思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

オノマトペから「わかる」ということ

2013年07月17日 | 思考探究

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 今朝はヒグラシの音が響きます。声が響く、鳴き声が響く、それはジリジリというような音に聞こえます。ミーンミーンという昼間とは違う、夕方にも響くジリジリと鳴き声です。

 NHKカルチャーラジオでは小野正弘さんの「オノマトペと詩歌のすてきな関係」という番組が放送されています。擬態語、擬声語、擬音語という日本語に多い言葉、以前いもブログに書きました。

 感心するのはこの言葉、体験、経験から共通認識が、痛みの大きさならばその感覚的な認識も共通認識が可能です。「ズキンズキン痛い!」と言われれば何となくわかる。「ズキズキ」とは違うその痛み。

 芭蕉の句が紹介されてその中に、

 ひらひらと若葉にとまる胡蝶かな

間違いなく今もこの「ひらひら」は共通認識でわかる。

 先日暑さを逃れ浅間温泉の東に位置する美ヶ原に逃れました。思いでの丘標高1935m。

 そこには「スイスイ」「ブンブン」「ピタット」のトンボが沢山飛んでいました。飛ぶというよりも飛行していました、と表現したほうがよいかも知れません。

 「ピタット」は杭にとまり辺りを見回しているオノマトペです。

 「クルクル」「キョロキョロ」と頭を動かす、そんなトンボがそこにいます。

 気温は下界よりも10度は低い。

 フト思うのはこれはトンボの命の音ではないかだ、ということです。

 音というものは命をともなく。

 サラサラと高原の風。ザクザクと大地を踏む音。女性ならサクサクと。

 「カシャ」とカメラの音、そこに風景が映る、トンボが映る、大地が映る。

 混沌とした初発のなにのものかもわからない雑音から、その音がわかる。

 聞くこと、見ること、嗅ぐこと、味わうこと、感じること、そして解るということ。

何が理解され、何が分るのか。

それはその人だけのものなのだろうか。

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ブルーベリーをほおばる

2013年07月16日 | 風景

 NHKサービスセンターから毎月出版されている「ラジオ深夜便」の月間小雑誌の7月号に『鉛筆部隊と特攻隊』の著者きむらけん氏の3月27日に放送された『疎開児童の見た特攻隊』が活字で「明日へのことば」に掲載されていました。放送を聞いたわけではなく、不思議な出会いに驚きます。この7月号も昨日書店で手にしたわけでこれも驚きです。

 昨年出版され地元松本市浅間温泉の話しなので、この話に接することがあるのは必然的ですが、7月号で先月には書店に並べられているわけで、7月の半ばにまだ残っていたことは偶然の仕業のように思う。

 今朝の裏山の有明山(2268m)にはすそ野と頂上付近には雲がかかっています。ここ安曇野穂高宮城は山から涼しい風が吹いています。

 しかし昼間になると暑いでしょうね。

 今朝はブラブラ散歩から帰り、ブルーベリーの畑に向かい目の癒しに食することにしました。この季節鳥との勝負で早い者勝ち。

 ブルーベリーの実は一斉に熟するのではなく、日ごとに変わります。土曜・日曜と子どもたちや親戚が来て採って行きましたが、祝日は誰も採りませんでしたので、ご覧のとおり私を待つ実がありました。

 実感するのは、眼に効き目があるということです。気持ちの問題ではなく間違いない人体実験の結果です。

 手づかみのほおばりです。

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人それぞれの気色

2013年07月15日 | 思考探究

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 「気色」と書いて「きしょく」と読む。古語辞典にも掲載されている言葉で使い古され今も使われています。古語辞典では「顔色・ようす・表情、意向・内意、寵愛・おぼえ・気に入ること、気分・気持ち」(大修館書店)などの意味があり、現代では「心中に思っていることが現れた顔つき。あるものから受ける感じ。気分」(大修館書店)と少々意味が絞られているようです。

