[思考] ブログ村キーワード
「過去も、現在も、未来も、地続きであることを忘れてはならない。」
「因に最大の責任がある。」
この二つの言葉を心に落しブラブラと朝の静けさの中に歩く。
昨夜Eテレで「世界の叡智6人が語る 未来への提言(前編)」という番組が放送されていた。ブログにも書きましたが『知の逆転』(NHK出版新著 2010.12)という現代最高の知性6人を吉城真由美さんがインタビューした本があり、そのインタビューが抄的に紹介され、そこに生物学者の池田清彦が吉城さんと読み解いていくという番組です。
私はその番組を見て何かしらの思いを持つわけで、それはある意味他律的な考えを持つことになるのかもしれない。
人は色々なことを考える。いろいろな学問がありそこからいろいろな分るが生まれる。わかると言っても皆が同じような認識に立ち理解するわけではなく、賛否両論の話になる。
ジェームズ・ワトソンが「ダーウィンが入って、神が出て行った」と述べていた。
【ジェームズ・ワトソン】 ダーウィンが与えた最大の影響は、「ダーウィンが入って、神が出て行った」ということです。実にシンプルです。神が必要なくなった。60年前人々は、物理・化学の法則で「生命」を説明できないものかと腐心した。で、DNAやそれにまつわる色々な事柄で、生命というものが説明できることになった。化学的に免疫の抗体メカニズムも説明できることになった。それで、一挙に神が不必要になった。ただ宇宙がいかにして始まり、いかにして終わるかについてはわかりません。私は現実的な人間ですし、私にあまり関係がないことなので、それについては考えようとは思いません。
そして「生命とは何か」という質問には、
シンプルに言うならば、「生命とはDNAに保存された情報である」となるでしょうが、そう言ってしまうにはあまり複雑です。細胞が分裂するためには、実にたくさんのことが必要がある。だから、「生命とは、分裂・成長することを目的とした、選択された組織化された分子の集まりである」とも言えます。分子は、組織化されたシステムが発現するための情報を持っている。要するに情報が将来を規定しているということです。
と答えています。
そもそも分子はなぜ情報を持っているのか。なぜあるのか。という話にもなり存在理由にもなる。
裸の実存として投げ出されたときいつの間にか着込むこともあれば、意識的に好みを着込むこともある。ある時には強制的な着込みをさせられることもある。
大脳にある角回は言語、認知などに関連する多数の情報を関連付ける処理に関わっているといわれている。
着込むという想像的な発想には角回の(微細に分解すれば)細胞の分子がそうさせる。
求める根底には分子が持つ情報がある。それが人を作り、私を作り、私はこう考え、こう決断しそのような行動に走る。
大正・昭和初期の時代に出会うことができる本の話になりますが、夏目漱石の『私の個人主義』の中に、
<『漱石文明論集』岩波文庫から>
ご存知のとおりイギリスという国は大変自由を尊ぶ国であります、それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序の調った国はありません。実をいうと私はイギリスを好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。
日本などは到底比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。
England expects every man to do his duty といった有名なネルソソの言葉ほ決して当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根抵をもった思想に違いないのです。
<「私の個人主義」p127-p128から)
岩波文庫のプラトン著『パイドン』(岩波文庫)の中に次のような会話におけるソクラテスの言葉がある。
・・・本当に哲学のうちで人生を過ごしてきた人は、死に臨んで恐れを抱くことなく、死んだ後にあの世で最大の善を得るだろうとの希望に燃えているのだが、それは僕には当然のことのように見えるのだ。・・・(p28)
・・・「ところで、おそらく、思考がもっとも見事に働くときは、これらの諸感覚のどんなものも、聴覚も、視覚も、苦痛も、なんらかの快楽も魂を悩ますことがなく、魂が、肉体に別れを告げてできるだけ自分自身になり、可能な限り肉体と交わらず接触もせずに、真実在を希求するときである」
「その通りです」
