。

・空の法
”すべての物はある物の集合体であり、そこには自体は無く、互いに依存し合っているから縁により、その集合体は自由に、ある物を生じたり、滅したりと変化し続ける事”

煩悩を滅し、涅槃に渡る事が出来る滅度の法を得たとしても、これは真の滅度ではない事を今、自らが悟りを得たのです。

もし、我が佛に成った時は三十二相を身に付け、天人・夜叉衆及び龍神等が謹み敬うはずです。そして、この時に我は永く煩悩を滅し尽くし、もう他にはないと考える事が出来ます。

佛は大衆の中において、我に”佛に成るべし”と説き、この様な演説を聴いて、疑惑を悉く、自分の中から除いた。

初め、佛の説く所を聞いて、心の中に大い成る驚愕が走り、”将に悪の佛を作り、我が心を悩乱するのではないか”と思った。

ところが、佛は種々の縁・比喩をもって巧みに言説しました。その心は海の様に安らいだものであり、我はこれを聞いて、疑いを晴らす事が出来った。佛が説いた過去世の無量の滅度後の佛も、方便の中に安住して、また皆、この法を説いて下さっています。

現在未来の佛、その数は計り知れないほど居たとしても、また諸の方便をもって、この法を演説して下さいました。今居る世尊も、また生まれた時から出家し、得度し、法輪を転じるまで、方便をもって説いて下さい。世尊は実道を説いて下さい。

邪悪な魔王、ハジュンはこの様な方便を使わない。この事より我は”この佛は魔の佛では無く、魔の佛がする行為でも無い”と確信した。我が疑いは晴れたのですが、

佛の柔軟な声で、とても奥が深いく不思議な清浄の法を落ち着き払って、演説しているのを聞き、我が心に大いなる歓喜が沸き、永く間疑いが湧く事が無く、実智の中に安住した。”我は確かに成仏して、天・人に敬われる事を得られた後、無上の法輪を転じて諸の菩薩を教化する事”この言説は魔の仕業と思える。

今日はこの辺で終り、

コメント
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