職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

ダメ四チャンネルの為の法華経八

2006年12月31日 | 学問
こんにちは
方便品の翻訳も8項目を迎えたところで、新年を迎えました。
お釈迦さまが説いた法が分かりました。この世は”因”と”縁”から成っていることです。
エッ~!とくに知っていた。
だったら、なぜ悩んでいるのでしょうか?それは因・縁が何だかよく分からない為、苦を味わうのです。お釈迦さまは”因”とは自分自身のこと”縁”とは生活習慣による行為と説いています。人(因)は何ら価値がない存在にも関らず、自ら高価な価値のある存在と思い込むことから始まるのです。そして、善・悪を考えず皆(縁)が行うから自分も行っていることで苦を集め、悩み苦しんで逝くのです。つまり、自分の存在が苦の素だと言う事です。
それを直したいのであれば、よく法華経を読んで下さい!
では、方便品の偈の続きをどうぞ!

衆生の諸の行い・心の奥底に眠る思い込み・過去の習慣よる所業(悪い行い)・欲性精進力(持っている欲の種類や勢い)・諸根(六根)が鈍いことを示して、色々な因縁(事柄)・比喩または言葉をもって、それぞれに応じて方便を説い下さいます。

・悪
現在と未来において苦を招く事言う。行は理にのって行う事を言い、業は口・身・意もって作る行為の事を言う。
5悪
殺生(せつしよう)・偸盗(ちゆうとう)・邪淫(じやいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゆ)。

・六根---目・鼻・口・耳・身・意

・六欲---人の貧欲を起こさせるものを言う
1.色欲
色や形をもつものに執着すること及び淫欲(男女の性的な欲望)
2.形貌欲
美しい容姿・物のかっこ形に執着すること
3.威儀姿態欲
礼儀正しく態度に執着すること
4.言語音声欲
美辞麗句を好み、耳当たりの良い言葉だけに執着すること
5.細滑欲
人の些細な失敗を喜ぶ事や些細な事に執着すること
6.人想欲
恋いがしたと思う気持ちに執着すること

今、我もまた、同じ様に衆生を穏やかに暮らさせようと思い、色々な佛の教えをもって佛の修行を教え広める。我は智慧力をもって、衆生の欲の本質を知り、方便して諸法を説いて皆を歓喜させる。

舎利拂、まさに知るべし、我は佛眼をもって、瞑想し心を静めて六道の衆生を見ると貧苦に喘で居る為、智慧に恵まれず、生死の険しい道に入り、それを受け継ぎ、断つことが出来ずに深く5欲に執着すること、ヤクの尾を愛する様です。

何かを追い求め、執着する貪愛の心を自ら持ち、盲冥であるため、この世の中が味気ないもの思い、知識を持たず、また道理が見えず、また見ようともしない。その為に信じる所が無く、大勢の佛及び苦を断つ法を求めない。

深く諸の邪見に入って、苦をもって苦を断つ事を望む。この衆生の為に、大悲心を起こし、我は初めて菩提樹の下に坐り、樹を観じ(瞑想)また、経行して三十七日間中に、次の様な事を考えった。

・経行
食後や修行の合間、疲れや眠けをとるために一定の場所をゆっくり歩くこと

我が得た智慧は複雑で難しいく、最も第一位の法なり。衆生の諸根は働きが鈍く、楽に執着し、(痴)愚かなことに目を奪われて理が見えない。

・痴
愚かなこと。又は物事を正しく認識・判断できない心のはたらき。

この様な類の者を如何にして、救い導くかと。その時、諸の梵王及び諸の天・帝釈天・護世四天及び大自在天、並びに他の諸の天衆、眷属百千萬が我に、謹み敬まいて合掌し礼拝して、法輪を広く教える事をお願いされた事にした。

我すなわち、自ら次のように思うった。もし、単に佛乗を誉めれば、衆生は法を理解できず、苦しみに埋没する為、この法を信じる事が出来ずに、この法を放してしまい、三悪道に落ちる。


