職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

日本のお寺百選

2007年11月04日 | 学問
◆飛鳥時代(574~622年)
聖徳太子により、仏教が広められ、法隆寺や四天王寺などを建立した。
また、三経義疏を伝えた。

#法隆寺
用明天皇が自らの病気平癒を祈って薬師像と寺の建立を発願したが、その完成を待たずに崩御し、その遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年に完成した。
#四天王寺
物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安
置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
◆奈良時代(710~794年)
奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南都六宗といわれており、三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の6宗をいう。

#興福寺(法相宗)
藤原氏の祖である藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国(山城国)山階(京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である

#薬師寺(法相宗)
天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良皇后(うののさららこうごう)の病気平癒を祈願し、飛鳥の地に創建したものであるが平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した現在地に移転した。

#東大寺(華厳宗)
728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山

#唐招提寺(律宗)
唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、故・新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として開山した寺である。
◆平安時代(794~1192年)
#比叡山延暦寺(天台宗)
円(天台教学)・密・禅・戒・の四宗を学んだ最澄により、806年に天台法華宗を開創し、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。そして、日本天台宗の本山寺院として、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。

また、延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
・天台数学---「諸法即実相」の意味である。
・一乗思想---すべての人が仏になる
・三諦円融---「空諦」「仮諦」「中諦」の三つの諦(真理)です
・止観の実践行--心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する。

#高野山金剛峯寺(真言宗)
真言密教を学んだ空海が823年に高野山金剛峯寺を総本山として、高野山真言宗を開いた。
密教というのは、歴史上の釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(いわば絶対者)である大日如来が、直接説いた教えという。生きとし生けるものは、宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行の実践により即身成仏することができると説く。

◆鎌倉時代(1192~1333年)
#法然院(浄土宗)
比叡山に上り、次に南都に遊学した法然は諸宗の奥義を究めたが満足できず、ついに中国の善導大師の『観経疏』の一文に触発されて、専修念仏を唱導する浄土宗を開創し、1175年に法然院を建立した。

法然の教えは、三心の信心にもあるとおり、民衆に凡夫であるということをまず認識させ、その上で浄土に往生するためには、専修念仏が一番の道であるから勧めるから選択するべきだというものとなっている。

#東本願寺(浄土真宗)
文永9年(1272年) 親鸞の末娘覚信尼が住む地、現在の東山区林下町(知恩院山門北の崇泰院あたり)に大谷廟堂を造営、親鸞の影像を安置。寺院移転後は、この親鸞の影像を安置している寺を本願寺とするのが妥当と考えられている。

#西本願寺(浄土真宗)
1602年に石山本願寺の第12代門主の教如の異母弟の准如によって、創設された本願寺である。

■浄土真宗(日本の仏教諸宗中、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)・信徒を擁する。)
法然の弟子親鸞(1173~1262)が、
法然の教え(浄土宗)を継承発展させ、後に教団として自立した仏教の日本独自の宗派。宗派名の成り立ちの歴史的経緯から、現在、同宗に属する宗派の多くが宗派名としては真宗を名乗る。一向宗、門徒宗とも通称される。

念仏を称えることを通して、阿弥陀如来の慈悲を信知せしめられ、悪人を含む全ての人が浄土へ往生し成仏するという絶対他力への信順を往生成仏の正因とする。また、他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある。

#大念佛寺(融通念仏宗)
比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。

教え
華厳経・法華経を正依(直接のよりどころ)、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を傍依(間接の副次的なよりどころ)とし、弥陀の直授による教えに基づいて、念仏はすべてのものにとけあうとする考えに立ち、口称の念仏で浄土に生まれると説くもの

#清浄光寺(時宗)
一遍は証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得るなどして自らの教学を形成した。一遍は捨聖(すてひじり)といわれ、遊行(ゆぎょう)をこととし、彼の門弟も一遍に従って諸国を遊行した。

■禅宗に、臨済宗と曹洞宗がある

●臨済宗
中国禅宗五家(臨済、?仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(?-867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。公案に参究することにより見性しようとする看話禅
また、武士階級に好まれ、また、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道等、中世の文化に非常に大きな影響を与えた
#建仁寺
1202年、明庵栄西禅師により始められた日本最古の禅寺である。

