職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

愚な埼大生の為の法華経(その2)

2007年01月13日 | 受験・学校

こんにちは
何となく、仏教の”因・縁”が分かりましたか?
それと同時に、お釈迦様は人の心を細かく分析し、癖を見抜いています。
たとえば、
神社、仏閣、で手を合わせた時どう言う気持ちに成るのでしょうか?お釈迦様は人がどうなるか、知っていたので、仏塔を建て礼拝させたのです。
では、法華経の譬喩品をどうぞ!

その時に舎利弗、踊るように立ち上がりながら歓喜する。すなわち、立って手を合わせながら、世尊の顔を眺めて佛に言いました。
「我々は世尊に従って参り、今まさに、我々はこの法の説を聞きて、今までに味わった事のない喜びを覚えました。

どう言う訳でしょうか、昔、我は佛に従いながらこの様な法を聞き、諸の菩薩が記した佛に成る道を見ながらも、佛に成る事が出来ずに、甚だ如来の思いも及ばない智慧を得る事が出来ない事に心を痛めていました。

世尊、我は常に一人で山林に入り、樹木の下に住みながら、時には禅を組み、時には周りを歩き、常に”我らも同様に法性を悉く知り、また如何にしたら、真実を明らかにした小乗の法をもって衆生を彼岸へ導くことが出来るか”を考えていた。

・法性
意識・感覚・行動などの作用が向かうもの、または意識によって知られる一切の対象
・如来
真実を明らかにする。または真実を明らかにした人(釈迦)

この思いは我らが過ちであり、我らは世尊には成れない。なぜでしょうか?、もし我らが悟りの本と言われる阿耨多羅三藐三菩提を成就する事を説いて下さるのを待てば、必ず大乗をもって、彼岸へ渡り苦から脱出する事を得ったでしょう。

しかし、我らは方便随宜の説の意味を悟る事が出来ずに、たまたま、初めて佛法を聞いた時に、これなら間違いなく悟りを得る事ができると思い受け入れた。

世尊、我は昔より今まで、昼夜問わず、常に自らの責務を克服して来たにも関らず、今まさに、佛を敬って従いながら、未だに聞いた事のない未曾有の法を聞いて、諸の疑念や悔恨を断じて、身心ともに落ち着き、物怖じせず、快く安穏な心を得る事ができた。

今日、真に自分が佛の弟子である事、その事が佛口あるいは法化より生じた事、佛法の本分を得た事など知る事がでました。」

その時に舎利弗、重ねて、この義を述べんと欲して、偈を説いて言さく
「我、この説法を聞いて、今まで一度も味わった事のないものを得る事ができ、大歓喜の心が沸き上がり、今までの疑念がすべて除かれました。昔より今まで、佛教を身に付けて、大乗の心を忘れた事はありませんでした。

佛の言葉は非常に不思議なもので、良く衆生の悩みを取り去ていました。
我はすでに煩悩を滅した身であるけれども、佛の言葉を聞く度、つらい悩みが消えて行くのです。

我は山中の谷に身を置いたり、或いは林の樹木の下に座り、時には禅を組んだり、またある時にはその周りを歩いたりして、常にこの事を考え、時には叫び声を上げたりして、自分を責めたりしました。”いかんぞ!しかも自ら騙す事は”

我らもまた佛の弟子であり、同じく無漏の法に入っているにも関らず、未来に無上道
を演説することが出来ずに、また同じく、一法の中に居ると言えども、佛の特徴である「三十二相」・「十力」・「八解脱」を得る事が出来ない。


・無漏
〔「漏」は煩悩(ぼんのう)のこと〕悟りが開け、迷いや欲望がなくなったこと
・煩悩
人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。
1.肉体や心の欲望、
2.他者への怒り、
3.仮の実在への執着など。
「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。
染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。→煩悩を示す
・無上道
仏道
・八解脱
八正道を参考の事
・十力
合理と不合理とを区別する智力など十種、佛が備える智力
1.世俗智
四諦を知る以前の一切の凡夫の智
2.法智
苦集滅道を悟る智
3.類智
上二界の苦集滅道を悟る智
4.苦智
上下界の苦諦を悟る智
5.集智
上下界の集諦を悟る智
6.滅智
上下界の滅諦を悟る智
7.道智
上下界の道諦を悟る智
8.他心智
他人の心を知る智
9.尽智
すでに一切の煩悩を断ち消した智
10.無生智
鋭い根(6根)を有する阿羅漢のみ、具足する智
すべてを悟り、知る事が無くなった状態で、更に悟りを開く智