まだまだ、続く今日はこの辺で、終り




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ダメ四チャンネルの為の法華経VII

2006年12月29日 | 学問

こんにちは
方便品の翻訳も7項目を迎えた所で、ようやく先が見えてきました。ここまで来ると、お釈迦さまの言いたい事が見えて来たような気がします。つまり、人は何も考えず、心が思う(欲)ままに、行動し、縁(同じ欲を持っている人)を導き、それによって苦をもたらし、その事に気づかず、悩んでいる。
では、方便品の偈の続きをどうぞ!

もしくは、子供がいたずらした時の様に、小枝及び筆、あるいは指の爪で仏を描いたとしても、この様な諸の人達は徐々に徳を積み、慈悲の心を持ち、皆、自ら佛道を成就して、諸の菩薩を教化し、数え切れない衆を苦から脱し、涅槃に渡らす。

もし、人が塔廟・寶像及び書像において、花・香・幢幡(どうばん・旗)と天蓋(絹張りの笠)をもって、敬意を持って供養する。

もしくは人を頼んで楽団を作り、鼓を打ち、ほら貝を吹き、笙・笛・琴・くうごう・琵琶・銅鑼(どら)・銅ばつ等を用いて演奏し、巧みな音をもって供養する。

あるいは歓喜の心で、仏の徳を賛美して梵唄(ぼんばい)を歌う、又は一節を唱える。
以上の人達は皆、自ら佛道を成就する。

もし、人に散乱な心あり、その様な心で1輪の花で書像を供養し、ようやく数知れないほどの佛と出会う。あるいは礼拝する者、またあるいは単に合掌する者、ないし、一手で拝む者、または頭を下げる者、以上の様に像を供養する人達も、ようやく数知れないほどの佛と出会い、自ら、最高の道を成就する。

そして、広く無数の衆を得度し、焚き火して火が消えていく様に、無余涅槃に入る。

・無余涅槃
すべての煩悩(ぼんのう)が断ぜられ、よりどころとしての身体も滅した安らぎの境地

もし、人が散乱の心で塔廟の中に入って、一たび南無佛と唱えただけで皆すでに佛道を
成就する。諸の過去の佛が現在、生まれ変わっているとしても、あるいは滅後において、もし、この法を聞く事あったとしたら、皆、佛道を成就する。

未来の諸の世尊(人から尊ばれる人)の数は計り知れない。
この諸の如来達も、また方便して法をときます。すべての諸の如来は計り知れない方便をもって、諸の衆生を何度も何度も迷いから抜け出させて佛の無漏智に入いらせる。

・無漏智
すべての煩悩(ぼんのう)、を離れた聖人の智慧(ちえ)。つまり、欲に誘われないで一つのことに集中する事

もし、法を聞きたいと願う者は一人として佛になれない人はいない。
諸佛の本誓願は我が行った佛道(六波羅蜜)を普く衆生をまた、同じ様にこの道を得させようと願うものです。

未来の諸佛、百千億と言う数えられない諸の法門を説いたとしても、その法則は一乗がある為に、成り立っているのです。諸佛両足尊、法は無性であり、佛種は縁によって起きる事を示しているのです。

・無性
生まれついての性質が定まっていないこと
・佛種
佛と成る原因

ゆえに、一乗(因・縁)を説いたのです
この法は諸法の中でも1位を占め、世間の日常に存在する事を導師は道場において、知らしめ、方便をもってこう説いた。

天・人の供養し崇めている所の現在の十方の佛、その数は恒河沙と同じくらいある。
世間に出現したにも関らず、衆生を安穏ならしめる為、ゆえにこの法を説くのです。
第一の寂滅をしめして、方便力をもって、色々な道を示すが、その意義はすべての衆生の成仏する道を説くためのものです。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り

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ダメ四チャンネルの為の法華経VI

2006年12月27日 | 学問

こんにちは
方便品では人の傲慢さについて、述べています。
人はある面では佛性を持っていて、時には佛になりますが大半は自ら持っている三毒により苦を集め、悩み苦しむ。その原因は我があると信じている事です。
では、方便品の偈の続きをどうぞ!