●曹洞宗
中国の曹洞宗の禅を、道元(1200~1253)が入宋して伝えたものである。道元は初め、比叡山に上り修行し、その後、栄西にまみえて禅を修するようになった。さらに宋に渡って禅宗諸師に遍参し、ついに天童如浄の下に、「身心脱落(しんじんだつらく)、脱落身心」と大悟し、印可を受けた。帰朝したが、旧仏教の圧迫を受けたり、幕府にも受け入れられなかったりしたため、越前に移り、永平寺を開き、弟子の育成に尽力した。黙照禅(もくしょうぜん)は、禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉

#永平寺(福井県)
開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。

#總持寺(横浜)
奈良時代、行基によって現在の石川県輪島市に、諸嶽寺として創建。平安時代 真言律宗に所属し、1321年に曹洞宗に帰依して、總持寺と改名する。1898年に火事なり、1911年に横浜市鶴見区に移転する。

●日蓮宗
日蓮(1222~1282)を宗祖とする。日蓮は初め、清澄(きよすみ)山に登って仏教を学び、後、比叡山で天台教学を究めるなどし、故郷(千葉)に帰り、建長5年(1253)、清澄寺で南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされる。その後、鎌倉を中心に布教活動を展開し、幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが聞き入れられず、そのことにより数々の法難を受けた。1274年に身延山久遠寺を建立した。

#久遠寺
山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山

#池上本門寺
日蓮が生涯最後の20数日間を過ごし死去した、武蔵国千束郷(東京都大田区池上)の地に建てられた寺院である。

以上、簡単な仏教の流れでしたがこれ以外にも、多少の宗派が有ります。
お釈迦さまが開いた仏教でさえも、時代や人により様々に変化していきます。一相一味の法で有るからでしょうか?


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仏教とその背景(ウィキペディア活用術)

2007年10月31日 | 学問

■仏教成立前
・古代インドの宗教はバラモン教で多神教であった。
バラモン教ではすべての森羅万象は梵に支配されていて、その梵と個人を支配する我が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。

特に、物質世界(我)を変えるには儀式や犠牲(生贄)の力を借りて行なわれ、それらを司祭したバラモンを頂点した、カースト制度であった。また、カーストは輪廻転生より生じるものと考えられて、物の値は価値と同じであり、人の地位も、価値あるものと考えられている。

経典:
4大ヴェーダ
祭事:
加持祈祷、お札などがそうである。
修行:
ヨーガ(現世苦行する事で、来世の徳に授かるための修行)

■仏 教(しょきぶっきょう)
・誕生
紀元前5世紀頃に、ゴータマ・シッダッタ(釈迦)が現在のインド北部ガンジス川中流域で提唱し、各地に広まり現在も続く世界宗教の一つで、バラモン教を否定する教えとして誕生した。

・実践
釈迦を仏陀 と尊崇し、その教え(法)を理解し、禅定(ぜんじょう)などの実践修行によってさとりを得、煩悩をのぞき、輪廻の苦から解脱(げだつ)して涅槃の境地に入ること

・基本教義
1.諸行無常
一切の形成されたもの(色)は無常(空)であり、縁起による存在(因・果)としてのみある。内在を因、因が表に現れた姿を果
2.諸法無我
一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない
3.涅槃寂静
苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である
4.一切皆苦
一切の形成されたものは、苦しみである

・経過
釈迦の死後に、弟子たちの教団が教義の解釈をめぐり、分裂して、小乗教→大乗教→蜜教と変遷し、終にはインドにおいてはヒンズー教に吸収され、生滅する。

・教えの思想
その教えから、根底にニヒリズムがあるように思われるが、煩悩を滅することにより、この世の現実の姿(実相)を感得しようとするもので、自己否定をするものではなく、一切を肯定しようとする面が強い。

【原始仏教】
・時 期
釈迦が生きていた時代を含み、釈迦の死後およそ100年~200年間までの期間を原始仏教または根本仏教と言う。

・原始仏教の目的は
個人が自ら真理に目覚めて「悟り」を得ることであり、最終的には「自分として執着している自我は実体ではない無我である」と覚り、苦の束縛から解放されることを求める事であった。