 朝から何を言わんとしているか。朝のブラブラ中に気色の悪いものを見たのです。



一瞬それはこの世の中で一番嫌いな冷血動物ヘビでした。が、地下ずくとそれはミミズでした。

 人によっては両方とも気色のいいものではないのですが、私の場合ミミズは平気でその生態が実に森の再生、土壌の再生、その生命体としてその体の何パーセントかを切断しても再生する不思議な生き物で、何パーセントを切断できるかを研究した人がいました。

 ミミズと言えば小さな生き物ですが、LLサイズのコップに挿すような大型ストロー、太さはその程度ですが、体調が30センチもあれば遠くから見るとヘビに見えます。

 しかし動きが違います。くねらして前進するヘビとは違い、ミミズは身体をアコーデオンのように縮む、伸ばすで前進します。

 その動きに感動し、撮ってしまいました。ということで掲載することにします。

 爬虫類ではありませんが、気色の悪いもの、飛び跳ねてしまうもの、という人もいますが、足元の命でもあるので・・・それにしても太く長い・・・アップしました。

 同じようで同じではない、違いが人の気分を左右させそれはまた人の持つ個々の感じる反応でもある。

 特攻隊の話を書いたら、尖閣列島の話になり、中国の非道の話になる人もいる(サイト紹介コメント)。

 そのとき人はなぜそのように語るに至り、行為の決定、自由意志としての敢行なのか、敢えて(あえて)する行為になるのか。

 その過程を書いただけであって、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己となること・・・ヤスパースの世界を前にも書きましたが「私の信仰は、もしそれを私が確信するならば、それだけに他の信仰と衝突する」を示したいわけで、信仰ではなく公共善でもいいわけです。

 人は驚き、そうだと認め、そうでないと懐疑し、確実性を探究する。驚きのあまり我を忘れ、俺って一体何なのだろうか、といつの間にか哲学するのです。

 7年前アフリカ大陸を離れた人類は、遂にアジア大陸の東の端の島国にたどり着いた。

 幸いを求め、ものごとを巧みに行なうわざを見に付けながら、途中大陸の戦国の世を離れ幸いの希望の国を目指した人々もいました。というと拉致された人もいたという主張も出てきます。

 幸いは、幸ではない状態をともないますから当然の論理です。

 ミミズの話しから人の世の話になってしまいました。まぁ足元に自然の命があったという話です。

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散り逝くものとして

2013年07月14日 | 思考探究

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「過去も、現在も、未来も、地続きであることを忘れてはならない。」

「因に最大の責任がある。」

 この二つの言葉を心に落しブラブラと朝の静けさの中に歩く。

 昨夜Eテレで「世界の叡智6人が語る 未来への提言(前編)」という番組が放送されていた。ブログにも書きましたが『知の逆転』(NHK出版新著 2010.12)という現代最高の知性6人を吉城真由美さんがインタビューした本があり、そのインタビューが抄的に紹介され、そこに生物学者の池田清彦が吉城さんと読み解いていくという番組です。

 私はその番組を見て何かしらの思いを持つわけで、それはある意味他律的な考えを持つことになるのかもしれない。

  人は色々なことを考える。いろいろな学問がありそこからいろいろな分るが生まれる。わかると言っても皆が同じような認識に立ち理解するわけではなく、賛否両論の話になる。

 ジェームズ・ワトソンが「ダーウィンが入って、神が出て行った」と述べていた。

【ジェームズ・ワトソン】 ダーウィンが与えた最大の影響は、「ダーウィンが入って、神が出て行った」ということです。実にシンプルです。神が必要なくなった。60年前人々は、物理・化学の法則で「生命」を説明できないものかと腐心した。で、DNAやそれにまつわる色々な事柄で、生命というものが説明できることになった。化学的に免疫の抗体メカニズムも説明できることになった。それで、一挙に神が不必要になった。ただ宇宙がいかにして始まり、いかにして終わるかについてはわかりません。私は現実的な人間ですし、私にあまり関係がないことなので、それについては考えようとは思いません。