この故、舎利佛、我は衆生の為に方便を設けて諸の苦の終局を説き、そして涅槃を説くのである。我が涅槃を説いたとしても、これは真の滅ではない。
諸法はもちろんのこと、我が身もこれと同じで、常に自らも寂滅の相を持つため煩悩を打ち消し、真理の智慧(ちえ)を完成させ、やげて消えてなくなる。

涅槃
”すべての物(人も含む)の価値は存在しない。その物の価値は用いる者により決められる、だから、物によっては忌嫌う存在であったり、貴重な存在であったりする。また、すべての物は理由なくして、形を成す事も、形を滅することもない。そして、すべての物はこの世から消える事はない、ただ、水のように定まった形をしない為、目に見えないだけである。”以上の事を思える心境のこと

この故、佛の弟子に佛道を修行させる。来世において、自ら佛に成る事を得るためです。我は方便力をもって、三乗の法(九部の法)を開示する。すべての諸の世尊も、皆一乗の道を授けるのです。今、この諸の大乗に皆が疑惑を抱くことを止めなさい。

諸佛の言葉は異なる事が有りません。ただ一つで二乗なし、過去の無数劫の無量の滅道の佛があり、その佛の悟りの数は百千萬憶種あり、そして佛の数は数えられない。

・無数劫
お釈迦様は苦の元は何かを調べる為、当時のインド哲学書(62劫)・医学書・物理学書・武士としての道徳書などを読んだとされている。それらの書物の項をたすと無数劫になる。ようは沢山の書物を読んだり、ヨーガの修行して、涅槃と空を説いた。
・一乗の法
一つの法則の事

この様な諸の世尊も、色々な縁・比喩・無数の方便力(仮説)をもって、諸法の理念を演説される。この様な諸の世尊たちも、皆な一乗の法を説き、数えられない衆生を教化して、佛道に入らしめた。

また、徳の高い君主はすべての世間の神・人・群衆類の心の奥底に眠る欲を知り、更に
異なる方便を第一義をあきらかにする上での助けとして用いる。

もし、衆生類がいて、その衆生類が過去において、諸の佛に出会いて、法を聞いて布施し、あるいは持戒・忍辱・精進・禅・智など色々な福徳を修行したなら、この人たちは
皆、佛道を成就している者たちです。

諸佛が滅度(無意涅槃)した後、舎利(佛の骨)を供養する者、色々な種類の塔を立てて、金・銀・水晶・シャコガイ・めのう・るりの宝玉などをもって、清らかでけがれのな様に広く厳しくに飾り立て、領主の所有地に諸の塔を木組み合わせて建てる。

あるいは石廟(石で作られた霊をまつる所)を造り、ビャクダン及び香水・ダ-ル樹(松の一種)並びに他の木材・レンガ・泥でもって舎利を供養する者も佛道を成就している者ある。

もし、荒野の中において土を積んで佛廟を造ったとして、それが子供が遊びに作るような砂をかき集めて佛廟としても、その人たちは皆、すでに佛道を成就している。

もし、人が佛の為に色々な仏像を建立し、そしてその仏像に彫刻して様々な模様を施す。この様な人は皆、すでに佛道を成就している。

あるいは七寶を建て、黄銅・赤白銅・はんだ及びすずの鉛・鉄と木及び土や漆を塗った布などで、厳しくに飾り立て仏像を造ったとしたら、この様な人は皆、すでに佛道を成就している。

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ダメ四チャンネルの為の法華経V

2006年12月24日 | 学問
こんにちは
どうですか 方便品は長いので、飽きたでしょうか?
訳している私は、よけい飽きています。でも、ここを読まないとお釈迦様の説いた「空」の概念が分からないよ。では、解説の続きをどうぞ!