・礼拝する対象
(菩提樹や仏足石、金剛座)などのシンボル

・教典
釈尊の死後、迦葉や阿難などの弟子たちにより作られた。
法句経阿含経

【部派仏教】
・時期
釈迦の死後100年の頃、根本分裂(こんぽんぶんれつ)を起す。
原因は不明ではあるが、それまで一つであった弟子たちの集団が戒律や教理の解釈の対立などにより、保守的な上座部(じょうざぶ)と進歩的な大衆部とに分裂する。以後、分派が繰り返され、「小乗20部」が成立した。

いわゆる、上座部系11部派と大衆部系9部派から成っていた。
この20部派と、これらの部派が伝えた経・律・論の教説が「部派仏教」と言われる。
代表的な部派は、
1)西北インドの上座部系説一切有部(せついっさいうぶ)---小乗
2)中西インドの上座部系正量部(しょうりょうぶ)
3)西南インドの上座部系統
4)南方インドの大衆部などがある
しかし、上座部系の法蔵部や経量部の教理は、大乗仏教の教理と一致することが多く、大乗仏教成立の起源に彼らの教理の影響があったと考えられている。

【大乗仏教】
・時期
根本分裂から釈迦の死後700年の頃
・大乗仏教運動
ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一分派から、釈尊の教えを忠実に実行し、涅槃に到ることを旨とした上座部仏教に対して、それが究極においても、自からはどこまでも釈尊の教えの信奉者と言うに留まるものであり、自身がブッダ(如来)として真理を認識できる境地に到達する事が出来ないのでは無いか?という批判的見地から起こった仏教における一大思想運動。
そして、上座部と区別するため大乗仏教とし、以前の上座部を小乗仏教とした。

・大乗の教え
般若経を基盤とし、後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって、釈迦の縁起説を般若経で強調された「空」を、無自性に基礎を置いた「空」であると論じて完成する。

・主な教典
1.般若経;
般若波羅蜜(般若波羅蜜多)を説く多数の経典を総称した呼称。600巻

2.維摩経;
内容は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点は、一般に般若経典は呪術的な面が強く経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。また般若経典といえば、「空」思想が説かれている。

3.涅槃経
釈迦の入滅(=大般涅槃(だいはつねはん))を叙述し、その意義を説く経典類の総称であり、阿含経典類から大乗経典まで数種あり、瑜伽行唯識派が関与したとされ4世紀くらいの成立と考えられる。

4.華厳経;
インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたのが「華厳経」で、 359年 - 429年頃、東晋の仏駄跋陀羅(ぶっだばだら)によって訳された大乗仏教の経典の一つ。

5.法華経;
BC50年からBC150年の頃、
これを編纂した教団は社会の底辺に苦しむ人たちで構成されていたと考えられ、「白蓮華(泥中に咲く)、二乗作仏(声聞・縁覚の小乗でさえも、人間でなくとも成仏できる)」などを力強く主張し、

経典(法華経)自身を絶対的に讃える姿勢などが、ごく自然に理解でき、般若経などのように理論的な面がほとんどないのも肯ける。ただし、このことが経典の相対的価値を表すのでないことはいうまでもない。

大乗仏教の経典で天台教学では、法華三部経(無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経)の第二部に位置づけられている。

6.浄土三部経;
阿弥陀仏とその浄土に関する代表的な三経典、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経のことである。
観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょう-しょ)は、中国浄土教の大成者である善導の著した主著であり、大乗ではない。

【秘密仏教】
・誕生
インド仏教後期においてヒンドゥー教の隆盛によって仏教が圧迫された社会情勢がある。そこで、ヒンドゥー教や呪術の要素を仏教に取り込むことで、インド仏教の再興を図り、秘密仏教が誕生した。

・秘密仏教の教え
一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師(ラマ)資相承によって伝持する点に特徴がある

★初期秘密
仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで現世利益を心願成就するもの

★中期秘密(真言宗・天台宗)
実在した釈尊に替わって、新たに密教の教主として大日如来が説法する形で密教教典が編纂された。

★後期密教
仏性の原理の追求が図られた。これにより新たに法身普賢や金剛薩?といった本初仏が尊崇されることになった。また、インドでのヒンドゥー教やイスラム教の隆盛に対抗するため、怨敵降伏を祈願する憤怒相の護法尊が数多く登場した。一方で、性エネルギーの昇華も図られ、歓喜仏やタントラ(性的な瞑想修行)も後期密教の特徴である