そして「生命とは何か」という質問には、

 シンプルに言うならば、「生命とはDNAに保存された情報である」となるでしょうが、そう言ってしまうにはあまり複雑です。細胞が分裂するためには、実にたくさんのことが必要がある。だから、「生命とは、分裂・成長することを目的とした、選択された組織化された分子の集まりである」とも言えます。分子は、組織化されたシステムが発現するための情報を持っている。要するに情報が将来を規定しているということです。

と答えています。

 そもそも分子はなぜ情報を持っているのか。なぜあるのか。という話にもなり存在理由にもなる。

 裸の実存として投げ出されたときいつの間にか着込むこともあれば、意識的に好みを着込むこともある。ある時には強制的な着込みをさせられることもある。

 大脳にある角回は言語、認知などに関連する多数の情報を関連付ける処理に関わっているといわれている。

 着込むという想像的な発想には角回の(微細に分解すれば)細胞の分子がそうさせる。

 求める根底には分子が持つ情報がある。それが人を作り、私を作り、私はこう考え、こう決断しそのような行動に走る。

 大正・昭和初期の時代に出会うことができる本の話になりますが、夏目漱石の『私の個人主義』の中に、

<『漱石文明論集』岩波文庫から>

 ご存知のとおりイギリスという国は大変自由を尊ぶ国であります、それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序の調った国はありません。実をいうと私はイギリスを好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。
 日本などは到底比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。
England expects every man to do his duty といった有名なネルソソの言葉ほ決して当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根抵をもった思想に違いないのです。

<「私の個人主義」p127-p128から)

 岩波文庫のプラトン著『パイドン』(岩波文庫)の中に次のような会話におけるソクラテスの言葉がある。

 ・・・本当に哲学のうちで人生を過ごしてきた人は、死に臨んで恐れを抱くことなく、死んだ後にあの世で最大の善を得るだろうとの希望に燃えているのだが、それは僕には当然のことのように見えるのだ。・・・(p28)

 ・・・「ところで、おそらく、思考がもっとも見事に働くときは、これらの諸感覚のどんなものも、聴覚も、視覚も、苦痛も、なんらかの快楽も魂を悩ますことがなく、魂が、肉体に別れを告げてできるだけ自分自身になり、可能な限り肉体と交わらず接触もせずに、真実在を希求するときである」
「その通りです」
「したがって、ここでもまた、哲学者の魂は肉体を最高度に侮蔑し、肉体から逃亡し、まったく自分自身だけに成ろうと努力するのではないか」・・・(p33)

『パイドン』ではソクラテスが毒盃をみずからの選択でかたむける。自殺なのか静かなる死の選択なのか、定められた運命としてなのか、宿命なのか、その正当化理由を・・・というよりも弟子たちに全てが当然な論理的結論であることを語る。

 死に至る病を持つものの中には、このパイドンにその答えを求めた人もあるようです。

 戦いのあらしの中で、時代的な運命の流れの中で自分ではどうしようもない事態の中で、選択だけが示される・・・いや選択ではなく当然の運命としてその身を置かれる。

 何を言いたいのか。今の学生はまず上記の本を読むことはない。

 数日前に書いたことですが、いま松本市の市立博物館で「戦争と平和展」が8月25日まで開催されています。





『鉛筆部隊と特攻隊』(きむらけん著 彩流社)そこには確かに体験者以外には知らない疎開の子供と特攻隊員の心の交流があった。

 死にゆく者、見守る者

 そういうものたちがほとんどの時代があった。今では知らない人がほとんどで、私もその話をこの一冊の本で知った。もちろん戦争があったことは知っている。

 安曇野には上原良司という22歳で死んだ若者がいる。松本中学(現松本深志高校)から慶応大学に進んだ若者で、そのことに以前若干触れましたが、自宅で書いた第二遺書をここに掲出したいと思います。