「したがって、ここでもまた、哲学者の魂は肉体を最高度に侮蔑し、肉体から逃亡し、まったく自分自身だけに成ろうと努力するのではないか」・・・(p33)
『パイドン』ではソクラテスが毒盃をみずからの選択でかたむける。自殺なのか静かなる死の選択なのか、定められた運命としてなのか、宿命なのか、その正当化理由を・・・というよりも弟子たちに全てが当然な論理的結論であることを語る。
死に至る病を持つものの中には、このパイドンにその答えを求めた人もあるようです。
戦いのあらしの中で、時代的な運命の流れの中で自分ではどうしようもない事態の中で、選択だけが示される・・・いや選択ではなく当然の運命としてその身を置かれる。
何を言いたいのか。今の学生はまず上記の本を読むことはない。
数日前に書いたことですが、いま松本市の市立博物館で「戦争と平和展」が8月25日まで開催されています。
『鉛筆部隊と特攻隊』(きむらけん著 彩流社)そこには確かに体験者以外には知らない疎開の子供と特攻隊員の心の交流があった。
死にゆく者、見守る者
そういうものたちがほとんどの時代があった。今では知らない人がほとんどで、私もその話をこの一冊の本で知った。もちろん戦争があったことは知っている。
安曇野には上原良司という22歳で死んだ若者がいる。松本中学(現松本深志高校)から慶応大学に進んだ若者で、そのことに以前若干触れましたが、自宅で書いた第二遺書をここに掲出したいと思います。
上原良司【第2の遺書】昭和19年7月末 館林から知覧に転属になった際に帰郷し、自宅で書き残したもの
「遺 書」
生を享(う)けてより二十数年何-つ不自由なく育てられた私は幸福でした。温かき御両親の愛の下、良き兄妹の勉励により、私は楽しい日を送る事が出来ました。そして、ややもすれば我優になりつつあった事もありました。この間御両親様に心配をお掛けした事は、兄妹中で私が一番でした。それが何の御恩返しもせぬ中に先立つ事は心苦しくてなりませんが、忠孝一本、忠を尽くす事が、孝行する事であると云う日本においては、私の行動を御許し下さる事と思います。
空中勤務者としての私は、毎日毎日が死を前提としての生活を送りました。一字一言が毎日の遺書であり遺言であったのです。高空においては、死は決して恐怖の的ではないのです。このまま突っ込んで果して死ぬのだろうか、否、どうしても死ぬとは思えません。
そして、何かこう突っ込んでみたい衝動に駈られた事もありました。私は決して死を恐れてはいません。むしろ嬉しく感じます。何故ならば、懐かしい龍兄さんに会えると信ずるからです。天国における再会こそ私の最も希ましい事です。私はいわゆる、死生観は持っていませんでした。何となれば死生観そのものが、あくまで死を意義づけ、価値づけようとする事であり、不明確な死を怖れるの余り為す事だと考えたからです。私は死を通じて天国における再会を信じているが故に、死を怖れないのです。死をば、天国に上る過程なりと考える時、何ともありません。
私は明確に云えば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿な事に聞えるかもしれません。それは現在日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。
戦争において勝敗をえんとすれば、その国の主義を見れば事前において判明すると思います。
人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。
日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上は、ただ日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます。
人間にとっては一国の興亡は実に重大なことであります。宇宙全体から考えた時は実に些細な事です。騎れる者久しからずの例えどおり、若し、この戦に米英が勝ったとしても、彼等は必ず敗れる日が来る事を知るでしょう。若し敗れないとしても、幾年後かには、地球の破裂により粉となるのだと思うと、痛快です。加之(しかのみならず)、現在生きて良い気になっている彼等も、必ず死が来るのです。ただ、早いか晩(おそ)いかの差です。
離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。開かなかったら左の引出しを開けて釘を抜いて出して下さい。
では、くれぐれも御自愛のほど祈ります。