・その後
西アジアからのイスラム勢力のインド北部侵攻に伴って、インド南部のヒンドゥー教徒政権との政治的な挟み撃ちに遭う。イスラム教徒から偶像崇拝や呪術要素を徹底攻撃されて、インド密教は最後のインド仏教として歴史的に消滅に追い込まれる。
後、チベット仏教に継承される。

・教典
金剛頂経
金剛界曼荼羅の典拠となる経典であり、大悲胎蔵生曼荼羅の典拠となる『大日経(だいにちきょう)「大毘盧遮那成仏神変加持経」』と並ぶ、日本密教の根本聖典であり、特に密教の「即身成仏」の原理を明確に説いた経典とされ、真言宗、天台宗にとって欠くことのできない経典である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


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ダメ四チャンネルの為の法華経十

2007年01月05日 | 学問
こんにちは
法華経の方便品も、今回で最終回です。
この方便品がお釈迦様の説いた法が”因縁の法則”である事を示しています。
”因縁の法則”とは”すべての現象は原因とそれを育てる縁から成り立っている。”
たとえば、
人が歩く事(現象)が出来るのは自分(原因)と地球(縁)があるからです。
それは、自分に歩かなければならない事情(性)、歩く事が出来る機構(相)、自分の体重(體)があり、地球には万有引力(縁)がある。その為、自分と地球の間には重力(力)が生じ、自分が地面を蹴っても、重力より生じた摩擦により前に進む事が出来る。もし、地球に万有引力が無ければ、歩く事も出来ないし、鳥も飛ぶ事が出来ない。
また、
因縁の法則が無かったら、すべての物理の法則は成り立たないし、数々の法則を発見する事ができない。以上よりお釈迦様は偉かった。この後に、続く比喩品が法の用い方です。
では、方便品の偈の続きをどうぞ!


例えば、優曇華のすべてを皆が愛し、それを天・人界ではめったにない事だと楽しみにしている。そして、そ言う時に優曇華が一度び咲くように、法を聞いて歓喜し、これを誉めるか、一言を言ったならば、すべての三世の佛を供養する事と同じである。

・優曇華
クワ科の常緑高木。イチジクの近縁種。インド・セイロン島などに分布。花は壺状の花托の内面に生じ、果実は食用。花が外部から見えないところから、仏教では三千年に一度花が咲くといわれ、花の咲く時は金輪王(こんりんおう)が出現するとも、また、如来が世に現れるとも伝えられる。


この人は貴重であり、その人の価値は優曇華と同じである。汝たち、疑う事なかれ、我は諸法の王である。我は普く、諸の大衆に告げる。ただ、一乗の道をもって諸の菩薩にお教を説いて導き佛に成らしめ、声聞(ただ聞いてるだけ)の弟子を無くす。

汝たち、舎利弗、声聞及び菩薩、まさに知るべし
この妙法は諸佛に成るには必要なものである。五濁の悪世にはただ、諸欲に容易く執着する。この様な衆生達は最後まで、佛道を求めず、まさに来世の悪人は佛説の一乗を聞き、迷惑して不快になったり困ったりする為、信用して受ける事が出来ない。

法を破り悪道に堕ちる。自分を謙遜し、心が清らかで佛道を求める者が有るならば、まさに、この様な人の為に広く、一乗の道を賛美するのです。

舎利弗、まさに知るべし
諸佛の法は萬億の方便をもって、時節の頃合を見て法を説くのです。それを学習しない者はこれを悟り理解する事が出来ない。汝たち、すでに諸佛及び世の師の随宜方便の事を知り、また諸の疑惑が無く、心に大歓喜を生じて、自ら佛に成る事を知りなさい。


・随宜方便
宜しきに従って説く方便の事。すなわち、相手の状態を見て、因縁の法則を理解できるように用いる方便


法華経において、佛と書いてあるがこの佛はお釈迦さまの事でも、観音や阿弥陀のような神様でもなく、こうすれば物事が上手く、運ぶと言うルールを見つけた人を指す。
また、
悪とは阿修羅の一族である事の意味から付けられた。
法華経の方便品は以上で終り


