方便品の翻訳も8項目を迎えたところで、新年を迎えました。
お釈迦さまが説いた法が分かりました。この世は”因”と”縁”から成っていることです。
エッ~!とくに知っていた。
だったら、なぜ悩んでいるのでしょうか?それは因・縁が何だかよく分からない為、苦を味わうのです。お釈迦さまは”因”とは自分自身のこと”縁”とは生活習慣による行為と説いています。人(因)は何ら価値がない存在にも関らず、自ら高価な価値のある存在と思い込むことから始まるのです。そして、善・悪を考えず皆(縁)が行うから自分も行っていることで苦を集め、悩み苦しんで逝くのです。つまり、自分の存在が苦の素だと言う事です。
それを直したいのであれば、よく法華経を読んで下さい!
では、方便品の偈の続きをどうぞ!
衆生の諸の行い・心の奥底に眠る思い込み・過去の習慣よる所業(悪い行い)・欲性精進力(持っている欲の種類や勢い)・諸根(六根)が鈍いことを示して、色々な因縁(事柄)・比喩または言葉をもって、それぞれに応じて方便を説い下さいます。
・悪
現在と未来において苦を招く事言う。行は理にのって行う事を言い、業は口・身・意もって作る行為の事を言う。
5悪
殺生(せつしよう)・偸盗(ちゆうとう)・邪淫(じやいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゆ)。
・六根---目・鼻・口・耳・身・意
・六欲---人の貧欲を起こさせるものを言う
1.色欲
色や形をもつものに執着すること及び淫欲(男女の性的な欲望)
2.形貌欲
美しい容姿・物のかっこ形に執着すること
3.威儀姿態欲
礼儀正しく態度に執着すること
4.言語音声欲
美辞麗句を好み、耳当たりの良い言葉だけに執着すること
5.細滑欲
人の些細な失敗を喜ぶ事や些細な事に執着すること
6.人想欲
恋いがしたと思う気持ちに執着すること
今、我もまた、同じ様に衆生を穏やかに暮らさせようと思い、色々な佛の教えをもって佛の修行を教え広める。我は智慧力をもって、衆生の欲の本質を知り、方便して諸法を説いて皆を歓喜させる。
舎利拂、まさに知るべし、我は佛眼をもって、瞑想し心を静めて六道の衆生を見ると貧苦に喘で居る為、智慧に恵まれず、生死の険しい道に入り、それを受け継ぎ、断つことが出来ずに深く5欲に執着すること、ヤクの尾を愛する様です。
何かを追い求め、執着する貪愛の心を自ら持ち、盲冥であるため、この世の中が味気ないもの思い、知識を持たず、また道理が見えず、また見ようともしない。その為に信じる所が無く、大勢の佛及び苦を断つ法を求めない。
深く諸の邪見に入って、苦をもって苦を断つ事を望む。この衆生の為に、大悲心を起こし、我は初めて菩提樹の下に坐り、樹を観じ(瞑想)また、経行して三十七日間中に、次の様な事を考えった。
・経行
食後や修行の合間、疲れや眠けをとるために一定の場所をゆっくり歩くこと
我が得た智慧は複雑で難しいく、最も第一位の法なり。衆生の諸根は働きが鈍く、楽に執着し、(痴)愚かなことに目を奪われて理が見えない。
・痴
愚かなこと。又は物事を正しく認識・判断できない心のはたらき。
この様な類の者を如何にして、救い導くかと。その時、諸の梵王及び諸の天・帝釈天・護世四天及び大自在天、並びに他の諸の天衆、眷属百千萬が我に、謹み敬まいて合掌し礼拝して、法輪を広く教える事をお願いされた事にした。
我すなわち、自ら次のように思うった。もし、単に佛乗を誉めれば、衆生は法を理解できず、苦しみに埋没する為、この法を信じる事が出来ずに、この法を放してしまい、三悪道に落ちる。
まだまだ、続く今日はこの辺で、終り