そして、八十種の妙好・十八不共の法など功徳を我は皆、失なってしまい。我が一人で歩いている時、大衆の中に佛が居るのを見かけ、そして、沢山の聞く人に周りを取り囲まれた佛が広く、大衆を多くの言葉や比喩でもって、心を豊かにしている姿を見かけました。

・八十種の妙好
三十二相をさらに細別して八十種にした。八十種隋形好とも言う
・十八不共の法
身に過失がないなどの十八種の佛にのみ備わり、他には共通しない特色
1.身無失2.口無失3.念無失
4.無異想;すべての人に平等な想いを持つ事
5.無不定心;どんな状況でも心が静かな事
6.無不知己捨;すべての法を知っていても、法に執着しない事
7.欲無滅;諸の衆を度せんと欲して心が飽きる事がない事
8.精進無滅9.念無滅10.慧無滅11.解脱無滅12.解脱智見無滅13.一切身業隋智慧行;佛清浄の勝相もって智に従って行じ衆生を利益する14.一切口業隋智慧行15.一切意業隋智慧行16.智慧知過去世無礙17.智慧知未来世無礙18.智慧知現世無礙



今日はこの辺で終り、
とにかく、名門の埼大学で勉強したとしても、それが役に立たないのでは何の価値もないし、埼大学も勉強の意義など学生に悟らせないと税金ばかり欲しがる慳貪な者に成ってしまう。とお釈迦様は説いている。以上

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愚な埼大生の為の法華経(その1)

2007年01月06日 | 受験・学校

こんにちは
今日から、法華経の譬喩品の解釈をお送りする予定でしたが、
色々と訳があり、甥の為にお釈迦様が説いた”因・縁”について、般若波羅密多をしながら譬喩品の解釈に移りたいと思います。

”いじめ”について、仏教の”因・縁”をもって説明し、こうしたら解決すると言った所、お前は”仏教は下らない”と言ったが、それはお前が”因・縁”が良く分かっていない為である。

何も、お前が言うように”いじめられて困っています。助けて、お釈迦様”と唱えるだけで、物事が解決できるのなら、仏教も、先生も、いらないし、またお釈迦様も仏教を広めないし、得く必要が無かった。

私、阿羅漢が言いたい事は”いじめ”が起きる原因とその原因が成り立つ条件(縁)を見つけ、それらを無くせば”いじめ”は無くなると言う事だ。
”いじめ”の”因・縁”を見つけたとしても、文化省などの役人に頼っていてはやはり、解決できない。

”いじめ”に関わった人(当人やその家族を含む)が解決しょうとしなければ、ダメである。いくら、第三者が何と言ようが、解決できない。なぜならば、色即是空 空即是色であるからである。

具体的に言うと
(如是相)このような姿・形をし、
(如是性)このような習性があり、
(如是體)このような性格・性質を持ち、
(如是力)このように用いられる能力があり、
(如是作)このように6根により作られる三毒・作られる物があり、
(如是因)このようにある習慣が物事の因になり、
(如是縁)このように因を育てる縁があり、
(如是果)このように因によって生じる結果があり、
(如是報)このように生じた結果により苦楽・報いを味わう

この最初から最後までの事はあらゆる存在がすべて空で、実体のあるものはないから生じ、互いにリンクしている。

だから、他人に言われても、すぐに忘れて、元に戻ってしまう。
すなわち、”いじめ”を無くしたいのなら、”いじめ”に関っている人が真剣に解決しょうと思わなければ出来ない。