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ダメ四チャンネルの為の法華経九

2007年01月04日 | 学問

新年


明けましておめでとう御座います。

今年も、宜しくネ!
さて、ここまで方便品を見てきて、如何だったでしょうか?
お釈迦様の説いた事が分かったでしょうか?つまり、この世で起きるすべて出来事には”原因があり、その原因を成立させる縁がある”と言う事です。だから、苦も原因と縁がある。

例えば、ダーウィンの進化論で有名な鳥ダーウィンフィンチに見られるように環境により口ばしがその環境に応じて変化している。それと同様に私たち人間の心も、住んでいる所の生活環境に応じて、価値観や考え方が備わる。

だから、苦の原因はあるものに執着し苦と感じる心、縁は日常生活で身につけた価値観や行動だと言う事でしょうか?そして、それらの事は人それぞれで違うため、解決法も異なる。だから、一佛乗なのではないのでしょうか?

では、方便品の偈の続きをどうぞ!

我がむしろ法を説かない方が早く涅槃に入る事が出来る。ついでに過去の佛の説の方便力を考えて観るに我が今、得た道も三乗とした方が良いと考えた時、十方の佛の皆が姿を現し、梵天王が我を慰め諭すように声をかけて下さいました。

「釈迦文、あなたは正しい、そしてあなたは真理の法を教え導く導師の第一人者です。
この上ない法を得たのにも関らず、諸のすべての佛を受け入れ、そして従って方便力を用いて下さいました。

我らもまた、皆最高に難解な第一位の法を得る事が出来たけれども、諸の衆生類(息をしているもの)の為に、分別して三乗(仮説)と説きます。

愚か者は愚かな法を願いって、自ら佛に成らなければいけない事を信用しない為、方便をもって分別して諸の果(因縁の成り行き)を説きます。また、菩薩を教えんが為、三乗を説くと言いましょう。」

舎利佛、まさに知りなさい!
我は聖師子の清らかで、重々しい不思議な声を聞いて、喜んで「南無仏」と声を出して
唱える。共に「我は濁悪世に生まれたり、諸佛の諸説に従いって、修行する。」ことを祈願する。我はこれれの事を念じ終わって、波羅奈に向かって行った。

・聖師子(しょうしし)
仏教では文殊(もんじゆ)菩薩の乗物とする。または佛の異名
・波羅奈
インドのガンジス河中流、北岸のベナレス市の古名

諸の法は寂滅の相を持つ、故に”静寂かつ徐々に移ろい、やがて消え去る”特徴を有する為、言葉をもって述べる事ではない。ただ方便力をもって、五比丘の為に法を説いたのです。そして、この事を転法輪と名ずけまた、それぞれ別の名があり、五比丘を阿羅漢・転法輪を涅槃の音と言う。

久遠劫と言う、無限に遠い過去より今まで涅槃の法をほめたたえ”永く、生死の恐怖を味う事がない”事を示しながら、我は常に涅槃の法を説いてきた。

舎利佛、まさに知りなさい!
我は我が弟子たちを見て、佛道を追い求める者が千萬憶と言う数限りないほどいて、すべての者がつつしみ敬う心を持ち、皆が佛の修行を成し遂げる事を確信した。

かつて、諸の佛を敬いながら従って、方便の所説の法を聞いて、如来(釈迦)がこの世に出現した訳は佛の悟りを説かんが為である。そして、今がその時である事を観じた。

舎利佛、まさに知りなさい!
濁った根を持った愚か者は著相驕慢の者である為、明らかにおごりたかぶり、他の者を馬鹿にし、勝手気ままにふるまうを成し、この法を信じない事は明らかである。

今、我は喜んで、恐れなく、諸の菩薩(法を求める人)の中において、正直に方便を捨てて、ただこの上ない佛道を説く事にする。菩薩である者はこの法を聞いて、皆すでに疑網を除いていた。

千2百の阿羅漢もまた、今まさに、悉く佛に成るべきです。
三世諸佛の説法の儀式の如く、我もまた同様に無分別に法を説いたとしたら、諸の佛が世に厳しくに出現したとしても、人々から遠ざけられ、人々から価値あるものとして認められる事が難しい。