 上原良司【第2の遺書】昭和19年7月末 館林から知覧に転属になった際に帰郷し、自宅で書き残したもの

 「遺 書」
 生を享(う)けてより二十数年何-つ不自由なく育てられた私は幸福でした。温かき御両親の愛の下、良き兄妹の勉励により、私は楽しい日を送る事が出来ました。そして、ややもすれば我優になりつつあった事もありました。この間御両親様に心配をお掛けした事は、兄妹中で私が一番でした。それが何の御恩返しもせぬ中に先立つ事は心苦しくてなりませんが、忠孝一本、忠を尽くす事が、孝行する事であると云う日本においては、私の行動を御許し下さる事と思います。
 空中勤務者としての私は、毎日毎日が死を前提としての生活を送りました。一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。高空においては、死は決して恐怖の的ではないのです。このまま突っ込んで果して死ぬのだろうか、否、どうしても死ぬとは思えません。

 そして、何かこう突っ込んでみたい衝動に駈られた事もありました。私は決して死を恐れてはいません。むしろ嬉しく感じます。何故ならば、懐かしい龍兄さんに会えると信ずるからです。天国における再会こそ私の最も希ましい事です。私はいわゆる、死生観は持っていませんでした。何となれば死生観そのものが、あくまで死を意義づけ、価値づけようとする事であり、不明確な死を怖れるの余り為す事だと考えたからです。私は死を通じて天国における再会を信じているが故に、死を怖れないのです。死をば、天国に上る過程なりと考える時、何ともありません。
 私は明確に云えば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿な事に聞えるかもしれません。それは現在日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。
 戦争において勝敗をえんとすれば、その国の主義を見れば事前において判明すると思います。
 人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。
 日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上は、ただ日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます。
 人間にとっては一国の興亡は実に重大なことであります。宇宙全体から考えた時は実に些細な事です。騎れる者久しからずの例えどおり、若し、この戦に米英が勝ったとしても、彼等は必ず敗れる日が来る事を知るでしょう。若し敗れないとしても、幾年後かには、地球の破裂により粉となるのだと思うと、痛快です。加之(しかのみならず)、現在生きて良い気になっている彼等も、必ず死が来るのです。ただ、早いか晩(おそ)いかの差です。

 離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。開かなかったら左の引出しを開けて釘を抜いて出して下さい。
 では、くれぐれも御自愛のほど祈ります。
 大きい兄さん清子始め皆さんに宜しく。
 では、さようなら、御機嫌良く、さらば永遠に。                                 良司より

  御両親様へ

安曇野市の隣池田町のあづみの池田クラフトパークにある「わだつみの声記念モニュメント・上原良司の碑


(真正面に有明山が見えます)


(上原良司第三遺書「所感」昭和20年5月10日鹿児島県知覧基地での遺書の一部)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 人はどうして人に成るのか。

 分子のもつ情報によってなのか。

 大正時代の郷土の地理学の三澤勝衛先生はその著『新地理教育論』に次の言葉を残していることを以前書きました。
で次のように語っていました。

<三澤勝衛著『新地理教育論』から>

・・・なお序ではあるが、もっともっと大切なことをここで皆さんにお伝えしたいと思う。それは、今私は桜の開花日が、その開花日から約三十日ほど以前のその間の平均気温と関係があるとお話したが、そうしてそれが、勿論開花日が気温だけで決定されているのではない、ピッタリ予報通りにはいかないとしても、よほどまでそれが一致することは確かである。

とにかくそういったように、今、現在、我々の眼前に展開されているその事象というものは、既に過去の三十日間なり五十日間のそれと深い交渉関係を持っているものであることは明瞭であり、たしかであるが、ひとりその事象は、過去だけではない、それ同様に将来への相関しておるわけである。

 だから、現在そのもの中には、その現在は勿論、過去も、未来も織り込まれているわけである。したがって、その現在をよくよく見つめ見極めることによって、その中から我々はさらに将来もまた発見しえるわけである。