大きい兄さん清子始め皆さんに宜しく。
では、さようなら、御機嫌良く、さらば永遠に。 良司より
御両親様へ
安曇野市の隣池田町のあづみの池田クラフトパークにある「わだつみの声記念モニュメント・上原良司の碑
(真正面に有明山が見えます)
(上原良司第三遺書「所感」昭和20年5月10日鹿児島県知覧基地での遺書の一部)
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人はどうして人に成るのか。
分子のもつ情報によってなのか。
大正時代の郷土の地理学の三澤勝衛先生はその著『新地理教育論』に次の言葉を残していることを以前書きました。
で次のように語っていました。
<三澤勝衛著『新地理教育論』から>
・・・なお序ではあるが、もっともっと大切なことをここで皆さんにお伝えしたいと思う。それは、今私は桜の開花日が、その開花日から約三十日ほど以前のその間の平均気温と関係があるとお話したが、そうしてそれが、勿論開花日が気温だけで決定されているのではない、ピッタリ予報通りにはいかないとしても、よほどまでそれが一致することは確かである。
とにかくそういったように、今、現在、我々の眼前に展開されているその事象というものは、既に過去の三十日間なり五十日間のそれと深い交渉関係を持っているものであることは明瞭であり、たしかであるが、ひとりその事象は、過去だけではない、それ同様に将来への相関しておるわけである。
だから、現在そのもの中には、その現在は勿論、過去も、未来も織り込まれているわけである。したがって、その現在をよくよく見つめ見極めることによって、その中から我々はさらに将来もまた発見しえるわけである。
<上記書p502>
常に同じような話になってしまう。今現在の一大事の結論になるわけですが、金城学院大学学長で精神科医の柏木哲夫さんは「こころの時代」で「人は年に一度は死について考えることが大切です。」と話していました。そしてホスピスに長く関わった体験から
・人は生の延長上に死があると思っているが、現実には「死を背負っている」のだ。
・人は生きてきたように死んでゆく
と語っていました。
「散りゆく者」として人は年に一度ぐらいは死について考えることが大切だと私も思う。
そういった時に私は何を学んできたのだろうか。
『夢の如し』という「南伝小部経典経集・老経」の偈があります。
夢の如し
人のいのちはまことに短い。
百歳に及ぶものは少ないく、
百歳をすぎて生きる者もまた、やがて老いのために死ぬ。
人はおのれの執(しゅう)する物のために愁える。
けだし、所有に常なきがゆえに。
そは存し、変じ、また滅する。
かく知りて人は執着を去らねばならぬ。
「これは私のもの」と思える物も、その死のために失われる。
賢き者はその理(ことわり)を知りつくして、おのれの執着を去るのである。
たとえば、夢に会いしものを、人は、覚めてまた見ることはできぬ。
かくのごとく、愛する人々をも、命終してのちは見ることができぬ。
この世にありし頃は、某々(それがし)とて、その名も開き、その顔も見たるに、亡き後は、ただその名のみが、彼を語るよすがとして残る。
執着するものを貪(むさぼ)り求むる者は、悲愁(ひしゅう)、邪慳(じゃけん)の心を捨てることはできぬ。
されば、安穏の境地を知る聖者は、すべて所有を捨てて行ずる。
聖者は一切処に依ることなく著(じゃく)することなく愛する者もなく、憎む者もなく、たとえば、はすの葉に水のしずくの著(つ)かざるがごとく、悲涙することもなく、邪慳の心をいだくこともない。
<以上・増谷文雄著『仏教の根本聖典』(大蔵出版)から>
ここで言う聖者にはどう考えてもなれませんが、今朝のこころの時代は画家で東京芸術大学名誉教授の絹谷幸二さんの「“いのちの炎”を描く」で、その中で般若心経の「色即是空 空即是色」の「空即是色」について、
思い、信じるという想像力の新しい翼をもって形を作る。
という言葉にいたく感動しました。希望と言うと先の未来になりますが、思いや信じるという言葉には今が宿っています。
ピンチこそチャンス、双眼でよく見る。ピンチの時、チャンスの時、見開きの眼ではなく涼しい細めて見つめる。
これもまた何かを与えてくれる。考えてみれば仏さまの眼は細見開いてはいない、静かな細目です。光量が多く、偏重してその情報だけが入り込むと戯論になり、他律的になる。
そのほどよさが肝心なのかもしれません。
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