仏の存在は以上の事を悟らすきっかけ(縁)を作るだけ、解決するのは本人
もし、これでお前が悟れ無いとしたら、
1.学ぶ事の意義が分からない埼大に通い
2.名誉ばかりを大事にする教授に学び
3.下らない友と遊び
4.損得ばかりを言う親に育てられ
5.5見(1.身見2.辺見3.邪見4.見取見5.戒取見)を持った
6.そう言う身が教師に成っても、6欲を教えるだけ

だから、仏教を信じ、この世の物すべてが”空”である事を悟りなさい。
そしたら、少林寺の坊さんが少林寺拳を修行することが分かる。

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ダメ四チャンネルの為の法華経十

2007年01月05日 | 学問
こんにちは
法華経の方便品も、今回で最終回です。
この方便品がお釈迦様の説いた法が”因縁の法則”である事を示しています。
”因縁の法則”とは”すべての現象は原因とそれを育てる縁から成り立っている。”
たとえば、
人が歩く事(現象)が出来るのは自分(原因)と地球(縁)があるからです。
それは、自分に歩かなければならない事情(性)、歩く事が出来る機構(相)、自分の体重(體)があり、地球には万有引力(縁)がある。その為、自分と地球の間には重力(力)が生じ、自分が地面を蹴っても、重力より生じた摩擦により前に進む事が出来る。もし、地球に万有引力が無ければ、歩く事も出来ないし、鳥も飛ぶ事が出来ない。
また、
因縁の法則が無かったら、すべての物理の法則は成り立たないし、数々の法則を発見する事ができない。以上よりお釈迦様は偉かった。この後に、続く比喩品が法の用い方です。
では、方便品の偈の続きをどうぞ!


例えば、優曇華のすべてを皆が愛し、それを天・人界ではめったにない事だと楽しみにしている。そして、そ言う時に優曇華が一度び咲くように、法を聞いて歓喜し、これを誉めるか、一言を言ったならば、すべての三世の佛を供養する事と同じである。

・優曇華
クワ科の常緑高木。イチジクの近縁種。インド・セイロン島などに分布。花は壺状の花托の内面に生じ、果実は食用。花が外部から見えないところから、仏教では三千年に一度花が咲くといわれ、花の咲く時は金輪王(こんりんおう)が出現するとも、また、如来が世に現れるとも伝えられる。


この人は貴重であり、その人の価値は優曇華と同じである。汝たち、疑う事なかれ、我は諸法の王である。我は普く、諸の大衆に告げる。ただ、一乗の道をもって諸の菩薩にお教を説いて導き佛に成らしめ、声聞(ただ聞いてるだけ)の弟子を無くす。

汝たち、舎利弗、声聞及び菩薩、まさに知るべし
この妙法は諸佛に成るには必要なものである。五濁の悪世にはただ、諸欲に容易く執着する。この様な衆生達は最後まで、佛道を求めず、まさに来世の悪人は佛説の一乗を聞き、迷惑して不快になったり困ったりする為、信用して受ける事が出来ない。

法を破り悪道に堕ちる。自分を謙遜し、心が清らかで佛道を求める者が有るならば、まさに、この様な人の為に広く、一乗の道を賛美するのです。

舎利弗、まさに知るべし
諸佛の法は萬億の方便をもって、時節の頃合を見て法を説くのです。それを学習しない者はこれを悟り理解する事が出来ない。汝たち、すでに諸佛及び世の師の随宜方便の事を知り、また諸の疑惑が無く、心に大歓喜を生じて、自ら佛に成る事を知りなさい。


・随宜方便
宜しきに従って説く方便の事。すなわち、相手の状態を見て、因縁の法則を理解できるように用いる方便


法華経において、佛と書いてあるがこの佛はお釈迦さまの事でも、観音や阿弥陀のような神様でもなく、こうすれば物事が上手く、運ぶと言うルールを見つけた人を指す。
また、
悪とは阿修羅の一族である事の意味から付けられた。
法華経の方便品は以上で終り


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ダメ四チャンネルの為の法華経九

2007年01月04日 | 学問

新年


明けましておめでとう御座います。

今年も、宜しくネ!
さて、ここまで方便品を見てきて、如何だったでしょうか?
お釈迦様の説いた事が分かったでしょうか?つまり、この世で起きるすべて出来事には”原因があり、その原因を成立させる縁がある”と言う事です。だから、苦も原因と縁がある。

例えば、ダーウィンの進化論で有名な鳥ダーウィンフィンチに見られるように環境により口ばしがその環境に応じて変化している。それと同様に私たち人間の心も、住んでいる所の生活環境に応じて、価値観や考え方が備わる。

だから、苦の原因はあるものに執着し苦と感じる心、縁は日常生活で身につけた価値観や行動だと言う事でしょうか?そして、それらの事は人それぞれで違うため、解決法も異なる。だから、一佛乗なのではないのでしょうか?