<上記書p502>

 常に同じような話になってしまう。今現在の一大事の結論になるわけですが、金城学院大学学長で精神科医の柏木哲夫さんは「こころの時代」で「人は年に一度は死について考えることが大切です。」と話していました。そしてホスピスに長く関わった体験から

・人は生の延長上に死があると思っているが、現実には「死を背負っている」のだ。

・人は生きてきたように死んでゆく

と語っていました。

「散りゆく者」として人は年に一度ぐらいは死について考えることが大切だと私も思う。

 そういった時に私は何を学んできたのだろうか。

『夢の如し』という「南伝小部経典経集・老経」の偈があります。

 夢の如し

人のいのちはまことに短い。
百歳に及ぶものは少ないく、
百歳をすぎて生きる者もまた、やがて老いのために死ぬ。

人はおのれの執(しゅう)する物のために愁える。
けだし、所有に常なきがゆえに。
そは存し、変じ、また滅する。
かく知りて人は執着を去らねばならぬ。

「これは私のもの」と思える物も、その死のために失われる。
賢き者はその理(ことわり)を知りつくして、おのれの執着を去るのである。

たとえば、夢に会いしものを、人は、覚めてまた見ることはできぬ。
かくのごとく、愛する人々をも、命終してのちは見ることができぬ。

この世にありし頃は、某々(それがし)とて、その名も開き、その顔も見たるに、亡き後は、ただその名のみが、彼を語るよすがとして残る。

執着するものを貪(むさぼ)り求むる者は、悲愁(ひしゅう)、邪慳(じゃけん)の心を捨てることはできぬ。
されば、安穏の境地を知る聖者は、すべて所有を捨てて行ずる。

聖者は一切処に依ることなく著(じゃく)することなく愛する者もなく、憎む者もなく、たとえば、はすの葉に水のしずくの著(つ)かざるがごとく、悲涙することもなく、邪慳の心をいだくこともない。

<以上・増谷文雄著『仏教の根本聖典』(大蔵出版)から>

 ここで言う聖者にはどう考えてもなれませんが、今朝のこころの時代は画家で東京芸術大学名誉教授の絹谷幸二さんの「“いのちの炎”を描く」で、その中で般若心経の「色即是空 空即是色」の「空即是色」について、

 思い、信じるという想像力の新しい翼をもって形を作る。

という言葉にいたく感動しました。希望と言うと先の未来になりますが、思いや信じるという言葉には今が宿っています。

 ピンチこそチャンス、双眼でよく見る。ピンチの時、チャンスの時、見開きの眼ではなく涼しい細めて見つめる。

 これもまた何かを与えてくれる。考えてみれば仏さまの眼は細見開いてはいない、静かな細目です。光量が多く、偏重してその情報だけが入り込むと戯論になり、他律的になる。

 そのほどよさが肝心なのかもしれません。

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命の輝き・稲のおしっこ

2013年07月12日 | 思考探究

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 連日の猛暑。熱中症の話題がニュースで毎日放送され自分も注意しなければと水分補給に注意しています。

 今朝も山の稜線から昇る太陽は撮れませんでした。刻々と昇る陽、



いつの間にか林の向こう側にしっかりと昇っています。

 有明山のあり明け、朝の陽の光に照らされることを「あり明け」というのだそうですが、まさに輝き始めます。



そして足元の稲穂を見ます。すると稲に水滴の玉が付き陽の光に照り輝きます。


(携帯カメラですのでハッキリ見えないのが残念ですが、水滴が輝いています)

 これは何か?