仮に、佛の使者として世に出現したとして、この法を説いたとしても、人々から認められる事が難しい。また、想像も付かないほど、長い年月を経てたとしても、この法を聞く機会が有る事が難しい、またまた、この法を聞く者を探す事も難しい。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り

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ダメ四チャンネルの為の法華経八

2006年12月31日 | 学問
こんにちは
方便品の翻訳も8項目を迎えたところで、新年を迎えました。
お釈迦さまが説いた法が分かりました。この世は”因”と”縁”から成っていることです。
エッ~!とくに知っていた。
だったら、なぜ悩んでいるのでしょうか?それは因・縁が何だかよく分からない為、苦を味わうのです。お釈迦さまは”因”とは自分自身のこと”縁”とは生活習慣による行為と説いています。人(因)は何ら価値がない存在にも関らず、自ら高価な価値のある存在と思い込むことから始まるのです。そして、善・悪を考えず皆(縁)が行うから自分も行っていることで苦を集め、悩み苦しんで逝くのです。つまり、自分の存在が苦の素だと言う事です。
それを直したいのであれば、よく法華経を読んで下さい!
では、方便品の偈の続きをどうぞ!

衆生の諸の行い・心の奥底に眠る思い込み・過去の習慣よる所業(悪い行い)・欲性精進力(持っている欲の種類や勢い)・諸根(六根)が鈍いことを示して、色々な因縁(事柄)・比喩または言葉をもって、それぞれに応じて方便を説い下さいます。

・悪
現在と未来において苦を招く事言う。行は理にのって行う事を言い、業は口・身・意もって作る行為の事を言う。
5悪
殺生(せつしよう)・偸盗(ちゆうとう)・邪淫(じやいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゆ)。

・六根---目・鼻・口・耳・身・意

・六欲---人の貧欲を起こさせるものを言う
1.色欲
色や形をもつものに執着すること及び淫欲(男女の性的な欲望)
2.形貌欲
美しい容姿・物のかっこ形に執着すること
3.威儀姿態欲
礼儀正しく態度に執着すること
4.言語音声欲
美辞麗句を好み、耳当たりの良い言葉だけに執着すること
5.細滑欲
人の些細な失敗を喜ぶ事や些細な事に執着すること
6.人想欲
恋いがしたと思う気持ちに執着すること

今、我もまた、同じ様に衆生を穏やかに暮らさせようと思い、色々な佛の教えをもって佛の修行を教え広める。我は智慧力をもって、衆生の欲の本質を知り、方便して諸法を説いて皆を歓喜させる。

舎利拂、まさに知るべし、我は佛眼をもって、瞑想し心を静めて六道の衆生を見ると貧苦に喘で居る為、智慧に恵まれず、生死の険しい道に入り、それを受け継ぎ、断つことが出来ずに深く5欲に執着すること、ヤクの尾を愛する様です。

何かを追い求め、執着する貪愛の心を自ら持ち、盲冥であるため、この世の中が味気ないもの思い、知識を持たず、また道理が見えず、また見ようともしない。その為に信じる所が無く、大勢の佛及び苦を断つ法を求めない。

深く諸の邪見に入って、苦をもって苦を断つ事を望む。この衆生の為に、大悲心を起こし、我は初めて菩提樹の下に坐り、樹を観じ(瞑想)また、経行して三十七日間中に、次の様な事を考えった。

・経行
食後や修行の合間、疲れや眠けをとるために一定の場所をゆっくり歩くこと

我が得た智慧は複雑で難しいく、最も第一位の法なり。衆生の諸根は働きが鈍く、楽に執着し、(痴)愚かなことに目を奪われて理が見えない。

・痴
愚かなこと。又は物事を正しく認識・判断できない心のはたらき。

この様な類の者を如何にして、救い導くかと。その時、諸の梵王及び諸の天・帝釈天・護世四天及び大自在天、並びに他の諸の天衆、眷属百千萬が我に、謹み敬まいて合掌し礼拝して、法輪を広く教える事をお願いされた事にした。

我すなわち、自ら次のように思うった。もし、単に佛乗を誉めれば、衆生は法を理解できず、苦しみに埋没する為、この法を信じる事が出来ずに、この法を放してしまい、三悪道に落ちる。


まだまだ、続く今日はこの辺で、終り




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