諸佛(人)が世に現れたのはただ、この一つの事柄のみの事実であり、他の二は真実に非ず
最後まで、小乗(劣った法)をもって、衆生を迷いから導きだすことは出来ない。
佛は自ら大乗の法則が成り立っている世に暮らしている。

その得ている法の様に、智慧の力を鮮やかに示し、これにより衆生を得度させる。
自らこの上ない道、大乗平等の法を悟り得た。もし、小乗をもって佛化すること、ないしは
一人でも、佛となることが出来たならば、我は欲を貪る者に落ちてしまう。

この様な事は決して、起こりえない事であり、もし、人が佛に帰依すれば、如来は人をあざむきたぶらかすことをせず、また欲を貪る心を持っていない。すなわち、(精神的な)諸法の中の悪を断じている。

故に、佛はすべての人が住む世界において、孤独になっても恐れることがない。我、ある姿を現し、身を飾り、光明(名声)をもって世間を照らす。数限りない衆に尊ばれて、その為に諸法の本来の特徴を示す。

舎利佛、まさに知るべし。
我、”すべての衆を自分と同じ、またすべての衆は自分と異なる事ない”の本誓願を立てた。我が昔の所願のように、今ここに居る者をすでに満足させている。

すべての衆生を教え導き、皆を佛道に入らしめる為に、もし、我れ衆生に会えば佛道をもって、ことごとく教えた。

無知な者は頭がこんがらがり、どうしてよいか迷い込み、教えを受ける事ができない。我れが知る限り、この衆生は未だに真実の修行をせず、堅く5欲に執着して、痴愛(人をバカにし、自己を愛すること)を持ち、故に悩みを生じさせている。

5欲
色・声・香・味・触の五塵のこと

諸の欲の因縁を持って、三悪道に落ち、6趣の中に繰り返し生まれかわり、つぶさに色々な苦しみや災いを受ける。その様な者は受胎した時のようなわずかな形を成した時から、代々に渡りて常に増長している者である。

・三悪道
1.貪欲(とんよく)
損得で物事を考えて、何でも欲しがる心
2.瞋恚(しんい)
理由なく腹を立て、人をうらやんだり、ねたんだり、恨んだり、逆らうこと
3.愚痴
人をバカにしたり、見栄を張ったりすること

6趣(六道)
・三悪道(死者が悪業(あくごう)のために行く)
1.地獄道
漆黒の闇の世界で、音・色・温度などがない世界(悪大)
2.餓鬼道
砂漠の様な焼土で、毎日食う事に悩んでいる世界(悪中)
3.畜生道
人の近くに住み、毎日自分の身を心配している世界(悪少)

・三膳道(前世の善により生まれ変わるとこ)
4.修羅道
常に瞋恚を起こし、けんかばかりしている世界(善少)
5.人間道
ふつうの人の世界(善中)
6.天道
人から尊ばれる世界(善大)


徳が薄い福の少ない者であるがゆえに、たくさんの苦に行き詰まり、真実が見え隠れしている繁った邪見の林の中に入り、そして、その様な諸見(五見)に終止して、身勝手な哲学を身に付ける。

5見
1.身見=我見+我所見
我見(がけん)
自分は5うんから成っている事を知らず、自己の実在が絶対なものと考えること
我所見
周囲のものは自分の一時的な所有物であるにも関らず自己に所属すると考えること
2.辺見(へんけん)=常見+断見
常見(じょけん)
体有る事により身見を起こし、自分が死んでも何も変わらないことを信じる
断見(だんけん)
体有る事により身見を起こし、自己が死ぬ事ですべてが解決ことを信じる
3.邪見(じゃけん)
因果の道理を否定する、
4.見取見(けんじゆけん)
誤った見解を信じる
5.戒取見(かいじゆけん)
誤った宗教的行為を信じる