 82歳の植物写真家の埴沙萠さんのNHKスペシャルの「足元の小宇宙~生命を見つめる~」の中で「植物のおしっこ」の話があります。朝露だとばかり思っているとそれは、植物が水分を吸い上げ、余った分を朝の涼しい時に放出する。それがまん丸の水滴になって葉に宿っている。


(NHKスペシャルの「足元の小宇宙~生命を見つめる~」から)

 生命の輝き。


(NHKスペシャルの「足元の小宇宙~生命を見つめる~」から)

稲に水滴が宿っています。

 「楽しいことばかりだよ、世の中は。なにも無いようでも見方によってよく見るといろんなものが見えてきてね」

 ふだん気がつかない私たちの足元の不思議な世界

 「人生には無条件に意味がある。」とはヴィクトール・E・フランクルの言葉ですが、「もとに在ること(バイザイン)」「ここに在るという事実」から意味が照らされてきます。

 愚かさの中に埋没しているだけ、というと何か自分が賢者のような自惚れた言葉になってしまいますが、確かに植物の「おしっこ」には命の尊さを感じます。通り過ぎればなにも無いのは当然で意識の拡散なのでしょうか、感度の良いアンテナを持つことだ、と言いうのでしょうか、・・・埴さんの姿に感動します。

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時間がある感覚

2013年07月11日 | 哲学

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 先週の土曜日のNHKスペシャル「足元の小宇宙~生命を見つめる植物写真家~」で埴沙萠さんの世界が紹介されていました。以前の見た時に凄く感動していたのにいつの間にかその世界は遠ざかりあらためて、その足元の植物の世界の息づかいを時間を感じました。

 時間を感じる。長短で時間を見てしまいますが、あるがままの中では何ら変わりのない世界なのでしょうが、視点を変え速さを変えると見えないものが見え、動きが見えそこに生命を感じるのですから不思議です。

 太陽は当然い昇るのですが、実は地球が太陽の昇方向に回転するから逆に昇るように見える、徐々に・・・。

 質量が空間を曲げ空間が異なれば相対的に異なる時間の中にいることになる。

 本当の世界。鳥瞰的なパースペクティブな広い視点、広大な世界を宇宙を見つめる意識が具われば視点の時間はあるのだろうか。

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ヘンゼルとグレーテルから思うこと(2)・なぜ説明されるのか?

2013年07月09日 | 思考探究

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 グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」の兄妹の話を以前ブログで、グリム童話が昔話を集約しグリム兄弟の編集にあたっての思惟の介入について書きました。

 話題としては、まず親子四人の関係のなかで、初版は実母であったが最終的には継母に書き換えられたことに言及しました。

 そんなことに興味を持ち始めグリム童話のCDを図書館から借り、「ヘンゼルとグレーテル」を聞いてみると、「母親の行為は、普通ではないこと、その行為は不道徳な行為であって理由がある」とでもいうように懇切丁寧な描写になっていました。

 そのCDの「ヘンゼルとグレーテル」は、父母と兄と妹の木こりの家族を説明し、次のような語りから始まります。

<冒頭>

 ある年のことです。それは今までもズーット貧乏な一家ではありましたが、その年は国中で麦や野菜もとれない大飢饉になり、本当に食べるものもなくなってしまい多くの人がお腹を空かして死んでしまいそうな状態でした。

 ある時悪魔にそそのかされたように、お母さんが言いました。「もうこうなったら子どもたちを森の奥に捨ててしまうしかないよ。」お父さんはとても驚きましたが、お母さんの「そうでもしなくちゃぁ4人とも死んでしまうよ!」という言葉に何も言えません。

 実はお母さんはヘンゼルとグレーテルの本当のお母さんではなかったのです。本当のお母さんが死んでしまった後にやって来た継母(ままはは)でした。

 であればこそ、こんなひどいことも言うのです。

<以上>

 何と懇切丁寧な解説です。

<悪魔にそそのかされたように・・・。>

 悪い心は自分からではなく他者からの影響で、本来の自分ではなく悪い心が憑りついたから・・・ということのように聞こえます。

<実はお母さんはヘンゼルとグレーテルの本当のお母さんではなかったのです。>

 そうだよなぁ、本当のお母さんならばそんなことを言うわけがないと思う私です。やさしさに包まれた母親像を心に描くわけです。

 ここで白水社の『初版・グリム童話集(吉原高志・吉原素子訳)』から上記の部分を引用させていただきます。

<『初版・グリム童話集(白水社)』・「ヘンゼルとグレーテル」から>

  ある大きな森のそばに、ひとりの貧しいきこりが住んでいました。きこりには、なにも食べるものがありませんでした。おかみさんとヘンゼルとグレーテルというふたりの子どものための、その日その日のパンさえろくにありませんでした。あるとき、それさえも手に入れることができず、どうしようもなくなりました。

