植物写真家の埴沙萠(はにしゃぼう)さんの足元の小宇宙、生命を見つめる世界で稲のおしっこを知ってから、早朝に見る稲に生成する光り輝く水玉に足を止めることになりました。
気温が低い時に余計な水分を放出するようです、今朝も輝いていました。安曇野有明の山麓の家々には紫陽花が今盛りです。真言宗の松尾寺の紫陽花はあおいんですねぇ。
それもバックに水車小屋の茅葺屋根があると一枚の風景画になります。
こんな姿もありました。
今日は月曜日。新しい一週間が始まります。衆議院議員選挙も終わり、早くも来たらざる未来に慷慨の声が聞こえます。因に最大の責任があって結果には責任はない。民主国家に在っては多数が少数を抑圧すると考えればいつまでも慷慨の念に囚われる。
多数も少数もあったものではない。流れのなかでそのような姿が現れるならば結局その中で意味を問われ、意味に応答し生きるが肝要であろう。
あらゆることに備える。
自然は時には牙をむける。
人間も自然のなかの一員であることを叫ぶ人ほど備えを忘れる。
7万年前に東へ東へと向かった人々。
自然の豊かさを求め、また争いの大陸から東の希望の国を求めて回帰の心で海を渡った人々が集う列島。
それが今の日本。