では、方便品の偈の続きをどうぞ!

我がむしろ法を説かない方が早く涅槃に入る事が出来る。ついでに過去の佛の説の方便力を考えて観るに我が今、得た道も三乗とした方が良いと考えた時、十方の佛の皆が姿を現し、梵天王が我を慰め諭すように声をかけて下さいました。

「釈迦文、あなたは正しい、そしてあなたは真理の法を教え導く導師の第一人者です。
この上ない法を得たのにも関らず、諸のすべての佛を受け入れ、そして従って方便力を用いて下さいました。

我らもまた、皆最高に難解な第一位の法を得る事が出来たけれども、諸の衆生類(息をしているもの)の為に、分別して三乗(仮説)と説きます。

愚か者は愚かな法を願いって、自ら佛に成らなければいけない事を信用しない為、方便をもって分別して諸の果(因縁の成り行き)を説きます。また、菩薩を教えんが為、三乗を説くと言いましょう。」

舎利佛、まさに知りなさい!
我は聖師子の清らかで、重々しい不思議な声を聞いて、喜んで「南無仏」と声を出して
唱える。共に「我は濁悪世に生まれたり、諸佛の諸説に従いって、修行する。」ことを祈願する。我はこれれの事を念じ終わって、波羅奈に向かって行った。

・聖師子(しょうしし)
仏教では文殊(もんじゆ)菩薩の乗物とする。または佛の異名
・波羅奈
インドのガンジス河中流、北岸のベナレス市の古名

諸の法は寂滅の相を持つ、故に”静寂かつ徐々に移ろい、やがて消え去る”特徴を有する為、言葉をもって述べる事ではない。ただ方便力をもって、五比丘の為に法を説いたのです。そして、この事を転法輪と名ずけまた、それぞれ別の名があり、五比丘を阿羅漢・転法輪を涅槃の音と言う。

久遠劫と言う、無限に遠い過去より今まで涅槃の法をほめたたえ”永く、生死の恐怖を味う事がない”事を示しながら、我は常に涅槃の法を説いてきた。

舎利佛、まさに知りなさい!
我は我が弟子たちを見て、佛道を追い求める者が千萬憶と言う数限りないほどいて、すべての者がつつしみ敬う心を持ち、皆が佛の修行を成し遂げる事を確信した。

かつて、諸の佛を敬いながら従って、方便の所説の法を聞いて、如来(釈迦)がこの世に出現した訳は佛の悟りを説かんが為である。そして、今がその時である事を観じた。

舎利佛、まさに知りなさい!
濁った根を持った愚か者は著相驕慢の者である為、明らかにおごりたかぶり、他の者を馬鹿にし、勝手気ままにふるまうを成し、この法を信じない事は明らかである。

今、我は喜んで、恐れなく、諸の菩薩(法を求める人)の中において、正直に方便を捨てて、ただこの上ない佛道を説く事にする。菩薩である者はこの法を聞いて、皆すでに疑網を除いていた。

千2百の阿羅漢もまた、今まさに、悉く佛に成るべきです。
三世諸佛の説法の儀式の如く、我もまた同様に無分別に法を説いたとしたら、諸の佛が世に厳しくに出現したとしても、人々から遠ざけられ、人々から価値あるものとして認められる事が難しい。

仮に、佛の使者として世に出現したとして、この法を説いたとしても、人々から認められる事が難しい。また、想像も付かないほど、長い年月を経てたとしても、この法を聞く機会が有る事が難しい、またまた、この法を聞く者を探す事も難しい。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り

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