 夜、心配のあまり寝床でごろごろ寝返りをうっていると、おかみさんが言いました、

 「ねえ、おまえさん。明日の朝早くふたりの子どもを連れておいき。それぞれにあと一切れずつパンをやって、森へ連れ出すのさ、木が一番生い茂った森の真ん中へね。そして、火を起こしてやったら、そこを離れてふたりを置いてきぼりにすればいいよ。もうこれ以上ふたりを養ってやれやしないもの」

 「なにを言うんだい、おまえ」、きこりが言いました、「自分のかわいい子どもを、森のけだもののところへ連れていくなんて、そんなことできやしないよ。すぐに子どもたちを八っ裂きにしちまうよ」

 「おまえさんがそうしないんなら、わたしたちはみんないっしょに飢え死にするしかないよ」

 おかみさんがきこりをうるさくせめたてたので、ついにきこりも承知しました。

<以上同書p41-p42>

 初版の内容が改訂される中で、改変されるのはなぜか、背景となる社会がそのような母親像ではならぬ・・・ということなのか。

 「本当は残酷なグリム童話」という内容の本も出ています。

 「本当は残酷」

 これも意味するところは上記の物語る母親(継母)から分かります。

 この分るというのは、くせもので、本当に分っているのか。

 愛し合う夫婦間に、子どもの存在が入り込む。愛は夫から子へと移る。

 現代社会で生きる私たちには、哲理的な解説付きで物語れます。

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今日という一日

2013年07月06日 | つれづれ記

 「関東甲信梅雨明け、過去4番目に早い」という報道とは真逆のようにシトシトと今も雨が降っています。時々雨が上がるのですがしばらくするとポツリポツリと、時には大粒の雨が降っています。

 今日から松本市立博物館の2階特別展示室で「戦争と平和展」が開催されています。  『鉛筆部隊と特攻隊』(きむらけん著・彩流社)で松本市の浅間温泉に疎開していた子どもたちと終戦を間近にして出陣していった特攻隊との交流を知り、身近にそのような歴史があったことに、知らないということがいかに己の未熟さであることを思い知ることになりました。8月25日まで開催されています。


(松本市立博物館の2階特別展示室で「戦争と平和展」)

 午前9時からオープニングセレモニーがあったのですが、8時30分から博物館は開館していますので、式は観ずに一足先に独り占め状態で出品物105点を見て回りました。

 帰りに安曇野出身で『きけわだつみのこえ』で有名な上原良司の生涯が綴られている『新版 有明山に日かげさしー上原良司の遺した思いー』(豊科高等学校・上原良司の灯を守る会発行)を購入、妻に聞けばあまりにも身近に親戚の方がおられ驚きました。

 博物館を後にし今朝のブログで言及した「おひさま道祖神」二体の置かれている場所の確認に出かけました。


(“おひさま”ロケセットのころ)

一体は安曇野市豊科郷土史博物館、もう一体は堀金烏川地籍にあったロケセット近くの近くの私有地との情報に基づき松本市から安曇野市に向い豊科郷土史博物館に30分ほどで到着、情報源の地方紙に掲載された写真の通りに博物館事務室の駐車場側の窓下にそのおひさま道祖神が置かれていました。


(豊科郷土史博物館)

 間違いないその“おひさま”でみた道祖神です、がなぜか寂しさを感じました。

 次に堀金烏川地籍、その道祖神は、ロケセットがまだあったころに臨時に駐車場があった場所の古寺跡地の一角の草むらに置かれていました。


(堀金烏川地籍)