深く偽りの教えに執着心を起こし、いつまでもその事を持ち続け捨てようせず、自己中心的で自分から自己を高く敬う、或いは他人に媚びへつらい心に信念がない。
途方も長い時において、佛の名声を聞く事無く、また正法を聞く事無い者は救い難し。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り







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ダメ四チャンネルの為の法華経四

2006年12月21日 | 学問
こんにちは
如何でしたでしょうか、方便品は?
分からない。だとしたら、あなたは増上慢ではないのかな?
うそですよ。一回ぐらい読んでも理解するもんでは有りません。
これを理解したいのなら、現実の世界を通して、見ると理解できる。

では、方便品の中のお釈迦さまの偈(げ)からです。
その時、世尊は重ねてこの義を述べんと欲して、偈を説いた。
「実力もないのに自己を過信して思い上がるている比丘(出家した男)や比丘尼(出家した女)または我がままな優婆塞(仏教信じる男の子)・疑い深い優婆夷(仏教信じる女の子)
このような四衆の者が五千人いる。

この者達は自分からその罪を認めず、戒(いましめ)も守る事が出来ず、そのことを気にもしない、この様な愚か者は自から出って行きなさい。

衆中のかすになるばかりか、佛と言うのは威徳を備えなければならない。よって、去りなさい。この様な者は福が少ないばかりか、この法を授けることに耐え切れない。
この衆は価値がなく、ただ諸の信仰の儀式を堅く守るだけです。

舎利佛、良く聞くのです。諸佛が得た法は計り知れない方便力をもって、衆生の為に法を説くのです。

衆生の思想、今での諸行、束縛されているすべての欲、先祖の善悪の業を佛は悉く、知り尽くした上で、諸の縁・比喩・言辞・方便力を用いて、すべての衆生を歓喜させるのです。

或いは修多羅(仏の言葉を記した経典)・偈(げ)及び本事(過去世の実践)また、人間の本性は未だに見た事がない事を説き、また因縁・比喩並びに祇夜(経文中、散文で説いた意味をもう一度韻文で述べた部分。)・優婆提舎経(うばだいしゃきょう)を説くのです。

無知な者は小法(小乗教)を願い、生死を心配し、数え切れないほどの色々な佛が教え導く不思議で深い救いの道を修行せず、苦を集め悩み、苦みもがく。その為、涅槃を説くのです。

我、この方便をもうけて、佛の智慧に入る事を得させようとしているのです。
未だに、汝たちに佛の道を成就することを説くことは無かった。それは、説く時節が未だに来なかった為です。

今、正しくこの時が到来した事を確信し、大乗教を説くことにする。
衆生を心から信じて従うて、我がこの九部の法を説く、この法は大乗に入る為の基本の概念である。

九部の法
1.如是相
現在の自分の有り方
2.如是性
自分が知らずに身に付けた習慣
3.如是體
自分の性格
4.如是力
他人から認められる能力
5.如是作
他人に及ぼす言動
6.如是因
1~5が果の原因になる事
7.如是縁
自分が育った環境(家庭・友達・地域)
8.如是果
過去の自分の行いにより得られる結果
9.如是報
未来の自分の有り方

我が弟子の心は浄くして柔軟であり、また賢い者たちである。きっと、計り知れない佛の下で、不思議で奥く深いの佛道を修行することが出来るであろう。

この諸の佛子の為、大乗教を説くことにする。
我、この様な人は来世に佛道を成就することを記す。
 
心の奥底から佛を念じ、清浄の様相をそなえている人、この人たちは佛が法を得た事を聞いて、大いに喜ぶ。この事を佛は知り、彼らに大乗を説いった。
 
声聞(聞く人)もしくは菩薩、我が悟った法を聞くなり、一偈を読むなり、したならば
皆、成佛すること疑いない。十方佛土(人が住んでいるあらゆる場所)の中には唯一乗の法のみあり、二つないし、三つはない。

佛の方便の説を除けば、仮の名を名乗り、衆生を引導するのは佛の智慧を説かんとするためのものです。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り




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