 主人公が色彩を施した道祖神で、隣接して元々その古寺跡にある同じ双体の道祖神があり、風景的には違和感はあまり感じませんでした。

 そういうものであって、思い出とは記憶であり、それでよかろうと納得し昼食のため家に一旦帰りました。

 今日は、少々忙しく、午後1時30分から安曇野市中央図書館の穂高交流学習センターで開催された「安曇族と安曇野ー古代の穂高神社が果たした役割ー」という安曇族の研究家亀山勝さんの講演会に出席、久しぶりに古代史に接しました。

 「安曇野」は「アヅミノ」か「アズミノ」か「ヅ」「ズ」の違いですが、亀山さんは「ヅ」を支持していました。この会場では亀山さんの最新の著書『弥生時代を拓いた安曇族』を購入、会終了後サインを頂きました。

 200人近くいたでしょうか、若い人はあまりおらず高齢者を含む年配者が大半でした。こういう講演会では必ず質問時間があるのですが、今日はひとりの70歳ぐらいの私の左隣理二番目に座っている婦人が安曇野の古代史が好きなんでしょうね、「日本書紀にはこう書いてあり・・・」などと質問というよりも自己の研究結果を話し始め、司会者や亀山さんに「質問でなければ止めて欲しい」旨の指摘をされていました。

 私の隣の女性とともに来て始まる前から文献学的な視点から何だかんだと話していましたから安曇族の歴史研究会か何かに所属する歴女(婆)なのでしょう。

 過去ブログに書いた話ですが、松本市から安曇野市の平野には梓川が流れ、古代朝廷に梓弓という弓を納めていました。「あずさがわ」「あずさゆみ」と読み、「あずさ」は特急や歌でよく知られています。万葉集では「みすずかる」は「信濃」にかかる枕詞になっています。

 亀山さんは、安曇族は大陸から渡海した徐福伝説に重ね合わせます。したがって漢字の「安曇」が原典となります。したがってやまと言葉のように平仮名にすることはできない。

 あくまでも漢字が先で「安曇」は「アドン」で「雲」は「ドン」、タ行で変化すれば「ヅン」もあり得る話・・・至って「アヅミノ」はそういうことのようです。

 今に生きる人間にとって過去の歴史的事実は、推測の言及でしかありません。

 特攻隊の人達の遺書や出撃前に書かれた検閲にかからずに残されたような内心を語る文章あります。このような文章が発掘され現代に示されます。受け取る側の価値観がそれに意味を与えます。

 「・・・真に大きな目を開き、人間本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。・・・・・人間にとって一国の興亡は重大なことで有りますが、宇宙全体から考えた時は、実に些細なことです。・・・」(ご両親様へ 自宅で書き残した吉原良司書簡から)

 「人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の増悪の爆発があるのみだ。敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦いを止めることはないであろう。恐ろしき哉(かな)、猿の親類よ。」(長谷川信少佐・23歳)

 一部抜粋ですが、「きむらけん」さんの言葉を借りるならばそこには哲理の言及があります。

 今日という日は、以上のような一日でした。

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「おひさま道祖神」後世へ

2013年07月06日 | 風景

 今朝は東から生暖かい風が吹いています。空はどんよりと曇り空。きのうの地元紙を見ると安曇野の話題として“「おひさま道祖神」後世に」”という見出しで2011年4月から放送されたNHK連続テレビ小説“おひさま”のセットで使われた道祖神に体のその後について書かれていました。


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から・村祭り)


(NHK連続テレビ小説“おひさま”から・兄弟妹と道祖神)

 “おひさま”ファンの私はこの道祖神の石像の行く末を案じていましたので



 一体は、安曇野市豊科博物館の玄関横に、もう一体は水車小屋のロケセット跡近くの私有地に置かれている、とのことで今日時間があれば見に行きたいと思っています。

 以前ブログにも書きましたが、ロケセットが撤去されすべてが元の畑に変わり、何も無かったかのようにその地は静かでした。



 何回となくその風景が好きで出かけた場所で、いつも出会っていた双体の道祖神、「おひさま道祖神」と名付けられ後世に残されることになりました。

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